わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

甘えの構造=与良正男

2008-06-13 | Weblog

 「希望がある奴(やつ)にはわかるまい」とか、「夢…ワイドショー独占」とか。

 東京・秋葉原で起きた通り魔事件の容疑者が携帯サイトに書き記した言葉を見ていくと、自分はこんな境遇にいるはずではなかったという一種の被害者意識と、世間に認められたいという自意識が交錯しているように思われる。

 世の中、今の自分に満足している人の方が少ないのだ。それは当然の思いである。しかし、それがどうして、「社会が悪い=誰でもよかった」という無差別殺人に結びついてしまうのか。

 責任の一端は私たちマスコミにもあるのかもしれない。私たちはともすれば、何かことがあるたびに、社会が、政治が、教育が悪い--と、安易に、かつ漠然と結論づけてこなかったか。それが「自分は被害者」という甘えの構造、あるいは厳しい現実からの逃げ道をつくる要因になっているように思えるのだ。

 もう一つ、気になるのは建前が大切にされない風潮だ。建前より本音。例えば「人に迷惑をかけてはいけない」などと当たり前のことを語るのを偽善的ととらえる傾向が広がっている。ネットの掲示板には、まじめに生きようとしている人間をあざけり笑うような言葉が、どれだけあふれかえっていることか。

 いや、容疑者がネット世界の中で、他人を嘲笑(ちょうしょう)して憂さ晴らしができていたのなら、まだましだったかもしれぬ。そう考えると絶望的な気分になる。

 この国をみんなで立て直しましょう。きれい事と言われようと、私はそう繰り返していきたいと思っている。(論説室)





毎日新聞 2008年6月12日 東京朝刊

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