わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

貧乏学生のススメ=潟永秀一郎

2008-10-16 | Weblog

 「社会に出る。そのためのインセンティブ(誘因)がなくなってる気がしますね」。東京・吉祥寺のジャズ喫茶。壁際の席でウイスキーをなめながら、メールマガジン「月刊少年問題」編集長、毛利甚八さんの話にうなずいた。

 毛利さん50歳、私47歳。共に九州の地方都市から東京の私大に進み、「1000円は結構な大金」という学生時代を過ごした。時は70年代末から80年代初頭。マンション住まいやマイカー持ちもいたが、まだ少数派。「6畳一間、風呂なし、仕送り数万円」が上京学生の平均像だった。

 何の縁か当時暮らした町は近く、共に通った1軒に、にぎり1人前400円のすし屋があった。「バイト代が入ると行きましたね」。学生向けの温かい店だったが「いつか社会人になったら白木のカウンターのすし屋で『一通り』って注文してみたい」と思った。「そう、あのころは学生と社会人に、いい意味の格差がありました」と毛利さん。

 格差の第一は風呂の有無だったが、今は学生でも風呂付きが当たり前。首都圏で平均10万円を超す仕送りにバイトで数万円稼げば、社会人1年生の手取りと大差ない。自宅生でバイト代が全部小遣いなら、父親の小遣いを上回ることも。「何も社会人になって苦労しなくても、家でバイトしてた方がいいと思う子が増えて当たり前。それが社会の活力を奪っている面があると思う」

 子供に苦労させたくないと思うのは親心。だが若い時にいい生活をすると、後がきつくなることもある。高校生は進路決定の時期だが、「窮乏生活も勉強のうち」とおじさんたちは語り合ったのだった。(報道部)





毎日新聞 2008年10月12日 東京朝刊

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