わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

発信箱:本当の勝者=中村秀明

2008-03-17 | Weblog

 「敗軍の将」がこれほど評価されるのは珍しい。新世代DVDの規格「HD-DVD」からの撤退を決めた東芝の西田厚聰(あつとし)社長である。

 問題を先送りしない素早い決断と、「もはや勝ち目はない」という明快な語り口。約300人の記者らを1人で相手にする腹のすわった態度。がっかりさせられる経営者、政治家が多い中で、なかなかお目にかかれない光景だった。株式市場でも東芝株は買われた。

 組織にとって厳しい局面、追い込まれた状況ほど、トップの対応が意味をもつという見本でもあった。

 ただ、東芝が競争に敗れ、数百億円単位の投資を生かせず、収益をあげる機会を逃したのは事実だ。さらにいうと、ソニーなどのブルーレイ・ディスク陣営も勝者ではないのかもしれない。

 規格争いというと、つい「不毛」「消費者軽視」と悪態をつきたくなる。しかし、もし規格が統一されていたら、さらなる技術開発の意欲を引き出すことも、価格の低下を促すこともなかったと思う。もちろん、消費者に選択の余地はなかった。VHSかベータかのビデオ戦争で痛い目をみた教訓をふまえ、どちらも買わない「様子見」も意味を持たなかったはずだ。

 その意味で、本当の勝者は消費者だったとは言えないだろうか。東芝が昨年後半に打ち出した大幅な価格引き下げ戦術にもなびかず、流れを決定づけた。規格争いなど企業の戦略を不毛なものにさせたり、消費者軽視に走らせるかどうかは、つまり消費者自身の判断と行動にかかっているのだと思う。(経済部)



毎日新聞 2008年2月29日 東京朝刊


発信箱:大臣の首=与良正男

2008-03-17 | Weblog

 イージス艦「あたご」の衝突事故で、石破茂防衛相に対する野党の辞任要求は強まる一方だ。情報は迷走し、釈明も二転三転。私もどこかでけじめをつけるべきだと思う。だが、閣僚が辞任しても防衛省にとっては実は痛くもかゆくもないのではないか。むしろ、そこが問題である。

 1988年の「なだしお」事故では、通報や救助活動の遅れが批判され、当時の瓦力防衛庁長官が引責辞任した。98年には防衛庁調達実施本部の背任事件などで時の額賀福志郎長官が参院で問責決議を可決されて辞めた。

 しかし、その後、反省は生かされてきたか。官の世界では「トカゲのしっぽ切り」ならぬ「頭切り」。閣僚は制度上はトップでも実際はお飾りであり、頭を付け替えれば組織は生き延びるのだ。

 ほかにもある。イージス艦のデータ流出、米艦への給油量の誤りを隠ぺいしていた問題、そして前事務次官の汚職事件……。やはり、この組織はどこか病んでいるとみないわけにはいかない。

 石破氏は元々、背広組(内局)と制服組(自衛隊)を統合する案を提唱していたが、省内では不評だったという。それがどれだけ効果的かは分からぬが、組織を大きく変えないと済まないという問題意識は間違っていないと思う。

 石破氏も「『政争の具にされるのは嫌だ』という気持ちを受け止める」などと漁船乗組員の「家族の意向」を盾に辞任を否定するのはやめた方がいい。大臣の座を少しは重たくしたいと願うのであれば「いずれ私が責任を取る。でも、その前にすべきことがある」と言うのが正しい。(論説室)



毎日新聞 2008年2月28日 東京朝刊


発信箱:新宿に降る雪=磯崎由美

2008-03-17 | Weblog

 海外ブランド品が並ぶショーウインドーの前を、通勤の人波が流れていく。そのすぐ脇で、1人の男性が路上に倒れていた。

 6日朝、東京・JR新宿駅西口。偶然通りかかったNPO(非営利組織)の若者が足を止め、男性の肩をたたいた。「具合が悪いんですか」。男性は口をわずかに動かすが、声が出ない。「救急車を呼びましょうか」と尋ねると、うなずいたという。

 通報で救急車が来た。だが救急隊員は若者に「この人は搬送を拒んでいる」と言った。「言葉も出ないのに、拒否なんかできますか」。若者と隊員の押し問答が続く。そして雪が降り始めた。

 救急車が撤収した約4時間後、若者の同僚が様子を見に行く。男性は凍死していた。

 私は東京に再び雪が降りそうな朝、その場所を訪ねた。雑踏の脇で高齢の野宿男性が身を縮めていた。「この辺じゃ見ない男だったね。とにかく今年は寒すぎるよ」。薄っぺらな布団を胸までたくし上げた。

 警察の調べで、亡くなった男性は所持していたパスポートから39歳の日系ブラジル人と判明する。昨年まで静岡の会社に勤め、数日前から新宿で目撃されていたが、その間の足取りは分からない。

 消防は「私たちに搬送を拒否する人を運ぶ権限はない」と説明する。彼が本当に搬送を拒んだのか、もはや知るすべもない。だがたとえそうだったとしても、一つの命を救うことはできなかったのか。

 男性の遺体は元雇い主に引き取られた。「僕は救えなかった」。通報した若者は今も悩んでいる。(生活報道センター)



毎日新聞 2008年2月27日 東京朝刊


発信箱:歴史の宣告=玉木研二

2008-03-17 | Weblog

 米映画「ゴッドファーザーPART2」で、アル・パチーノ演じるマフィアの首領マイケル・コルレオーネがつぶやく。「政府軍兵士は金で雇われているのに、反乱軍は無償で戦っている。彼らが勝つんじゃないか」

 舞台は1958年末のキューバ。陽光降り注ぐホテル屋上で、バティスタ独裁政権と癒着した米国のマフィアたちがカジノ、売春、麻薬の巨大利権配分を話している。カストロ率いる革命軍が首都ハバナに迫る。政府もマフィアも「け散らせる」と問題にしない。ただマイケルは「報いを求めぬ者」の献身の戦意の高さを見抜いている--。

 果たして59年元日、現実にバティスタは大統領の座を放り出し、蜜(みつ)に群がるように集まったマフィアも政治家らも身一つで米国へ飛び帰る。

 当時32歳のカストロ、そして盟友ゲバラが最も光彩を放ったころだ。亡命先から8人乗りボートに80人余もの同志が乗り組み、荒海を渡ってキューバに上陸。交戦で大半が倒れるが、山を駆け、人民の海に潜り、ゲリラ戦に勝ち抜き、ハバナへ進撃する。

 こんな実際の革命劇が世界の若者をとらえた。自分もできると夢想する者がいた。わずかだが、武器を手に行動に出る者もいた。日本にも。悲劇というほかはない。

 そして今、南米山中のゲリラ戦に殉じたゲバラは神話に納まり、気づけば地上で独裁権力を守り抜いていたカストロは81歳で引退する。「歴史は私に無罪を宣告するだろう」と20代で投獄の時言った。かつて彼らに共鳴心酔した老いたる「チルドレン」たちは、どう宣告するだろう。(論説室)



毎日新聞 2008年2月26日 東京朝刊


発信箱:欧州の米兵事件=町田幸彦

2008-03-17 | Weblog

 沖縄での米兵による女子中学生暴行事件に関連して、欧州で「米兵の凶悪事件を聞いたことがない」と話す知人の話を18日付本欄に書いた。その後、欧州でも米兵の強姦(ごうかん)事件があったという読者の指摘をいただいた。確かに過去に事件はいくつかある。伝聞に終わらせず十分確認すべきだった。以下、実例を挙げる。

 英ヨーク地裁は06年7月、米空軍・軍曹(34)に対し、地元施設の14歳、15歳、17歳の女性3人を強姦した罪で禁固12年を言い渡した。また、英国の米軍基地内で02~05年に連続強姦事件を犯した軍曹が米軍法会議にかけられた。

 ドイツで84年8月にドイツ人女性(当時19歳)を暴行殺害した容疑で、元米兵(46)が昨年3月、米メリーランド州で逮捕された。同国内では91年、17歳のポーランド系移民女性を暴行殺害した容疑で米兵が逮捕された。イタリアでは04年に起きた13歳の少女強姦事件で、米兵(19)が共犯として逮捕された。

 「各国で米軍人の起こした事件数・内容の正確なデータ」を知りたいというメールも受け取った。英内務省と在英米大使館に問い合わせたが、駐留米軍兵士の犯罪の項目で統計はないという。

 米軍基地(兵員6000人)を抱える英東部サフォーク州地元紙のグダハム記者は「米兵犯罪は当地で日本と違い、まれだ。米軍人の評判は概して良い」と語る。

 沖縄県では昨年の米軍構成員の刑法犯検挙数が46人に上る。これと比較できる資料も必要だが、日欧で米兵の行動に差異があるのか。この疑問にはさらに具体的に再論できるようにしたい。(欧州総局)



毎日新聞 2008年2月25日 東京朝刊


発信箱:詩を読む詩人=広岩近広

2008-03-17 | Weblog

 ストレートな表題にひかれて広島まで足を運んだ。「詩と平和」の集い。日本詩人クラブと広島県詩人協会の共催で、全国から約130人が広島平和記念資料館メモリアルホールに集まった。

 詩人たちの動向に注目するようになったのは、昨夏に刊行された「原爆詩一八一人集」(長津功三良ら編、コールサック社)を読んでからだ。戦争を知らない詩人が多くとも、しかし言葉は鮮烈で、鋭い批判精神に満ちていた。流行語にもなった「KY」(空気が読めない人)の対極にいるのが詩人ではないか、と認識を新たにした。ここでいう空気は時代の危うさであり、変調の兆しである。

 さて、「詩と平和」の集いだが、シンポジウムの課題はおのずと「被爆者亡き後に、いかに原爆を書き、語り継いでいくか」に絞られた。ある詩人は言った。「ピカソがゲルニカを描いたとき、彼はゲルニカに住んでいたわけではない。芸術的なイマジネーションの力が何より大切だろう」。別の詩人が続けた。「風化しても、掘り起こして、頭の中で発展させ、それをわかりやすい例として詩の言葉で伝えていきたい」

 年配者の目立った集いとはいえ、語り口は熱く、若々しくもあった。「原爆の継承は我々の責任でもある」は、とても重い言葉だった。

 なるほど、と賛同した提言がある。「詩を書く詩人だけでなく、詩を読む詩人も育てたい」。確かに、詩の朗読は技量が求められよう。それだけに「詩を読む詩人」による読み聞かせは、必ずや子どもたちの想像力に訴えるにちがいない。(専門編集委員)



毎日新聞 2008年2月24日 東京朝刊


発信箱:二つの2月23日=渡辺悟

2008-03-17 | Weblog

 「竹槍(やり)では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」

 毎日新聞1面にこの見出しが躍ったのは64年前のきょう1944年2月23日だ。

 6日前の17日にはトラック諸島の部隊が壊滅した。米軍に圧倒される現実を前にすれば子供でも分かる理屈。雨が降れば傘をさす、腹がすいたらメシを食う。それと変わらない主張だった。

 だが本土決戦を叫ぶ東条英機首相ら陸軍は厳しい報復に出る。毎日新聞の廃刊は断念したものの、執筆した37歳の記者を懲罰召集した。

 前代未聞の一人入隊。その不自然さを海軍につかれると記者と同じ大正生まれの兵役免除者250人を召集する挙に出た。それで形をつけたわけである。陸軍は次に硫黄島配属に動く。ここでも海軍から横やりが入って、記者は海軍報道班員としてフィリピンへ。他の250人は硫黄島に送られ、全員玉砕した。

 本土決戦か海洋決戦かという陸海両軍の深刻な対立を背景に、事前の検閲をくぐり抜けた「竹槍」記事。陸軍の言う「反軍」ではなく、いかに戦うかをめぐる言論であったが、「一億玉砕」なる狂気にNOを突きつけたことは間違いない。だが「老兵」250人の運命の不条理を思えば言葉を失う。

 硫黄島で戦死した兵士の手紙が米国を経て島根県安来市の実弟に届いた(18日朝刊社会面)。言論の自由が奪われたことに端を発する歴史の悲劇が、生々しい形で今に続いていることを痛感する。

 硫黄島の一角、摺鉢(すりばち)山に米兵士が星条旗を立てたのは63年前のきょう、45年2月23日である。(編集局)



毎日新聞 2008年2月23日 大阪朝刊


発信箱:ある下町で=花谷寿人

2008-03-17 | Weblog

 この10年ほどで商店が相次いで閉じた。畳屋、洋品店、焼き鳥屋……。文字通りのシャッター商店街。地方都市の話ではない。東京の下町にもこんな風景が広がる。

 地元の自治会長(74)は「町内会の役員のなり手がいない」と嘆く。頼んでも応じてくれる人は一人としていない。だから20年以上も続け、辞めるに辞められない。

 商店街が栄えていたころ、町内会活動は盛んだった。何人も従業員を使い、時間に余裕がある商店主たちが競うように役員を買って出た。「昔は向こう三軒両隣のことはたいてい分かったものだが、今はみんな食べていくので精いっぱい。人の世話を焼くゆとりがない」と言う。敬老会も自然消滅した。

 若者は仕事を求め、都内の別の場所に居を構える。街は老いていくばかりだ。購買力は落ち、商店はさらにさびれていく。酒屋の主人は「売り上げはかつての半分以下。うちもどうなることか」と浮かない顔だ。

 ここは足立区梅田。東京の北東部にある街で11日、中古工作機械販売業の男性(52)が家族3人を殺傷して自殺したとみられる事件が起きた。動機ははっきりしないが、事業不振が背景にあるようだ。近所づきあいはほとんどなかったという。

 街の移り変わりが事件と関係するかは分からない。ただ、なにかをあきらめたような空気が街を覆う。車ばかりが激しく行き交う国道沿いの事件現場。年配の女性が冷たい強風にあおられ、ひざをついた。立ち上がって目を閉じ、誰かが供えた花束の前でじっと手を合わせた。(社会部)



毎日新聞 2008年2月23日 東京朝刊


発信箱:ヘプバーンにならう=中村秀明

2008-03-17 | Weblog

 オードリー・ヘプバーンは、米国人作家、サム・レベンソンの詩「時の試練をへた人生の知恵」が好きだったという。それは、こんな一節から始まる。

 「魅力的な唇のためには、優しい言葉を口にしなさい。愛らしい瞳を持ちたいなら、他人の良いところを探しなさい」「ほっそりとした体を保ちたいならば、おなかをすかした人に食べ物を分けてあげなさい」

 彼女は晩年、ユニセフ親善大使として、飢餓や病気に苦しむ子どもたちのために力を注いだ。 

 日本発の国際貢献活動「テーブル・フォー・ツー」も、この言葉の実践と言える。

 低カロリーのメニューを選べば、食事代の一部20円が国連の世界食糧計画(WFP)に寄付され、アフリカなどの学校給食費にあてられる仕組みだ。20円は途上国での学校給食1食分の費用。一つの食事を途上国の見知らぬ子どもと分かち合うという意味で、「2人の食卓」と呼ぶ。

 横浜市や伊藤忠商事、富士通などが昨年から社員食堂で導入し、自らの肥満防止や社員の健康増進が途上国支援につながることが共感を呼び、インドや米国など海外にも輪を広げつつある。

 東京、大阪の両本社で1月から始めたりそな銀行では、1日400食以上を分かち合っている。社員の反応が興味深い。「同じ会社に高い志の人が多くいると知ってうれしくなった」「こうしたことを自分の会社が始めるのがうれしい」。遠い国の子どもと食事を分け合うことは、近くの人と気持ちを通わせるきっかけにもなるようだ。(経済部)



毎日新聞 2008年2月22日 東京朝刊


発信箱:道路財源で地下鉄!?=与良正男

2008-03-17 | Weblog

 例の道路特定財源からは今年6月開業する東京地下鉄副都心線の事業費にも数百億円が投じられている。関係職員用のマッサージチェアやらアロマ器具やら、啓発用官製ミュージカルやらへの支出は論外として、この話も考え込んでしまった。

 なぜ、地下鉄に? 国土交通省の説明がふるっている。地下鉄ができればマイカー通勤者らが減り、道路の渋滞緩和につながるからだという。

 国会で取り上げた民主党の長妻昭氏が指摘した通り、この理屈だと新幹線や飛行場も道路特定財源で造ることが可能になる。要するに福祉や教育には回さないが、国交省の省益に都合がいいところだけ、勝手に「一般財源化」していると言っていい。

 道路建設推進派の人たちは「特定財源の恩恵を、地下鉄を利用する都会の人も受けているのだからいいではないか」という。それを言うなら……と私は思う。

 道路が整備され、郊外に大型ショッピングセンターができた結果、さびれた商店街はいくらでもある。地方の鉄道や路線バスが次々と廃止されてきたのは、マイカー利用者が増えて乗客が減り、採算が合わなくなった事情がある。ところが、限界集落と呼ばれるような地域では高齢化だけが進み、いよいよ車を運転できる人自体が減り始めている現実がある。公共交通の再整備は深刻な課題である。

 道路ができれば、地方はみなハッピーになれるかと言えば、そうではない。総合的な交通体系とは何か。いや、もっと視野を広げ、国土をどう形成するか。そんな議論が欠けていないか。(論説室)




毎日新聞 2008年2月21日 東京朝刊


発信箱:闇へ戻す=磯崎由美

2008-03-17 | Weblog

 「わいせつ騒ぎ」で揺れた岩手県奥州市の黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)。JR東日本に「胸毛がセクハラ」と掲示拒否されたポスターのモデルとなった会社員、佐藤真治(しんじ)さん(37)は1000年前からの神事を大過なく終え、ほっとしている。

 この間、佐藤さんは詰めかけた報道陣に祭りの趣旨を訴えてきた。「観光目的のイベントとは違う。お薬師さまのご加護を授かるという、土地の信仰を守っていきたいだけなのです」

 そもそも、祭りの主役が素っ裸になり護符の入った袋を切り裂くクライマックスは、暗闇で行うものだった。だが近年、裸に特別な目を向ける人たちが来て、興味本位で脱ぐ者まで現れた。その姿がフラッシュを浴び、「全裸」のイメージだけが広がった。

 古くからの祭りや儀式で裸になるのは、生まれたままの穢(けが)れなき姿で神仏などに向き合うためとも言われる。愛知県美浜町の裸まいりは大みそかの深夜、厄年の男性に代わって若者が全裸で海に入り、身を清める。ここでも役場には最近、「いかがなものか」という声が届くというが、地域で伝統を守る人たちは「イベントではなく、あくまで神事」と強調する。

 時を越えて受け継がれる文化には、人間の根源にかかわるメッセージがこめられている。今の時代の好奇で照らし、消し去ってはならない。

 今年の蘇民祭。報道陣は主催者側の申し入れに従い、山場で照明を消した。下帯を外した主役は暗がりの中で袋を裂き、こぼれ落ちた護符の争奪戦が始まった。佐藤さんが言った。「騒動のおかげで、原点に戻ることができました」(生活報道センター)




毎日新聞 2008年2月20日 東京朝刊


発信箱:雨の日のジャン=玉木研二

2008-03-17 | Weblog

 亡母は大正時代に初等教育を受けた。瀬戸内の田舎の尋常小学校で、ある雨の日に校庭で体操ができなくなったため、教室で男の先生が物語を読み聞かせてくれた。ユーゴー作の「ああ無情(レ・ミゼラブル)」である。

 薄幸と非運で人間不信の元囚人ジャン・バルジャン。困窮の末に一夜泊めてもらった老司教の館から高価な銀の食器を盗んで逃げた。怪しまれて憲兵に捕まり、司教の前に連れてこられる。司教は言う。「あげたものです。燭台(しょくだい)もあげたのに、なぜ持って行かなかったのかね?」。ジャンは魂を打たれる--。

 息を潜め、ためらいながら銀の食器に手を伸ばす仕草。天を仰ぎ改心する様。母がその感動を回顧するのを通じ、先生の語り口調や身ぶり手ぶりが、子の私にまで刷り込まれたようだ。雨煙る海辺の村の学校。そのじめじめと薄暗い教室に、19世紀フランスの悩める魂が時空を超えて確かに降り立ったに違いない。

 さて新学習指導要領は道徳教育に力を入れる。教材作りに金をかけ、子供たちが涙ぐむような物語を盛り込みたいという。けっこうなことだが、子供の心をノックし、その想像や思念の扉を開くのは、やはり先生の力だ。そして、たくまずしてそれぞれのやり方、流儀があるはずだ。

 雨の日にジャン・バルジャンが乗り移った先生も、それで修身の授業を企図したわけではあるまい。ずっと後の世にこうして伝わるとは、思いも及ばなかっただろう。

 それと意識せず教え子やその子孫の心にまで種をまく。教師という仕事の妙は、存外こんなところにあるのだ。(論説室)



毎日新聞 2008年2月19日 東京朝刊