関西のバスと電車

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【駅探索_JR西日本】№3 尼崎駅{神戸・東西・宝塚線}

2014-01-05 10:00:56 | 駅探索〈JR〉




な駅名標です。

あまがさき - Amagasaki

所在地 兵庫県尼崎市潮江一丁目1-1
北緯34度43分53.88秒 東経135度25分54.07秒 / 北緯34.7316333度 東経135.4316861度
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 アマ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 4面8線
乗車人員
-統計年度- 41,793人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1874年(明治7年)6月1日
乗入路線 4 路線
所属路線 東海道本線(JR神戸線)
キロ程 564.1km(東京起点)
大阪から7.7km
◄塚本 (4.3km)(3.0km) 立花**►
所属路線 東海道本線貨物支線(北方貨物線)
キロ程 10.7km(吹田起点)
◄***宮原(操) (5.6km)
所属路線 福知山線(JR宝塚線)
キロ程 0.0km(尼崎起点)
◄****(塚本) (-km)(2.5km) 塚口►
所属路線 JR東西線
キロ程 12.5km(京橋起点)
木津から57.3km
◄加島 (2.2km)
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
東海道本線・福知山線・JR東西線の3路線は相互に直通運転
* 1949年に神崎駅から改称。
** この間に大阪支社と神戸支社の境界標あり(当駅は大阪支社管内)
*** 実際はこの間で塚本駅構内を経由する。
**** JR宝塚線は大阪 - 尼崎間も含む。



☆JR線内では、兵庫県内で最東端の駅となる。第4回近畿の駅百選に選定された。


構内図



改良工事後


ダイヤ

いずれも、日中の1時間当たりの運行本数である。また朝晩は本数が多くなり、当駅発着便の設定もある。

JR神戸線
新快速と快速がそれぞれ4本、普通が8本、計16本が停車する。

普通は当駅で半数が入れ替わりとなり、当駅を出ると一部を除いて、上りは大阪駅、下りは芦屋駅まで後続列車より先着する。

JR宝塚線
快速8本と普通4本、それに特急『こうのとり』1本が加わり、計13本が停車する。

快速は『丹波路快速』を初めとする大阪駅発着と、JR東西線に直通する塚口駅発着のものが4本ずつとなる。また、下りの普通は当駅を出ると川西池田駅まで先着する。

JR東西線
快速と普通が4本ずつ、計8本が停車する。快速は東西線内の各駅に停車し、直通先の学研都市線内で通過運転を行う。

駅周辺


駅北側に屹立する高層マンション

駅北側ロータリー、バスターミナル

駅北側ペデストリアンデッキ


阪神本線にも尼崎駅があるが、直線距離で約2km程離れている。両駅間は尼崎市営バスで連絡している。
他社線で一番近い駅は、阪神杭瀬駅。こちらへも市バスで連絡している(徒歩では南東へ30分)。
タクシー乗り場は北口と南口の両方にある。

駅北側(潮江地区)

■あまがさきキューズモール
■阪神百貨店
■平和堂 アル・プラザあまがさき(つかしん店に次ぐ県内2店目)
■MOVIXあまがさき
■アミング潮江
■ホテルホップイン・アミング(JR西日本ホテルズグループ、キリンビールにより開設)
■尼崎市小田公民館
■尼崎潮江郵便局
■尼崎中央病院
■関西国際大学 尼崎キャンパス
■極楽湯 尼崎店(無料送迎バスあり)
■クボタ 阪神工場

駅南側(長洲地区)
■エディオン JR尼崎駅店(旧・ミドリ電化)
JR西日本の子会社が所有するビルに入居する形で、2002年オープン。ミドリ電化時代には、上層階に本社事務所が入居していた(阪急神戸本線塚口駅前にあった「塚口店」から移転)。
■尼崎市役所小田支所
■尼崎東警察署
■尼崎長洲本通郵便局
■梅花東幼稚園、梅花幼稚園
■尼崎市立清和小学校
■尼崎市立小田南中学校
■尼崎市記念公園
■尼崎市記念公園総合体育館(ベイコム総合体育館)
■尼崎市記念公園野球場(ベイコム野球場)
■尼崎市記念公園陸上競技場(ベイコム陸上競技場)
■ヤンマー 尼崎工場
■Jリーグ・セレッソ大阪が育成組織の練習で使用するサッカー練習場も併設されている。かつては、ヤンマー本体がサッカークラブを持っていた。

歴史

開業から国鉄分割民営化まで


尼崎港線仮乗降場駅名標 (1981年頃)


東海道本線の当駅は、1874年(明治7年)に神崎駅(かんざきえき)として開業した。1891年(明治24年)には現在の福知山線の前身にあたる川辺馬車鉄道が尼ヶ崎駅(のちの尼崎港駅) - 伊丹駅間を開業させたが、東海道本線との交差地点には連絡線が設置されなかった。

川辺馬車鉄道は1893年(明治26年)に摂津鉄道となり、さらに摂津鉄道を買収した阪鶴鉄道が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで延伸開業した1898年(明治31年)、大阪駅乗り入れのために阪鶴鉄道の塚口駅と東海道本線の神崎駅を結ぶ連絡線が設けられた。

尼ヶ崎駅 - 塚口駅間は阪鶴鉄道国有化後は福知山線(国有化当初は、阪鶴線と呼称)の支線として扱われ、尼崎港線・尼港線と呼ばれることになる。1911年(明治44年)には、この支線上にも「神崎乗降場」が東海道本線との交差地点南側に設けられた(この時点では神崎駅と別駅扱いだが、運賃上は神崎駅と同一扱い)が、東海道本線の駅とは約300m離れていた。

「神崎乗降場」は東海道本線を越える築堤の上に片面ホーム1面1線で設置されており、「土手の上にある神崎駅」から「ドテカン」と呼ばれていた。そして1949年(昭和24年)、街の代表駅としての実状を考慮して尼崎港線の尼ヶ崎駅を尼崎港駅、神崎駅を尼崎駅に改称した。1969年に「尼崎乗降場」は当駅と同一駅扱いとなり「尼崎臨時乗降場」に変更されたが、実態には変化がなかった。

国鉄時代には、同一駅名の連絡駅にもかかわらず別の場所にそれぞれの路線の駅が設置されている例として、宇美駅(香椎線と勝田線)・石巻駅(仙石線と石巻線・現在は統合)・浜川崎駅(南武線と鶴見線)が存在したが、他の3つは私鉄買収によって路線が成立したのが要因であったのに対し、当駅は利用客の便宜を図ったことが要因となった。

駅自体は同一であるが、ホームの位置が大きく離れており、乗り継ぎには一旦職員通路のような線路脇を歩かなければならず、別駅にも見えた清水駅(東海道本線と清水港線)のような例もある。
この「尼崎駅」と尼崎港線は1981年に旅客営業が廃止された後、1984年に廃止された。

本線の「尼崎駅」は、駅西側に貨物駅を持ち、また麒麟麦酒の工場や周辺の工場への専用線を持つなど、尼崎市における国鉄の貨物取り扱いの中心となっていた。利用客は少なく、駅設備もホーム間をつなぐ地下通路と南北に小さい駅舎があるだけの駅であった。1964年9月30日までは、当駅で折り返す東海道本線の各駅停車が運転されていたが、翌10月1日の改正で甲子園口駅まで延長された。

当駅に停車するのは、各駅停車と福知山線の快速・普通のみで、東海道本線の新快速・快速は通過していた。特急・急行列車も全て通過していたが、1981年4月の福知山線の宝塚駅までの電化の時に、急行「丹波」が1往復停車し、1986年11月1日改正で特急「北近畿」に格上げされた後も、そのままで受け継がれた。



東西線の建設に伴う構内改良

JR化後も大きな変化は無く、3面9線のやや変則的な配線のままであった。しかし、JR東西線の建設に伴い当駅が東西線との分岐駅にもなるため、配線の変更やホーム1面の増設、駅舎の橋上駅化(地下通路は廃止)が行われ、面目を一新した。以下、計画の概要をJR西日本がまとめた講演資料に基づき説明する(「課題」「効果」といった事項も同様)。


当初の改良計画

最初の構内改良計画は1989年2月、運輸大臣より鉄道施設の変更認可を受けた。その内容は次のようなものであった。

駅起点方でのJR東西線と東海道線との相互乗り入れを考慮し、東海道線の内側線と外側線の間に東西線の線路が挟まれるようにトンネルへのアプローチを設定、配線する。
東西線終点方(神戸方)は東海道線内側上下線の間に折り返し設備を1線設ける。
形態的には4面7線となる。
しかし、計画作成後、福知山線と東海道本線の輸送量が予想以上に伸張したため、社内で次のような問題点が指摘された。

駅西方において東海道本線大阪方外側線と福知山線尼崎方の平面交差が発生し、福知山線から東海道本線・JR東西線への直通列車がラッシュ時計10本に制限される。
JR東西線-東海道本線間の相互乗り入れ、およびJR東西線の折り返し本数が増大すると運転支障が発生する。
貨物列車待避線を2番線とするため、JR東西線から当駅に進入する列車に支障が発生する。

最終的に決定した改良計画
このため、最終的に決定した計画では次のような考え方が打ち出された。

福知山線の上り(尼崎方面)を立体交差とし、ホームを4面7線から2線増やし4面9線とする。これは、上下線の行き先別案内を対称形とするためである。
東海道線とJR東西線の当駅折り返しを分離し、折り返し列車の集中を避ける。JR東西線は福知山線塚口駅での折り返しとする。
東海道線下り線(神戸方面)貨物待避線を尼崎駅から分離し、西ノ宮駅(現:西宮駅)に移設する。このことは、当駅の改良用地の生み出しにも資する。
次のような制約条件・要求が求められ、改良に盛り込まれた。

ホーム長は245m(12両対応)とする。
ホーム幅は、エスカレータ設置を考慮し、8.0mを確保する。
東海道線外側線の設定速度は130km/hとする。
分岐器は進入16番、進出12番とする。
上り貨物待避線の有効長は570mを確保する。
東海道線外側線・JR東西線・内側線の同時進入が可能であること。
駅舎は尼崎市から要望のあった橋上構造とし、幅2mの地下通路を廃止して幅6mの連絡通路を設置し、キャパシティを増強する。エスカレータのほかにエレベータを設置し、バリアフリー化に対応する。
改良工事は1駅に対する工事としては比較的規模の大きなものとなり、大規模な切り替えだけでも22回に及んでいるが、1997年3月8日のJR東西線開業に間に合わせることができた。


追加の改良

この改良で、次のような課題が社内で意識された。

東海道線内側線列車とJR東西線-福知山線直通列車:同一ホームで乗り換え可能となったのに対して
福知山線-東海道線(大阪方)間の直通列車と、JR東西線-東海道線(神戸方)間の直通列車:同一ホーム乗り換えできない
このため、当駅の大阪方にJR東西線-東海道本線内側線を結ぶ渡り線が追加され、1997年9月1日のダイヤ改正より使用を開始した。この改良で上記の問題は解決し、各ホームの行き先を統一した。また、一連の改良計画を扱った発表は日本鉄道施設協会より「総合技術講演会最優秀論文」を受賞した。


その後

最初の改良の以前、福知山線上り線は駅西方の貨物線群北側を沿っていた。最初の計画でもその経路を踏襲していたが、計画変更を行った際、貨物線群南側を回り込む下り線に平行する形に変更された。このため、上り線は駅西北の名神高速道路南側の地点に半径304mの曲線が設定された。半径300m程度の曲線は日本の在来狭軌鉄道としては珍しいものではないが、2005年4月25日に福知山線脱線事故が発生した後には、「魔のカーブ」として事故当初から一部マスコミがこの経路変更を問題視した。5年後、遺族団体が鉄道事故調査委員会の調査報告を検証する過程で、当該区間の運転経験がある運転士にアンケートを行った。このアンケートに回答した者の21.5%が速度超過の経験があったことや、41.5%が事故前より当該のカーブへATSを設置するべきと考えていたことなどが明らかになっている。



ダイヤ面からは、改良工事後当駅での折り返し列車が復活し、JR神戸線の新快速・快速に加え、福知山線の特急も全列車停車するようになった。このことで乗降客はさらに増加基調が続いた。貨物取り扱いは専用線の廃止や麒麟麦酒の工場の移転などもあって、後に廃止されている。

貨物取扱
かつて当駅はJR貨物の駅(国鉄時代は貨物取扱駅)であり、駅周辺の工場から多くの専用線が当駅に接続していた。専用線はクボタ阪神工場・神崎製紙神崎工場・麒麟麦酒尼崎工場・住友軽金属工業工場へ続くものがあった。

このうち最後まで使用されていたのは駅東側にある神崎製紙(当時は新王子製紙、現在の王子製紙)神崎工場へ続く専用線であった。この線は、東海道本線の北側に沿って東へ向かい、本線の盛土下を通り抜けて、その南側にある工場へ至っていた。主に有蓋車による紙製品の発送で使用されていたため、当駅から飯田町駅へ向かう貨物列車も運行されていたが、コンテナ化により1995年(平成7年)9月29日の発送をもって専用線は廃止された。これに伴い、当駅を発着する定期貨物列車も廃止された。

定期列車が廃止された後も、阪急電鉄が保有する専用線が敷設されていた。立花駅寄りにあるアルナ工機が製造した鉄道車両の搬出用に使用されていたが、2001年(平成13年)11月の発送をもって廃止された。




◀︎塚本(JR神戸線)| 立花(JR神戸線)▶︎

◀︎加島(JR東西線)| 塚口(JR宝塚線)▶︎







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