ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

暴騰はトレンド、トレンドはフレンド 2

2023-08-11 12:00:00 | トレンド・フォロー
次は、個別株の場合である。

これは1518三井松島ホールディングスの月足チャートであるが、青い線で引いてある2013年1月31日に付けた2560円を、2022年5月17日に上に抜けてきた。このような鋭角に上がって鋭角に下げている過去の天井は節目として、要注意である。ここを抜けて来たと言うことは、長期の上昇トレンドに入ったと見ることが出来る。同じように、これも青い線で引いて置いたが、上値の節目として、2008年5月30日に付けた4120円が重要である。



勿論、上昇の力が強いと上に抜けていく場合や途中で失速して下げていく場合も多いが、今回はこのように4120円をレジスタンス値として、ダブルトップを付けた形になっている。こういった月足を見ている人はあまりいないと思うが、このようにテクニカルにおいても、ファンダメンタルと同様長期のマクロの視点が重要であることは、ここで強調しておきたい。従って、多くの銘柄の月足を見てみることをお勧めする。このように10年とか20年以上も前に付けた天井値で下げている銘柄は、かなりの数が見つかるはずである。



そして、2023年8月11日現在、2560円でまたもや反発しているので、下値2560円は、典型的なサポレジ転換線になっているようだ。このことからこの1518三井松島という銘柄は、下値2560円上値4120円のボックス相場になっていると判断できる。日足で見ると下値上値を切り上げているので、私は月曜日寄り付きで試し玉の買い注文を出したところである。

ただ、言わずもがなの事であるが、こうした上値下値の節目とかボックス相場とかはあくまで仮説であって、決して決めつけてはならない。あくまでも目安であって、株価の微妙で繊細な動きを注視することで、その変動に柔軟に対応していかなければならないこともまた、ここで強調しておきたい。

そして、こうした柔軟な対応力の基になるのは、林輝太郎氏が提唱された「変動感覚」で、これはまた非常に重要な概念で、別に論じたいと思っているが、私見では投資における「聖杯」とは、実はこの「変動感覚」がその重要な部分を占めているのではないかと考えている。それは、例えばバリュー投資などの手法を学んでも、一握りの勝ち組のバリュー投資家とその他大勢の負け組のバリュー投資家に分かれてしまうのは、この「変動感覚」の体得の有無が、この差異を作り出しているのではないかと考えているからである。

巷では一般に、ファンダメンタルだとか、テクニカルだとか、バリューだとかグロースだとかの分類が持て囃されているが、優位性あるいは有意性というのは、そういった手法自体に存在している訳ではなく、実のところ、その総てではないにしても、多くの部分がこの「変動感覚」の有無の濃淡にこそ存在しているのではないか、とあえて言いたいのである。ここで問題なのは、勝ち組の投資家や著名なカリスマ投資家でも、この点をはっきりと自覚している人は稀で、投資における名著は多く存在しているが、この点をはっきりと明言し、言語化し得た著作がほとんど見当たらないというのが実情であるということである。林輝太郎氏の著作を除いては。この意味では、この「変動感覚」という言葉の言語化という点で、林輝太郎氏の功績は空前のものではないだろうかと私は考えている。或いは絶後ということになるのかも知れない。

それはともかく、このことは突き詰めて考えると、なかなかと難しい問題である。どうやら投資の実践に置いて秀でる能力と、自分が実際に行っている投資という実践行為を、明確に言語化して、プレゼンすることが出来る能力とは、全くの別の次元の才能が必要とされると言って良いだろう。投資に限らず、我々人間の実存の形式とは、そういう風に出来ているらしい。

つまり、投資における優位性あるいは統計的有意性、言い換えると「聖杯」とは、そのかなりの部分が「変動感覚」という実践知・一種の暗黙知に依存しているのであって、この「変動感覚」を身に着けるのには、「頭脳による学習」では全く不十分、と言うより「頭脳による学習」とは別の次元の「学習」が必要で、それには林輝太郎氏の言うように、ある種の修練あるいは鍛錬が必要不可欠の要件として要求されることになる。練習・実践の繰り返しによる「体得」というものが、どうしても必要だということである。この意味では、投資というのは、スポーツと何ら変わるところはないのであって、投資にも「心技体」が必要だということにもなる訳である。





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