東京・歌舞伎町の雑居ビル火災で44人の命が奪われてから7年が過ぎた。所有者の過失責任を問う裁判がこの7月ようやく終わったが、出火原因は今も分かっていない。
ビル内の飲食店で働いていた植田愛子さん(当時26歳)、彩(さい)子さん(同22歳)姉妹を一度に失った母(56)には、悲報を聞いた時がついこの前のことのように思える。取り壊されたビルの前で命日の慰霊祭を続けてきたが、「新たなビルが建てば、献花も難しくなるのでしょうか」と先を案じる。
火災後しばらくして、母は同じ境遇の人たちの思いを知ろうと、新聞記事を基に他の遺族を捜し続けた。やはり娘を失った母親とは、互いの思い出を語り合っては泣いた。被害者なのに「なぜあんな深夜営業の店にいたのか」と親族にも冷たく見られている人や、周囲の目をはばかり「もう連絡しないでください」と電話を切る人もいた。
今年の命日だった9月1日、現場周辺で「44名の命を無駄にしないで」と書いたチラシを配り、防火対策の徹底を呼びかけた。その1カ月後、ニュースで大阪の個室ビデオ店火災を知る。店内見取り図を見て、思い出したくない記憶が呼び覚まされた。「逃げ場のないビルにこんなに多くの人を詰め込んで……何が変わったの」
私は歌舞伎町の現場を歩いた。雑居ビルの跡地は繁華街とフェンスで隔てられ、そのすき間から見える更地では背を伸ばした雑草が枯れている。林立する看板の中に「個室ビデオ」が目につく。地元には教訓として慰霊碑を建てようと訴える人もいるが、「忘れたい」「客足が遠のく」との声も強いという。(生活報道センター)
毎日新聞 2008年10月15日 東京朝刊
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