わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

2000万トンの資源=中村秀明

2008-06-03 | Weblog

 「愛情をこめて育ててきたのに、廃業しなければならないのはくやしい」

 船場吉兆ではない。各地の畜産農家からわき起こる嘆きだ。トウモロコシなど輸入飼料の高騰で、牛や豚、鶏を飼っていくのは限界に近いという。たとえば、豚1頭の出荷価格は4万~5万円だが、エサ代はこの1年で1万円弱余計にかかるようになり、利益はほとんど出ない。

 漁業関係者からは「漁に出ても燃料代が高すぎて赤字になる」との声が聞こえる。沿岸漁業だけではない。太平洋に向かう遠洋マグロ船団にも休漁が相次いでいる。国際組織の「責任あるまぐろ漁業推進機構」(東京)は今後、市場に出回るマグロが減ると予測している。

 海外でも、ドイツで酪農家が牛乳の出荷をやめたり、フランスで燃料費高騰に怒った漁師がストライキに入った。フランスのマルセイユなど各地の魚市場は休場に追い込まれ、漁師のストはイタリアやポルトガルにも広がる勢いだという。

 小麦粉や食用油の値上がりによる食卓への打撃は序の口だったかもしれない。「食料危機」は途上国の話と思っていたが、どうやら違うようだ。石油や穀物に恵まれた米国、ロシア、ブラジルなどはともかく、持たざる国の消費者はなすすべがないのか。

 いや、貴重な「資源」の存在を忘れてはいないか。食べ切れず、ゴミとして捨ててきた年間2000万トンの食料である。途上国なら5000万人を飢えから救える量だ。足元を見直しライフスタイルを少し変えてみる。それが大切だと思う。(編集局)




毎日新聞 2008年5月30日 東京朝刊

理解不足ではない=与良正男

2008-06-03 | Weblog

 私がひそかに「○○子おばあちゃん」と呼んでいるIさんは今年87歳になる。極めて的確な本欄への感想を時折、手紙で送ってくださる東京都内の読者の一人だ。

 2年前、夫に先立たれ、国民年金を頼りにする暮らし。決して楽ではないはずだが、そんな中で新聞を購読し、「毎日、すみからすみまで読んでいる」と聞くと、いつも頭が下がる思いだ。そして、Iさんは自らに言い聞かせるように、こう記す。

 「不服ばかり言っていては心まで貧しくなりかねません」「自立心を持って力強く生きたいですね」……。

 戦後の日本はこうした人たちに支えられ、政治はこうした人たちに随分と甘えてきたのだと思う。そのIさんたちが今、後期高齢者医療制度に怒っている。いや、悲しんでいるといった方がいいかもしれない。

 政府・与党関係者は「説明不足だった」と口をそろえるが、すでに多くの人は制度の仕組みをよく理解し、改革の必要性も認めていながら、とりわけ75歳で線引きしたことに納得できないのではなかろうか。そんな「心の問題」でもあることに関係者はなぜ気づかないのだろう。

 先日、静岡市で読者のみなさんの集いに出向く機会があった。最後に80代の女性が手を挙げ、「野党の欠点は新聞を読んでよく知っている」と語ったうえで、「それでも今度は政権交代を」と静かな口調で訴えると、会場から大きな拍手が巻き起こった。

 無論、次の衆院選の結果がどうなるかは分からない。でも、有権者の意識は確実に変わってきていると思う。(論説室)





毎日新聞 2008年5月29日 東京朝刊

肩をもむ人=磯崎由美

2008-06-03 | Weblog

 早咲きだった桜が散り始めたころからだろうか、点字入りのはがきが連日のように会社に届くようになった。差出人は全国の視覚障害者。<鍼灸(しんきゅう)マッサージで何とか生活してきましたが、もうやっていけません>とある。

 何が起きているのか。創立100周年を迎えた埼玉県立盲学校(川越市)を訪ねた。「こんな状況ですよ」。高等部理療科で進路指導を担当する乗松利幸教諭(49)が資料を前にため息をつく。

 理療科の生徒のほとんどは緑内障や糖尿病による中途障害者だ。視力と同時に職も失った人たちが再び社会を目指し、点字の読み方から医学書までを3年間で学ぶ。夜の寄宿舎では、実習で学んだ技術を身につけようと、お互いの体をもみ合う。そうやって国家試験に合格しても、今春卒業した10人のうち就職が決まったのは5人という。

 昔は温泉地に行けば、つえをついたマッサージ師が部屋に来て旅の疲れを癒やしてくれた。だが規制緩和で晴眼者を受け入れる専門学校が増え、今や視覚障害者は有資格者の約2割。就職先だった病院や入浴施設も晴眼者を雇い、繁華街では無資格でも営める「クイック」「足裏」を掲げた店へと客が流れる。

 パソコンの普及やストレス社会で、肩こりや腰痛に悩む人は増えている。ニーズは高まっているのに、歴史と技を培ってきた人々が職場から追いやられていく。

 校内の実習室。生徒たちが畳の上に指を立て、体重をかけていく。まねてみたが、痛くて続かない。「背負っているものが違うんです」。乗松教諭が言った。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年5月28日 東京朝刊