わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

88日後の地震報道=渡辺悟

2008-06-03 | Weblog

 北京五輪の開幕は08年8月8日。縁起がよい「8」にちなんで決めた日程だという。数字遊びをするつもりはないが、四川大地震から88日後が開幕日に当たる。

 95年1月17日の阪神大震災から88日後は4月15日。震災がどう報じられていたのか、毎日新聞を広げた。ニュース面はオウム真理教一色。「4・15異変説」が流れた新宿はテロを恐れて人波が消えた。3月20日の地下鉄サリン事件を境に紙面に「オウム」が躍り出、震災は後退した。

 だが、決して忘れ去られたわけではない。15日朝刊オピニオン面の6割方は連載コラム「小松左京の95大震災」が占めていた。「この私たちの体験を風化させないために」というサブタイトルに筆者の思いが凝縮されている。

 25面は「希望新聞」。生活再建に役立つ情報を提供しようと震災2日後の1月19日朝刊から始まった特別面で、この日のトップは「被災分譲マンション再建資金の援助」。周囲は心の相談、行政手続き相談、交通規制・不通道路、激励、義援金などの情報で埋め尽くされていた。

 生活再建と防災を柱に、89日後も90日後も粘り強い報道が続いた。それでも「被災者生活支援法」成立までに3年余りを要した。災害に強い街づくりは今なお道半ばだ。

 88日後の中国はどうだろうか。五輪の陰に地震が隠されてしまう心配はないか。報道の自由がない「よその国」に対してできることは限られてはいるが、少なくとも、五輪に目を奪われて被災者を忘れ去ることだけはすまい。一人一人の関心が「国際世論」という無形の力となる。




毎日新聞 2008年5月31日 大阪朝刊

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