ものぐさ屁理屈研究室

誰も私に問わなければ、
私はそれを知っている。
誰か問う者に説明しようとすれば、
私はそれを知ってはいない。

暴落はトレンド、トレンドはフレンド 6

2020-05-02 12:20:00 | トレンド・フォロー
先ず簡単に、私の暴落システムについて説明しておくと、手法としてはツナギ売買による日足トレードになる。

日足トレードというのは、場が引けてから、日足が確定したチャートを見て判断を行い、買うにせよ売るにせよ、翌朝の寄り付き成り行きで予約注文を入れるというやり方を取っている。この方法だと場中には一切株価を見なくて済むし、場が引けてから翌朝の場が始まるまでの間の好きな時間に判断を行えば良いので、非常に楽ちんである。掛かる時間も早ければ数秒、長くても数分で終るので、ものぐさにはピッタリという訳である。というよりも、逆に長考すると、考えに考えを重ねて悪手を打つ場合が多いので、なるべく時間を掛けないで、最初に頭に浮かんだ判断に素直に従うよう心がけていると言った方が正確かも知れない。



そして、ツナギ売買とは、両建ての技法で、玉をつないでいくことからつけられた名前のようだが、次のようなポジション・ワーク技法である。

まず、表記だが普通は両建てのポジションを

(ショート)3-2(ロング)

というように表記するのが慣例になっている。
そして、例えば、これから上がると思い

0-1

というポジションを持ったとする。そして、これは得てしてよくある事だが、案に相違して下がってしまったとする。その場合、損切りはしないで、反対玉の売りを入れて、

1-1

とする。そして、その後、再び上がっていくようであれば、ショートを切って、ロングを追加して

0-2

でその上げを取っていく訳である。逆に、さらに下げていくようであれば、ロングを切ってショートを追加して

2-0

で下げを取っていく、といった技法である。実際は、入れる玉も多く、もっと複雑なポジション・ワークになることが多いが、基本的にはこの基本形のバリエーションになる訳である。従って、その前提としては、上げるか下げるかの見極めー相場認識の技術精度が要求されるのは言うまでもない。


そして、次に私の暴落システムの基本型を示す。当選の事だが、まず売りから入る(2-0)訳だが、下げ止まった底の辺りで、ショートを利確してロングを入れ、ポジションをスクウェアにし(1-1)、リバウンドし出したら、ショートを切ってロングを追加し(0-2)、リバウンドの上げを取っていくというものである。普通、暴落時には幾ばくかのリバウンドは必ずあるもので、その下げ上げの両方を取ってやろうという、なかなかと欲張りな、と言うか、えげつないシステムである。


以下、このシステムでもって、今回の暴落に置いて、どのような相場認識の下に、どのように考えて、売り買いを行ったのかを説明する。

先ずは、大局観から説明したいと思うが、これは2015年にまで遡る。次に引くのは、一旦はひっこめてしまったが、2015年の夏ごろに書いた文章の一部である。


<さてさて、というようなことで簡単ではあるが短期ベア中期ブルとの私的相場観を述べてきたので、ついでにここで長期ベア観も述べておくのも良いだろう。まず、前にも引いたが半藤一利氏の興味深い説を再度引く。

「じつは、私はインチキ史観を持っている。インチキ史観というか、遊びと思っていただいてもよい。それをここで語っておく。

日本が開国を迫られ、朝廷が開国と決めたのが慶応元年。その前は幕府が朝廷の勅許を得ず、勝手に開国したということで尊王攘夷運動が起きていたが、結局、攘夷は不可能ということで、朝廷も開国に踏み切らざるをえなかった。つまり、国策として開国が決まったのが慶応元年で、西暦にすると1865年である。

 それから明治の一代目が近代日本をつくるために辛酸をなめながら努力し、日清戦争、日露戦争と勝ち進んだ。とにかく世界の植民地にならず、世界列強の仲間入りをしたと喜んだのが日露戦争に勝ったときである。それが1905年のことで、国策としての開国が決まった慶応元年からちょうど四十年後にあたる。 それから軍部が力を持つようになり、国民もうぬぼれのぼせ、われこそアジア唯一の強国であると世界を敵に回すようになり、太平洋戦争に突入して散々な敗戦を喫した。それが1945年で、日露戦争から数えると四十年が経過している。つまり国をつくるにも、国を滅ぼすにも、四十年なんである。

 その後、占領期間の六年間を除くと、戦後日本は1951年からはじまる。そこから戦後の復興があり、建設があり、経済大国になってバブルのはじけたのが1991年。またしても四十年後の物語になっている。その間、戦後日本は最初から経済大国を目指したわけではなかった。アメリカの政策もあり、日本人は文化国家の創造を目ざしていた。働く人間たちに経済大国を目ざす意識はなかったが、朝鮮戦争などもあって、いつしか経済大国を目ざす流れになっていた。

 私の勝手な史観でいくと、”第一の滅び”は日露戦争にはじまり、太平洋戦争の敗戦で終わった。そこから日本は”第二の国づくり”をはじめ、バブルを経て、”第二の滅び”へと入った。つまり、”終わりのはじまり”がはじまっている。

 私の計算で行けば、2030年が”第二の滅び”の最終年になる。2030年と言えば高齢者人口が全人口の三分の一以上になり、労働人口も四分の一になると予想されている。日本の活力が危機にさらされ、まさに日本の危機である。 ”終わりのはじまり”はまだはじまったばかりである。いまのうちに2030年に最終年を迎えるこの”第二の滅び”を何とかしておかないと、日本は本当に滅びるかもしれない。」(『撤退戦の研究』光文社)

この「インチキ史観」に基けば2030年ごろに日本の転換点がやってくることになる。つまり、時期的にいって今回のブル相場が終わった後のベア相場の最悪期あたりになりそうである。山高ければ、谷深し。恐らく日経平均は最安値を更新するのではないか。その時にはそれを象徴するような未曽有の大事件が勃発するのではないかと考えているが、今のところそれが何であるのかは判らない。

アベノミクスのツケが回って財政破たんするのか、社会主義中国北朝鮮の崩壊時の戦争に日本も巻き込まれて多大の被害を受ける(核ミサイルの存在は脅威である)のか、東南海大地震が起きて日本沈没となるのか、はたまたGODZILLAあるいはシトが日本を襲うのか(笑)、あるいはそれらのうちいくつかが同時に起るということもあるのかもしれない。

そして、そこから日本は”第三の国づくり”を始める事になる訳である。なに、苦境に強いのは日本人の強みであって、日本はまたしても復興するのは間違いないだろうが、好調時にうぬぼれるのもまた日本人の弱みでもあって、2070年ごろにはまたもや「アジアの盟主」だとか「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」とかうぬぼれて必ずやへまをしでかすのであろう。

この「四十年」という周期は何に由来するのか、勿論分析の限りではないが、恐らく時代を担う現役世代が交代する周期がこれくらいなのであろうと思われる。つまり、「経験に学び」それが通用するのは高々「四十年」でしかないとも言えるのであって、やはり「歴史に学ぶ」必要があるということである。とまあ、このように書いてきたものの、何分「インチキ史観」であるのでこれを信用するには当たらない。(「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」2015/08/30)>


ということで、GODZILLAが日本を襲うという私の予言は、見事シン・ゴジラとなって的中した!訳であるが、実際に顕れたのはシン・ゴジラならぬシン・コロナであったというのは、シャレにもならない話である。新コロナウィルスについては様々な仮説や憶測、悲観論や楽観論が錯綜しているが、専門家にも本当のところはまだ良く判らないというのが真実であろう。それにしても、この間の日本政府の対応を見ていると、日本人というのはつくづくリスク・マネージメントが不得意だなあと思わざるを得ない。恐らく非常事態宣言による経済への波及効果なぞは、試算もしないで実行に移したのではないか。例えば、これまで「緩やかに回復」と白々しくも言いつづけて消費税を増税して置いて、四月の月例経済報告で、10年11ヶ月ぶりに新型コロナという絶好の口実を得て、今更「悪化」としたことが象徴的で、私の目には、「インチキ史観」のシナリオに沿って日本は、着々とその歩みを進めているようにしか見えない。

なお、これは余談だが、誰も指摘しないので、「自粛要請」という言葉のおぞましさについて一言述べておきたい。これは山本七平のいい方で言えば「空体語」、ジョージ・オーウェルの言い方で言えば「ニュー・スピーク」という事になろうが、そもそも「自粛」は促すものであって、「要請」するものではない。「要請」するなら「休業」のはずであるが、なぜこのような胡乱な論理のすり替えを行うのかと言うと、そこには「休業補償」をしたくないという政府=財務省の下心が透けて見える、そう考えるのは私だけではないだろう。実際、「休業補償」も「協力金」なる「空体語」へとすり替えられて、一律50万円という算定基準や給付基準も良く判らない支給でもってお茶を濁させられているのは、ご存じの通りである。また、現在の日本の法体系においては、強制的な禁止は出来ないので、マスコミを使って実質休業に追い込むよう「空気」の醸成があからさまに行われているが、そのためにパチンコ店が槍玉に挙げられているのは、戦時中の「隣組」による相互監視体制やそれによる「非国民」の糾弾・摘発を連想させられるが、そう思うのは私だけであろうか。これもまた「非常時」や「非常事態」に特有の、実に日本的なおぞましい「空気」によるものであろう。

まあ、「空気」は読むものだと考えている人には耳に念仏であろうが、「空気」は本来水を差すものである。



それはともかく、従って、このシナリオによれば、日本はバブル崩壊によって四十年周期のダウントレンドへと突入したのであって、アベノミクスによる上昇相場も単なる綾戻しでしかないので、バブル期の高値を越えることは無いという見立てになる訳である。

そして去年の時点で考えていたのは、これは同じように考えていた人も多いのではと思うが、特需が剥がれるオリンピック開始前後が、アベノミクス相場の終わりになるのではないか、ということである。ただ、これだけなら単なるシナリオでしかないのであって、このシナリオを実際の相場展開の中において、修正を加えながら読み込んでいく相場認識の技術が伴わなければ絵に描いた餅であるのは言うまでもないだろう。つまり、これは実に当たり前の話であるが、実際に餅を得ることが出来るのかどうか、ここが相場認識技術の腕の見せ所であるということである。