ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

意味がなければ、シャウトはない (1)

2018-02-26 00:00:00 | Bruce Springsteen


 今、丁度この本を読み終わったところである。この本を手にした理由は、マイ・フェイバリッツ・ミュージシャンの一人という事もあるが、本になるのに7年もの歳月をかけたという事実に興味を惹かれたからでもある。かなり売れているようで、全米全英共にトップ・ベストセラーになったとか。なかなかと読ませる文章で、生い立ちやキャリアのスタートからその時々に彼がどの様な事を考えて来たのか、興味深い事実と共にロック・スターらしからぬ(?)ウィットに富んだ文体で明晰に描かれている。単なる功成り遂げた著名人の自伝に留まらない魅力を持った本であると言っても贔屓の引き倒しにはならないであろう。ACKNOWLEDGEMENTSにあるMary.Macというのがアシスト・ライターのことなのかパソコンの愛称なのか不明だが、7年掛かったというから、総て彼自身の手になるという謳い文句を文字通りにとって差支えなさそうだ。ブルースは文才にも恵まれているようだ。

 だが、この本独自の魅力は魅力として、クリエイターの本として見た場合、彼もまた「しゃべれないけど、歌えるよ」というミュージシャンの一人であるという感想を私は持った。結局のところ、楽曲から伺われる彼のイメージの方がより明確でもっとエッジが立っていると思われた訳である。FOREWORDには「ever elusive,never completely believable "us"」ともあるが、この本には、そこからはみ出すような、それとはまた違ったブルースの一面が、特に描かれているようには思われなかったというのが私の率直な感想である。これは突き詰めて考えるとなかなかと難しい問題であるが、最終的にこの本もまた彼の楽曲=作品の注釈の域を出るものではないという感想を持ったと言い換えても良い。例えば、後で述べるように「ボーン・イン・ザ・USA」という曲が、どの様な経験や経緯から彼がこういう曲を作ったのかは伝記からは判るにしても、それがどのようにして現在、結果として我々の目の前にあるような作品になったのかという事までは判らない。そこには創造という一種の精神の飛躍があるからだ。当たり前と言えば当たり前だが、この精神活動における創造の秘密は伝記事実を幾ら積み上げても決して判らない。それはただ結果として、即ち出来上がった作品として我々は享受するしかないのであって、この意味では「作者というものはただ作品の結果としてのみ存在する」という私の倒錯した考えを、今回の読書は今さらながらに確認する恰好となった訳だが、この際改めて「作品から伺われるブルース・スプリングスティーン」という「作者」についての考えを文章にして明確にして置きたいと思ったのも事実である。それがこの文章を書くに至った理由であると言えば言えようか。

 まず私の基本的なスプリングスティーン観を述べたものとして、いささか気恥ずかしいが若書きの文章をここで引用したいと思う。これはBorn to Run 30th Anniversary Edition が発売された時に書いたものである。



※   ※   ※





Born to Run 30th Anniversary Edition


今回も番外編で、思わず
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっー!
と叫んでしまう、ファンにとっては何ともうれしい意外な贈り物であります。しかし、こういった何十周年記念アイテムが出ると、ホイホイと買ってしまうのは、確実に懐メロ世代になりつつある兆候かも・・・・うーん(笑)。

以下は、一ファンのいささか興奮気味の感想です。妄言多謝!

 ブルース・スプリングスティーンと言っても、最近では「知っている人は知っている。知らない人は覚えてね。(C)伸介」程度の知名度しかないだろうが、今回取り上げたアイテムは未発表映像DVDが二つ付いていて、むしろそちらの方が売りになっている。その一つはBorn To Run Tour のロンドン、ハマースミス・オデオンでの映像ということだが、こんなとんでもないものが残っていようとは!

 スプリングスティーンがメジャーになったのは、ライブ・パフォーマーとしては全盛期を過ぎてからなので、映像化されたライブ映像やビデオ・クリップも昔からのファンには今ひとつという感は拭えなかったのだが、その渇を癒す感涙もののライブ映像であります。この映像の再現には相当苦労したようだが、75年と言う年を考えると素晴らしいクオリティーのスプリングスティーンのライブが体験できる。暗闇の中からお馴染みの印象的なピアノのイントロが聞こえ、ピアノ、ブルース・ハーモニカ、グロッケンシュピールと言うのか知らん、鉄琴のアレンジだけのThunder Roadが始まると、後はもうスプリングスティーンとE・ストリートバンドの圧倒的なパフォーマンスから眼を離すことが出来ない。「売り出し中」のミュージシャンのエネルギッシュなライブが丸々二時間、後に伝説となった彼のライブ・パフォーマンスの片鱗を窺うことが出来る。驚くのは、すでに自作曲からデトロイト・メドレーやOuater To Threeへというお馴染みの構成が見られることで、彼のライブは、当初から一般に思われているよりも遥かに緻密に計算されショウアップされたものだった事がわかる。何とピアノの弾き語りまで披露しているのには、あっと驚いてしまった。

いやあ、それにしても凄いライブ映像だった!


Bruce Springsteen Thunder Road

 

かってこんな文章を書いたことがある。 

「僕がはじめてスプリングスティーンに、出くわしたのは、スプリングの頃だった。確か***スティーンになったばかりだった。その時、僕は、通りをあてもなくぶらぶらとクルージングしていた、と書いてもよい。突然、向うからやって来たピンクのキャディラックに激突され、降りてきた見知らぬ革ジャンの男が、いきなり僕をフェンダー・テレキャスターで叩きのめしたのである。僕には、何んの準備もなかった。或る深夜、ラジオから偶然聞こえて来たHungry Heartに、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。しかも、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない理解力なぞ殆ど問題ではないくらい敏感に出来ていた。歌は見事に炸裂し、僕は、数年の間、スプリングスティーンという事件の渦中にあった。」

Got a wife and kids in Baltimore Jack
I went out for a ride, and I never went back
Like a river that don't know where it's flowing
I took a wrong turn and I just kept going

ボルチモアに女房と子供がいた。
ふらりと車で出かけ、二度と戻らなかった。
何処へ流れていくとも知れぬ川のように
曲がる方角を間違がえても、そのまま進み続けた。

Everybody's got a hungry heart
Everybody's got a hungry heart
Lay down your money and you play your part
Everybody's got a hungry heart

誰もが満たされぬ飢えた心を持っている
誰もが満たされぬ飢えた心を持っている
賭金を張り、自分の役を演じても
誰もが満たされぬ飢えた心を持っている

Bruce Springsteen - Hungry Heart



 安物のラジオからこの曲が聞こえて来た時、大した英語の語学力の無い青年にも、その歌詞の意味が全くの違和感なく日本語と同じように頭の中に入り込んで来た。雷に打たれたような衝撃が全身を走り、自然と涙が溢れた。それは感動と言うよりは、何かしら、高速で回転する巨大な質量に体の一部が触れ、吹き飛ばされてしまった一種の接触事故とでも言った方が当たっているのかもしれない。この事故で負った重度の傷害に対する集中治療カルテは、彼のレコードを総て買い込み、連日諳んじるほどに聞き込み、ギターを習い曲を覚え、それでも飽き足らずブートレッグを買い漁り、また聞き込んではひたすら曲をコピーする、というものだった。今となっては懐かしい気持ちが先立って、その時には何を考え何を感じていたのか良く思い出せないのは青春の常だろうが、はっきりと言えるのは日々の生活の中で自分の感じ思い描いていたぎりぎりの人間と言うものが彼の作品には描かれていたという事だ。当時の自分にとって彼の作品は、脳天気なビートルズの曲よりも遥かにリアルだったし、高踏的なディランの曲よりも遥かに切実だった。ストーンズなんかは、不良を売りものにした体のいい商品としか思えなかった。青春の偏執とは恐ろしいものである。

 彼の作る曲には、アメリカの風景が鮮やかに切り取られていて、その中に紛れも無い自分と同種の人間が描かれていると思った。確かセブン・イレブンを初めて知ったのも彼の曲でだったと思う。ざらりとしたリアリティーを与えているこういった風俗描写を背景に、彼の作品に描かれているものは、日本のロック・ミュージックによくあるような、ロックンロールのリズムに乗って疾走し、それによって得られるある種の仮構された共有意識や精神的高潔さといった類のものではなく、それらとは全く成り立ちを異にしているもっと現実の生活に根ざした切迫した意識や精神の有り様だ。そこに描かれているのは、国家や社会、家族や友人、仕事といったあらゆるものから孤立し、ある意味でどこにも行くことができない人間だけが持つ、真実や希望という言葉には簡単に置き換えることが出来ない、ある本源的な精神の持つ希求性だと言ってもいい。彼ほど、それらを際立った輪郭を持つ陰画の内に筋金入りのリリシズムでもって歌い上げた者はいない。恐らく今後もいないだろう。

「Racing In The Street」

I got a sixty-nine Chevy with a 396
Fuelie heads and a Hurst on the floor
She's waiting tonight down in the parking lot
Outside the Seven-Eleven store
Me and my partner Sonny built her straight out of scratch
And he rides with me from town to town
We only run for the money got no strings attached
We shut `em up and then we shut `em down

Tonight, tonight the strip's just right
I wanna blow `em off in my first heat
Summer's here and the time is right
For goin' racin' in the street

フュエリーのシリンダー・ヘッドとハーストのフロア・シフトを奢った6.4リッターの69年型シボレーを持っている。
今夜、そいつはセブン・イレブンの駐車場で時間をつぶしている。

俺と相棒のソニーで、一から組上げたんだ。
二人で、町から町へ移動し
俺たちはただ金のためにレースをする、
それ以外のしがらみは無い。
そして、ぐうの音も出ない程、相手を打ち負かす。
今夜、通りはレースにうってつけだ。
最初からぶっちぎってやる。
夏になって、お誂え向きの季節になった
ストリートでレースするのには。

・・・・・・・・・

I met her on the strip three years ago
In a Camaro with this dude from L.A.
I blew that Camaro off my back and drove that little girl away
But now there's wrinkles around my baby's eyes
And she cries herself to sleep at night
When I come home the house is dark
She sighs "Baby did you make it all right"
She sits on the porch of her daddy's house
But all her pretty dreams are torn
She stares off alone into the night
With the eyes of one who hates for just being born
For all the shut down strangers and hot rod angels
Rumbling through this promised land
Tonight my baby and me we're gonna ride to the sea
And wash these sins off our hands

Tonight tonight the highway's bright

三年前レース・ウェイで女に会った。
L.A.から来た男のキャメロに乗っていた。
キャメロを破り、俺は彼女を奪い去った。
しかし、今、彼女の眼の周りにはしわが浮き、
夜は泣きながら眠りにつく。
俺が家に帰ると、内は暗く彼女は呟く、
「今日のレース、どうだったの?」と。

父親の家のポーチに彼女は座り
美しい夢は皆擦り切れ、生まれたことを呪う者特有の目で
一人夜の中を見詰めている。

この約束の地を、轟音を立てて走り抜けていく敗北した見知らぬ奴らとホット・ロッドの天使総てのために
今夜、彼女と俺は海へ行き、今までの罪を手から洗い落とそう。
今夜、今夜はハイウェイは輝いている
邪魔しないで脇にどいていてくれ
夏になって、お誂え向きの季節になった
ストリートでレースするのには


Bruce Springsteen - Racing In The Street (live in Houston 1978)


 フラナリー・オコナーの影響の下に作られた衝撃的な『ネブラスカ』の発売後、何年か経って『ボーン・イン・ザ・USA』が発売された。そのツアーで彼がこの極東の島国にもやって来るという話が伝わってきた。コンサート・チケット発売日直前まで迷っていたが、結局買うのを止めてしまった。それまでは一部の熱狂的なファンはいてもビル・ボードヒットも数えるほどしかなかったのが、このアルバムでスプリングスティーンは、一気にブレイクし、メジャーになった。シングル・カットも軒並み初登場一位で、確か同一アルバムからのシングル・カット初登場一位の連続記録を作ったと記憶している。メガ・ヒットという言葉も確かこの時覚えた。しかし、私にはどうにも気に入らなかった。よくある、成功してしまったミュージシャンに対する昔からのファン特有の捻くれた心情かもしれない。このアルバムに対する違和感がどうにもあったからだ。正確に言うと、メガ・ヒットになったことで、マスコミがこの違和感をいっそう増幅させているように思えたことだ。或はマスコミが増幅させたから、メガ・ヒットになったという事なのかも知れない。それは来日時のコンサート評で、「ボーン・イン・ザ・USA」が演奏され、「born in the U.S.A.」というサビ・フレーズに、会場全体が一体となって一斉にこぶしを振り上げ、大合唱になったという絶賛の文章を読んだ時、現実となった。

昔からのファンの予感は的中したのである。

Born down in a dead man's town 
The first kick I took was when I hit the ground 
You end up like a dog that's been beat too much
Till you spend half your life just covering up 

Born in the U.S.A., I was born in the U.S.A.

Got in a little hometown jam so they put a rifle in my hand 
Sent me off to a foreign land to go and kill the yellow man

Born in the U.S.A., I was born in the U.S.A.


死んだも同然の生気のない町に生まれ
物心付いたときから蹴飛ばされてきた。
殴られ慣れた犬みたいに、一生を終えるしかない
身を守ることに、ただ汲々としながら。

俺はアメリカに生まれた
俺はアメリカに生まれた。

俺は町で小さな問題を起こした。
彼らは俺の手にライフルを握らせ
外国へ送り込んだ
黄色人種を殺すために。

俺はアメリカに生まれた
俺はアメリカに生まれた。


「Born In The U.S.A.」

Bruce Springsteen - Born in the U.S.A.



 この歌詞に対して、アメリカ人と同じようにこぶしを振り上げるという行為は、日本人として一体どういう意味をもつのかという自覚の有無の問い掛けも、暖簾に腕押しであろう。恐らく、他の来日ミュージシャンと同じように、スプリングスティーンも単に今流行のトレンドとして消費されたのに過ぎない。大体、『BORN TO RUN』という彼のサード・アルバムのタイトルにしてからが、『明日なき暴走』になってしまう国なのだから。恐らく、この「ボーン・イン・ザ・USA」という曲の価値とは、そのストレートなロック・サウンドと歌詞のギャップにあると言って良いのだろう。ヴィジュアル的にも、この時の彼は腕を組むのにも苦労するほどに鍛え上げたマッチョな肉体をしていたが、いかにもロック然とした高揚感を持つ楽曲と逆説的な歌詞の組み合わせという、ある意味で誤解をも武器にしていく作品構造になっている。だが、その誤解は、このアルバムがメガ・ヒットとなり、アメリカで社会現象にまでなり、自身がAmerican Icon と化した時、作者の想像の範囲を遥かに超えた処まで進んでしまったのではないか。何を勘違いしたか、このアルバムでワールド・ツアーを組むという愚行もこれを助長したと私には思われる。違和感といったのはこのことだ。 

 その後の彼は、スターに登り詰めたミュージシャンの典型的とも言える行動に出る。長年連れ添ったバンドを解散して一人立ちし、(勿論、その後すぐに離婚する事になるのだが)ファッション・モデルと結婚までしてしまった。「ああ、ブルースよ、お前もか!」と思ったのはジュリアス・シーザーだけではあるまい。最も、彼自身この事に気付いていなかったはずはない。聞くところによると、精神科のカウンセラーにまで通ったと言う。そのことは、その異常とも言える人気の高騰やセールスの好調とは裏腹に、何よりこれ以降のアルバムの低迷、楽曲の試行錯誤が如実に物語っていると思われる。彼にとって、百鬼夜行の日々が続いたのであろう。デイブ・マーシュによると『ボーン・イン・ザ・USA』は、第二の『ネブラスカ』になる危険を孕んでいたということだが、むしろ、ならなかった危険の方が大きかったのではないか。最近の彼は、主にアコースティック・スタイルでしか『ボーン・イン・ザ・USA』を演奏していないが、この事実はそのことを黙示的に示していると私には思われてならない。

彼はアルバムLUCKY TOWNの中のLocal Heroで、こうした自らの姿を曲に描いている。

I was driving through my hometown
I was just kinda killin' time
When I seen a face staring out of a black velvet painting
From the window of the five and dime
I couldn't quite recall the name
But the pose looked familiar to me
So I asked the salesgirl
・・・・・
She said "Just a local hero"
"Local hero" she said with a smile
"Yeah a local hero he used to live here for a while"

ホーム・タウンを暇つぶしにドライブしていたら
ファイブ・アンド・ダイムの店先で
黒いビロードの絵の中の顔がこっちを見つめていた。
名前をどうしても思い出せなかったが
見覚えはあった。
・・・・
あの男は誰か、と店員に聞くと
ローカル・ヒーローよ、と彼女は笑って答えた。
ローカル・ヒーローよ、この町にしばらく住んでいたわ。

・・・・・
They get their local hero
Somebody with the right style
They get their local hero
Somebody with just the right smile

ヒーローを待望している連中は手に入れることになる
ローカル・ヒーローを
それにぴったりと相応しい人物を。
ローカル・ヒーローを
それに相応しく笑う人物を。

Well I learned my job I learned it well
Fit myself with religion and a story to tell
First they made me the king then they made me pope
Then they brought the rope

俺は仕事を覚えた、とても上手く
宗教や作り話を信じるふりをしたら
先ず王様にされ、それから教皇にされた。
そして最後には絞首刑のロープが待っていた。

・・・・・
Needs a local hero
Somebody with the right style
Lookin' for a local hero
Someone with the right smile
Local hero local hero she said with a smile
Local hero he used to live here for a while

彼らは探している
ローカル・ヒーローを 
それにぴったりと相応しい人物を。
ローカル・ヒーローを 
それに相応しく笑う人物を。

ローカル・ヒーローよ、と彼女は笑って答えた。
ローカル・ヒーローよ、この町にしばらく住んでいたわ。

「Local Hero」




 彼の日本のミュージシャンに与えた影響はと言えば、佐野元春、浜田省吾、大友康平、尾崎豊、長渕剛とこの他にも多くの名前が挙がるようだけれど、大胆な言い方をすれば、その影響は表面上の音楽スタイルの模倣に留まり、ロックという音楽様式に内在するこの批評精神を受け継いだのは、恐らく皆無に等しい。日本のロック・ミュージック・シーンでこうした批評精神を持ったミュージシャンが現れるのは、ブルー・ハーツの登場まで待たなければならなかった、そう言っても過言ではないと私は思う。それ程、内にロック魂を蔵したミュージシャンというものは稀なのだと言えようか。

※   ※   ※



 次に、村上春樹氏のスプリングスティーンについて述べた文章を引くが、それは私のスプリングスティーン観と対比して述べるのに誠に好都合な文章であるからである。なんと言っても世界のハルキ・ムラカミですからね、相手にとって不足はない(笑)。或は、同様の趣旨を述べた文章だと取られる方もいるかも知れないが、私には氏の文章は違和感を覚えずには読めない文章である。



※   ※   ※

「ボーン・イン・ザ・USA」は日本においてもアメリカにおいても、往々にして、単純なアメリカ礼賛の歌として捉えられているようだが、実はこの歌の内容もかなり殺伐としたものだ。こんな歌が数百万枚を売るヒット・シングルになったということ自体、ちょっと信じられないくらいだ。ロック音楽史上で、これくらい誤解を受けた曲もないかも知れない。歌詞はこんな内容だ。


救いのない町に生れ落ちて
物心ついたときから蹴飛ばされてきた。
殴られつけた犬みたいに、一生を終えるしかない。
身を守ることに、ただ汲々としながら。

俺はアメリカに生まれたんだ。
それがアメリカに生まれるということなんだ。

・・・・・・・・・


 しかし人々はなぜか、その歌詞の内容にはほとんど関心を払わなかった。たぶんブルース・スプリングスティーン特有の叩きつけるようなしゃがれ声の歌唱のせいで、アメリカ人にとってさえ歌詞の内容を聞き取るのが簡単でない、という事情もあるのだろう。しかしそれにしても、スプリングスティーンがその曲に込めた切実なメッセージは、社会的なレベルで大幅に見過ごされることになった。・・・・・

・・・・・・

 これまでスプリングスティーンの音楽を支えてきた忠実でハードコアな「ボスマニア」たちは、もちろんそのメッセージを即座に理解した。しかし「ボーン・イン・ザ・USA」というメガヒットによってほとんど初めて彼の存在を発見した一般大衆は、歌詞の内容を聞き流し、その曲を現象的に咀嚼した。ジャケット写真にあしらわれた巨大な星条旗も、誤解を生むひとつの要因となった。ブルースがそこに計算した逆説的でシニカルな implication (含み)は、巨大な消費トレンドの中で、なすすべもなく呑み込まれてしまった。そしてそれは皮肉というべきか、「レーガン時代」の始まりと時を同じくしていたのだ。ブルースの側の真意がどのようなものであれ、「ボーン・イン・ザ・USA」の商業的成功の多くの部分が、レーガニズム誕生を支えたのと同じエトスによって支えられていたことには、おそらく疑問の余地はあるまい。」(「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」『意味がなければ、スウィングはない』)

※   ※   ※

 私がこの村上春樹氏の文章に覚える違和感は色々あるがーあえて引用しなかったが、例えば氏のお気に入りのレイモンド・カーヴァーとスプリングスティーンを強引に結びつけて論じている点やその商業的成功と創作的成功を意図的に混同して論じている点など色々とあるのだがー「スプリングスティーンは酒も煙草もドラッグもやらない」というのはご愛嬌にしても(飲酒については今度の本にも言及があって、これは又別の意味で興味深いが)、一番の私との違いは「Born In The U.S.A.」がなぜあれほどの商業的成功を収めたのかという理解の点で、決定的に見方が違うからだ。前の文章では、その事は当然の前提として明確には書いてはいなかったので、ここで明確にしておきたいと思うのであるが、村上氏はこの曲を「物語の開放性」という方法論によって、「ワーキング・クラスの抱えた問題をより広範な普遍的な問題として提示した」という様な非常に高級な議論でもって説明している。その事に異存はないにしても、それはこれまでの彼の曲総てに言える特徴であって、この曲はそれとは少しずれたところに位置している曲だと私は考えるのだ。後で述べるように、村上氏の目には見過されているものがあるのである。

私が何より違和感を覚えるのは、

「ロック音楽史上で、これくらい誤解を受けた曲もないかも知れない。」
「人々はなぜか、その歌詞の内容にはほとんど関心を払わなかった。」
「スプリングスティーンがその曲に込めた切実なメッセージは、社会的なレベルで大幅に見過ごされることになった。」
「しかし「ボーン・イン・ザ・USA」というメガヒットによってほとんど初めて彼の存在を発見した一般大衆は、歌詞の内容を聞き流し、その曲を現象的に咀嚼した。ジャケット写真にあしらわれた巨大な星条旗も、誤解を生むひとつの要因となった。ブルースがそこに計算した逆説的でシニカルな implication (含み)は、巨大な消費トレンドの中で、なすすべもなく呑み込まれてしまった。」

というような村上氏の捉え方で、私自身もこの曲が誤解されたことを認めるのにはやぶさかではないものの、少なくともアメリカ国内に置いては、幾らなんでもこれは言い過ぎであろう。日本などの異言語の外国においては兎も角、本国アメリカではこれ程歌詞の内容が顧みられないということはちょっと考えられないのではないかと思うのですがね、村上さん。ことアメリカ国内に限って言えば勿論誤解もあったであろうが、この曲は基本的には正当に理解され、その正当に理解されたという事その事自体が、正に商業的成功を収めた理由であると私は考えるのだ。この曲については、日本では村上氏の言うようにレーガンが演説で勘違いな言及をしたことが誤解の典型例として挙げられるのが殆ど常套的な紹介文のまくらになっているが、これなぞはこの曲を政治利用しようとしたレーガンの、というよりもむしろ彼のスタッフー恐らくはスピーチ・ライターによる単純なミス、内容の事実関係についての確認を怠った単なるテクニカル・ミステイクというだけの事例に過ぎないと取るべきであろう。それほどこの誤解には普遍性はないのではないかと私なぞは思うのであるが、まあ、洋の東西を問わず政治家とはそういうものであるとまで言ったら、言い過ぎだろうか。アメリカではこのレーガンの言及と並んで、アルバム「ボーン・イン・ザ・USA」のジャケットについては、ブルースが星条旗にオシッコを引っかけている様に見えるという評もあった訳で、その当否はともかくこういった評が出て来ること自体、その歌詞の内容は正当に理解されていたという証ではないかと私は思うのだけれど、どう思われるであろうか。




 結局のところ、この曲の誤解の性質はもう少し錯綜しているように私には思われる。そこには村上氏の理解している誤解の文脈とは異なった誤解の文脈が存在し、この村上氏によるうっかりした文脈の重ね合わせ、いわば微妙に異なった文脈の上書きによる理解が問題をややこしいものにしていると思うのだ。つまり、誤解を言い募る村上氏自身もまた別の筋違いの誤解の中にいる訳である、そう言ったら世にいる数多のハルキスト達には怪訝な顔をされるだろうか。


 その村上氏の理解における端的な誤認部分を指摘すれば、この曲は氏の言うような「ワーキング・クラスの抱えた問題」をテーマとした曲ではなく、「 Vietnam Veterans ベトナム退役軍人の抱えた問題」をテーマとした曲だということである。




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