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劇場広場とボリショイ劇場

2010-01-31 | ★バレエ・オペラ★
劇場広場は、モスクワのど真ん中ということもあり、興味深い建造物や記念碑が沢山あります。

その内の一つが、日本でも大変良く知られているボリショイ劇場。
(現在は大掛かりな改装工事中ですので、今モスクワに来ても、トップの写真にあるようなボリショイ劇場の美しい姿は見られません。元々工事は2008に完了する予定だったのですが、延びに延びて、今は2010年末から2011年初旬にかけてリニューアル・オープンする予定だといわれています)。

革命前までは、どちらかというとボリショイ劇場はペテルブルクにあるマリインスキー劇場に次ぐものとされていましたが、ソ連時代になってからは、「ソ連芸術の顔」として広大なソ連中から最優秀なバレエダンサーやオペラ歌手が集められ、名実ともに「ソビエト社会主義共和国連邦」を代表する劇場となりました。

尚、改装工事中は、2002年に建設された隣接する新舞台で演目が上演されています。

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

(トップの写真はこちらから)

劇場広場の偉人カール・マルクス

2010-01-30 | ★歴史★
「メトロポール・ホテル」ですが、遠くから見るとこんな感じです(トップの写真)。
ボリショイ劇場がある「劇場広場」に位置しています。
赤の広場から歩いてすぐの所です。

ところで、この写真を撮影したのは休日の午前中でしたので、車がほとんど走っていないのですが、平日はモスクワの交通事情を象徴するように、ここはいつも「大渋滞」となっています。
(尚、このだだっ広い道路は、一方通行であることに注意!)

正面に見える大きな灰色の建物が、メトロポール・ホテル。

そして、小さくてあまり良く見えないかもしれませんが、その手前に長いあごひげをはやした、大きな胸像があります。
こちらは、『共産党宣言』を書いたドイツの経済学者カール・マルクスです。



平日の、いわゆる車が「大渋滞」している時には、その様子がまるで、上から困ったような顔をして、目の前に連なる高級車の行列を眺め下ろしているかのような印象を与えるので、なかなかユニークです。
土台には「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」“Proletarier aller Länder, vereinigt Euch!”というマルクスの有名な言葉が彫りこまれています。

トップの写真の向かって左手には、・・・この写真には写っていませんが、ボリショイ劇場があります。
そして突き当たりに見えるオレンジ色の建物は、旧KGB本部庁舎です。

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

天才画家ヴルーベリとメトロポール・ホテル

2010-01-29 | ★美術★
「ロシア・モダニズ」様式を代表する建造物「メトロポール・ホテル」ですが、とても有名な壁画(陶器)があります。
狂気の天才画家ヴルーベリが描いた『遙かなる姫君』("La Princesse lointaine"1896)からのモチーフです。


(写真はこちらから)

『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として有名な19世紀末フランスの劇作家エドモン・ロスタンが大女優サラ・ベルナールのために書いた戯曲『遙かなる姫君』が、この壁画の主題となっています。

中世の悲恋を描いたこの劇は、本国フランスではあまり成功しなかったようですが、ロシアではペテルブルクで上演され、崇高なる愛と永遠の美を求めるロマンチックで悲しいストーリーが「銀の時代」のロシアにはピッタリとはまり、大ヒットします。

ヴルーベリはニジニー・ノヴゴロドの展覧会に出すためにこの絵を描きますが、結局帝国美術アカデミーの審査員たちから展覧会に展示するのは不適当だとの理由から落とされてしまいます。
しかしヴルーベリを非常に高く評価していた実業家のサーワ・マンモントフが別のパビリオンでこの絵を展示し、美術批評家から絶賛されます。

「メトロポール・ホテル」建設の際、サーワ・マンモントフはこの絵を陶器にして壁画としてホテルの外壁に飾りました。
オリジナルは、トレチャコフ美術館の「ヴルーベリの間」にあります。

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(トップの写真はこちらからです)

メトロポール・ホテルと革命軍の記念板

2010-01-28 | ★歴史★
ところでネグリンナヤ川の話が出ると引き合いに出されることが多い、由緒あるロシアの超高級ホテル「メトロポール」。
ボリショイ劇場の向かい側、劇場広場に位置しています。

ロシア「銀の時代」=ロシア・モダニズムを代表する建築物の一つです。
有名なロシアの実業家・大富豪で、数多くの芸術・芸術家のスポンサーとして歴史に名を残したサーワ・マンモントフのイニシアチブで建設された美しいホテルです。

もともとはマンモントフの「趣味」を反映した客席3000席の私設オペラ劇場、ギャラリー、ホテルとレストランを含む巨大な文化施設として計画され、建設が始まったメトロポールですが、同年にマンモントフが公金横領の虚偽の罪で逮捕・投獄されてしまいます。(劇場、ギャラリーの計画はなくなります)

その後、今度は1901年に建設中の建物で火事がおこり、建設はほとんど「振り出し」に戻ってしまいます。

1917年のロシア革命勃発時、ここはフルンゼが率いる革命軍に激しく抵抗する白軍の仕官候補生たちによって占拠され、激戦地となりましたが、ネグリンナヤ川の「祟り」を思わせるホテルの歴史は、取り敢えずこの事件を最後に終止符が打たれます。


(記念板の写真はこちらから)

その後は、ソ連を代表する高級ホテルとして、外国からの貴賓を向かい入れ、女優マリーネ・デートリッヒや、作家のショー、ブレヒト、スタインベック、そして毛沢東まで宿泊したそうです。

ソ連が崩壊した後も、そのステータスは変わらず、アルマーニや、エルトン・ジョン、マイケル・ジャクソンなどが宿泊したホテルとして知られています。

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「若い娘が教会のコーラスで歌っていた」

2010-01-23 | ★文学★
ロシア「銀の時代」を代表する詩人アレクサンドル・ブロークの続きです。

ロシアでは(ソ連時代も含め)「詩の朗読会」というのがとても盛んでした。
最近ではさすがにだいぶマイナーになってきたようですが、それでも有名な詩人の朗読の夕べなどはテレビでも放映されますし、客席数1000席のホールなども簡単に満席になったりします。

こうした詩の朗読会ですが、20世紀初頭、それも革命直後から第二次世界大戦勃発の時期にかけての20年くらいが特に盛んでした。労働者などの大衆をイデオロギー的に「啓蒙」していくのに、詩がもっとも適していた、ということがあるからのようです。

ブロークは極力こうした「朗読会」にかりだされることを避けていたようですが、それでもどうしても出演しなければならない時などもあったようです。

そうした「朗読会」のひとつ、ブロークが最後に公の舞台に立った時のことです。
舞台の中央に出て、まるで途方に暮れたかのようにしばらく無言で佇んでいたブロークに、観客席から「『十二』」の朗読を求める声がしきりにとびます。
ブロークは困惑したように。あたかもそのまま舞台裏にさがろうとするかのような素振りを見せますが、『十二』を求める声は一段と大きくなって怒涛のように押し寄せてきます。

ついにたまりかねて、
「ロシアについての詩を読みます」
と一言つぶやいて、ブロークはまた黙ってしまいました。

一瞬聞く態勢に入って静かになった観客は業を煮やして、もっと大きな声で『十二』をコールし始めます。

そして次にブロークが口を開いて朗読し始めたのが、・・・このブログの1月12日で取り上げた『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』という詩でした。

ここでもう一度、1月12日にとりあげたベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のために撮影されたCM「詩人シリーズ」・ブローク『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』の動画に戻ってみましょう。

動画はこちらです。(動画:1分17秒)

教会のコーラスで歌っている「白いドレス姿の若い娘」は、ブロークが生涯を通して追い求めてきた「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」その人です。そしてそれはまた、ブロークにとっての「ロシア」の化身そのものでもあったのです。

聖堂の暗い闇の中から、「夢」と「希望」の祈りを込めて、ブロークはその「ロシア」の歌に聞き惚れます。
教会の中で「若い娘=ロシア」が歌っているのは、「ロシア」のために戦いに行った人々のために捧げられた歌で、その神々しい歌声を聴いているブローク自身をはじめとする人々は、その歌声の先に明るい未来があると信じているわけですが、実際には誰もその戦いから戻っては来られないことを、天空にいる幼子(イエス・キリストでしょうか)だけが知っていて、悲しんでいる・・・。

詩人アレクサンドル・ブロークは、新しいロシアの誕生を歓迎していました。
長編詩『十二』に如実に表現されているように、革命の野蛮さ、狂気といったものも充分認識しながらも、新しい世界が到来することの必要性を強く感じていました。
しかしそれと同時に、自分自身は決して「新しいロシア」や「新しい世界」に属すことができないことも知っていました。

そして、そうしたことを全て認識しながらも、敢えて「教会の光りの中で歌う若い娘(「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」)」=「ロシア」の理想や夢に静かに身を捧げようとするその精神に、ロシアの人々はたまらなく惹かれ続けるのだと思います。

ドン・キホーテのような「愛」とでも言うのでしょうか。
・・・ということで、こうしたドン・キホーテ的な愛の中にも、「ロシア」を読み解く鍵があります。
(トップの写真はブロークの最後の写真で、1921年6月に撮影されたものです。こちらから)

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詩人ブロークの記念像

2010-01-17 | ★文学★
「銀の時代」、そしてロシア史上「最も詩人らしい詩人」であるアレクサンドル・ブロークの続きです。

モスクワの中心。優雅な静けさに包まれた一角。
スピリドーノフカ通りの6番の前に、まるでこの一角を覆う静寂を支配しているかのような、大変雰囲気のある記念像があります。



詩人アレクサンドル・ブロークの記念像です。
彫刻家コモフが限りない愛情を注いでつくりあげたと言われるこの記念像は、ブローク自身が持っていた雰囲気だけではなく、ロシアの人々がブロークに対して抱いている感情や、どのようにブロークを見ているかという「ロシア人のブロークに対する眼」というものも、とてもうまく伝えていると思います。

同時代の人々の回想録を読むと、皆一様にブロークの「大理石でできたギリシア彫刻のように」端整な顔立ちと、生まれながらにして供え持っている物静かな気品を称えています。ブロークの詩に対して好意的であった人も、そうでなかった人も、その点は変わりません。
また、ブロークと同時代に生きた人々は、口をそろえてブロークのことを「詩人そのもの」と形容しています。

「ハンサム」で有名であった詩人(例えばエッセーニン)や、殊更「詩人」らしい振る舞いをしてきた詩人(例えばマヤコフスキー)など色々いるのですが、存在そのものがまるで「詩」であるかのような人というのは、ブロークをおいて他にはいませんでした。

ブロークほど「敵」にも「味方」にも人間的に尊敬されてきた詩人、「敵」にも「味方」にも「理解」していると思われ、「共感」を持って受け止められてきた詩人はいないと思います。
また同じくらい「敵」にも「味方」にも恐れられ、歪められ、利用され、「理解されてこなかった」詩人もいないのではないでしょうか。

日本では全くといってよいほど知られていないアレクサンドル・ブロークですが、実は、彼は時代の中で置き去りにされたロシアの一部、時代の一部をそっくりそのまま体現していると言えます。

ロシアの人々が心の中で大切にしている「ロシア」そのものを・・・。

それがいったいどんな「ロシア」であるのかを知るためには、ブローク自身のことをもう少し詳しく知るのがベストです。

ベクマンベトフ監督パステルナーク訳詩

2010-01-13 | ★文学★
ハリウッドへの進出も果たした現代のロシア映画界を代表するベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」第3弾です。

おそらく「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」の中でも最も胸を打つ作品であるといえるのが、グルジアの詩人バラタシュヴィーリ原作の『空の色、青色』をロシア銀の時代最後の巨匠パステルナークがロシア語に翻訳したものを題材としている作品でしょう。

動画はこちら。(動画:1分39秒)

この作品の中で使用されている映像を担当したのはグルジア出身のレオ・ガブリアッゼで、詩の朗読をしているのはガブリアッゼの父親で有名な作家・演出家・画家のレゾ・ガブリアッゼさんです。
レオ・ガブリアッゼは現在、ロシアのCM業界を代表する監督となっています。

ニコロズ・バラタシュヴィーリは、1817年に生まれ1845年に亡くなったグルジアの「ロマン主義派」詩人です。


(肖像はこちらから)

生前は一切出版されることなく、最初に彼の詩作品のいくつかが印刷されたのが死後7年たってからのこと。
そして1876年に彼の最初の詩集が出版されたのですが、それ以降バラタシュヴィーリはグルジアで最も人気のある詩人となったとのこと。

バラタシュヴィーリの詩が最初にロシアに入ってきたのが1922年、つまりソビエト政権になってからのことで、ボリス・パステルナークによる詩作品『空の色、青色』のロシア語訳が出てからはロシアでも爆発的に人気が出ました。

ちなみに、昨日(1月12日)で触れたブロークの詩を題材とした映像ですが、日本でも大変人気のある映画『ドクトル・ジバコ』をどことなく思い出させます。
その映画『ドクトル・ジバコ』の原作(長編小説)を書いたのが、ロシア銀の時代の最後の巨匠ボリス・パステルナークです。


(写真はこちらから)

パステルナークは優れた作家(1958年ノーベル文学賞(受賞を辞退))、詩人(銀の時代の中の「未来派」に属します)であったばかりでなく、大変優れた翻訳家でもありました。
特に、シェークスピアの『ハムレット』やゲーテの『ファウスト』の翻訳は、名訳中の名訳であるとされています。

そしてこのグルジアの詩人バラタシュヴィーリ原作の『空の色、青色』も、パステルナークの翻訳によって第二の生を受けたと言っても過言ではないでしょう。

空の色、青色
Цвет небесный, синий цвет

空の色、青色が、
わたしは幼い頃から好きだった。
子供の頃、空色は、
異郷の青さを思わせたもの。

そして今、わたしは人生の
折り返し地点に達した。
でも、だからといって、水色よりも
他の色が好きだなんていうことはない。

空色、まったくもって美しい色。
それはわたしが愛しているあなたの眼の色。
それは青さを存分に吸った
あなたの底なしの眼差しそのもの。

空色、それはわたしの夢の色。
それは高峰の色。
この水色の溶液の中に、
大地の広がりがどっぷり浸かっている。

それは、日常の喧騒から
未知の世界へわたしを導く色。
そしてわたしの葬式で涙を流す身近な人と
わたしをつなぐ色。

それはわたしの墓石に
薄っすらとはった霜の蒼色。
それはわたしの名前の上に広がる
灰青の冬の煙の色。

Nikoloz Baratashvili = Boris Pasternak

ちなみにこのロシア広告業界の歴史に残る一連のCMを生んだ「スラヴャンスキー銀行」のHPはこちらです。

ベクマンベトフ監督ブロークの詩

2010-01-12 | ★文学★
ベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」の続きです。
マンデリシュタームの詩『森の中でクリスマスのもみの木が、金箔色に燃えあがる』と同じくらいインパクトの強い映像をもう一つ。

こちらも同じく「ロシア銀の時代」(19世紀末から20世紀初頭)を代表する象徴派の詩人アレクサンドル・ブロークの詩『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』(1905年作)を題材にしたCMで、マンデリシュタームのものと同じように、とてもよく詩そのものの雰囲気、時代の雰囲気、アレクサンドル・ブロークという偉大な詩人その人がかもし出していた雰囲気を表現しています。


(ブロークの写真はこちらから)

プーシキンがロシアの「黄金時代」を代表する詩人であったのに対して、ブロークは「銀の時代」を代表する詩人です。
この、ブローク自身に関しては後日改めて触れたいと思います。

ベクマンベトフ監督の「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」・ブローク『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』の動画はこちらです。(動画:1分15秒)

若い娘が教会のコーラスで歌っていた
Девушка пела в церковном хоре

若い娘が教会のコーラスで歌っていました。
異邦の地にいる全ての疲れ果てた人々について、
海の彼方に消えていった全ての船について、
自分の喜びを忘れてしまった、全ての者について。

彼女の歌声は高く、ドームに向かって舞い上がり、
白い肩には光がさして煌いていました。
教会にいるすべての者が暗闇の中から、
白いドレスの娘が光の中で歌うその様子に聞き惚れていました。

そしてその歌声を聴きながらみんなは思っていました。喜びが訪れるに違いないと。
彼方に消えていった船はきっと穏やかな入江に入ったに違いないと。
疲れ果てた人々は、異邦の地で
光に満ちた明るい人生を手に入れたに違いないと。

そして声は甘く、光は繊細で・・・。
ただ一人高く高く、天の門の前で
神秘を司る幼子が一人、
誰も戻ってこないことを悲しんで泣いているのでした。
Alexander Blok

ベクマンベトフ監督マンデリシュタームの詩

2010-01-11 | ★文学★
モスクワに住んでいると、「詩」というものがどれほど深く人々の生活に根付いているか実感させられることが多々あります。
若者に人気のあるロックやポップスの歌手たちが、「古典」とも言える詩人たちの詩を歌詞にした歌を歌っていたり、何気ないビジネス会話の端々に詩の引用が出てきたり・・・。
テレビのコマーシャルなどもその良い例です。

最近のロシアのテレビは、良し悪しは別にして、全体的に内容が単純化してきたように思われます。各局の番組そのものもそうですが、特にコマーシャルは直接的なもの、判りやすいものが主流になってきたようです。

しかし中には「忘れられない名作」というものもあります。
そうした「忘れられない名作」の一つが、現代のロシア映画界を代表するティムール・ベクマンベトフ監督が撮った「スラヴャンスキー銀行」のコマーシャル「詩人シリーズ」です。


(ベクマンベトフ監督の写真はこちらから)

2007年に放映されたCM「スラヴャンスキー銀行」の「詩人シリーズ」は、アンジョリーナ・ジョリーを主演にむかえた『ウォンテッド』(2008年日本公開)でハリウッド進出を果たしたカザフスタン生まれで現在はロシアで活躍をしているティムール・ベクマンベトフ監督が、1993年から1996年にかけて撮影した一連のコマーシャルで、世界の広告業界でも様々な賞を受賞しています。

詩人マンデリシュタームが17歳の時に書いた『クリスマスのもみの木が、森の中で金箔色に燃えあがる・・・』という有名な詩も、この、ベクマンベトフ監督の「名作」=「スラヴャンスキー銀行」のCMシリーズに使用されています。

わずか1分間という短い時間の枠組の中に、マンデリシュタームの詩作品が持っている特質、そしてマンデリシュターム自身の悲劇的な人生を凝縮させた、一度見たら忘れられないみごとな作品です。

銀行そのものの「宣伝」は、「スラヴャンスキー銀行」というロゴの表示のみで、あとはベクマンベトフ監督の独特な映像美と、マンデリシュタームの詩の朗読によって1分間が構成されています。

『クリスマスのもみの木が、森の中で金箔色に燃えあがる・・・』という、ロシアの子供たちが高校で習う有名な詩と、「スラヴャンスキー銀行」とのつながりは全く不明です。・・・というか、つながりは「ない」のでしょう。

もともとこの詩はマンデリシュタームの孤独や疎外感、「宗教」との複雑な関係といったものを描いたものです。
ベクマンベトフ監督はこの「孤独」や「疎外感」の上に、更にマンデリシュタームの人生を飲み込むことになる歪んだ時代の姿をオーバーラップさせています。

どちらかというと、映像や詩が「スラヴャンスキー銀行」を宣伝しているというよりは、「スラヴャンスキー銀行」がスポンサーとなって、マンデリシュタームの詩を原作としたベクマンベトフ監督の1分間の「映画」を放映している、といった印象を受けます。

百聞は一見にしかず。
動画はこちらから観られます。
(ちなみに下記詩の訳文も掲載しましたが、この訳文を読むよりも、動画を見た方が詩の内容がわかりやすいと思います・・・)

『クリスマスのもみの木が、森の中で金箔色に燃えあがる・・・』
Сусальным золотом горят
森の中でクリスマスのもみの木が、
金箔色に燃えあがる。
潅木の間からは、おもちゃのオオカミたちが
恐ろしい目で睨んでいる。

ああ、予見力のあるわたしの悲しみよ、
ああ、静かなわたしの自由。
そして死んだ天空の丸屋根の
笑い続けることをやめないクリスタル!
Osip Mandelstam

詩人マンデリシュタームの記念板

2010-01-10 | ★文学★
モスクワの繁華街プーシキン広場からアルバート広場を結ぶのが、緑の美しいトヴェルスコイ並木通りです。

このトヴェルスコイ並木通りは年間をとおして市民の憩いの場となっています。
歩行者しか通れない幅広い並木道が真ん中を通り、その両サイドをそれぞれ一方通行の車道がのびています。


(夏のトヴェルスコイ並木通りはこんな感じです)

そして、革命前の貴族の邸宅をはじめ、古くて美しい建物群がたち並んでいるのですが、その内のひとつの外壁に設置された記念板が、この地区一帯が持っている「香り」と融合して不思議な雰囲気をかもし出しています。

これは、1891年にワルシャワで生まれ、1938年にヴラジオストック近郊の強制収容所で亡くなったロシア銀の時代の詩人の一人オシップ・マンデリシュタームがかつてこの家に住んでいたことを示す記念板です。


(マンデリシュタームの写真はこちらから)。

地下鉄(12) Kievskaya駅

2010-01-09 | ★モスクワの地下鉄★
モスクワの地下鉄「茶色いライン(環状線)」。
動物園があるクラスノプレスネンスカヤ駅を出発して、時計回りに進み、最後のキエフスカヤ駅に到着しました。
1954年に開通した、壁面、天井のモザイク画が美しい明るい雰囲気の駅です。



「青いライン」「水色のライン」への乗り換えができます。
地上にはウクライナの首都キエフへ向かう列車の発着駅があります。
また、すぐ目の前にモスクワ川が広がり、夏の「モスクワ川くだり」のフェリーの発着場もここにあります。

ウクライナやロシア南部からの列車が到着する駅ということもあり、以前から野菜や果物を山のように抱えた人々が路上で即席露天を開いたりするにぎやかな場所でしたが、最近はこうした露天商が見られなくなった代わりに、「ヨーロッパ」という巨大なショッピングモールができて、若者に人気のデートスポットになっています。

駅構内の装飾は「ウクライナ」と「ロシア」の友愛がモチーフになっており、ロシアの国民的詩人プーシキンがウクライナにいる様子(トップの写真)や、ウクライナの大詩人シェフチェンコがモスクワで他の文学者たちと交わっている様子が描かれたモザイク画などが目を惹きます。



そして奥には・・・ここにもちゃんといます。ロシア革命の父レーニンのモザイク画です。




地下鉄(11) Park Kultury駅

2010-01-08 | ★モスクワの地下鉄★
地下鉄「茶色いライン(環状線)」に戻りましょう。
クラスノプレスネンスカヤ駅を時計回りに出発して11番目の駅。
「茶色いライン」の「Park Kultury(パルク・クリトゥールイ)」駅は、赤いラインの同名の駅と交わっています。



1950年に開通した駅で、一応東京の山手線のようにぐるっと回っている地下鉄環状線の始発の駅ということになっています。

「Park Kultury(パルク(公園)・クリトゥールイ(文化の))」というのは、「文化公園」という意味で、駅の近くに「マクシム・ゴーリキイ記念文化・休息・中央公園」という大きな遊園地兼市民公園があるため、このように命名されています。

この公園、今は「文化公園」と略して呼ばれることがほとんどですが、以前はソ連を代表する作家の一人「ゴーリキイ」の名をとって、「ゴーリキイ公園」と呼ばれていました。



そしてこの「ゴーリキイ公園」という名称は、マルチン・クルス・スミス原作の犯罪小説・映画『ゴーリキイ公園』で世界的に有名になりました。

「茶色いライン」の「文化公園」駅の構内は、市民の休息がテーマとなっており、サッカー、スケート、踊り、チェスなど、ゴーリキイ公園で実際に人々が好んで過ごしてきた憩いの時を描いた白い大理石のレリーフが美しいです。



話しは少し変わりますが、夏は涼しく、冬は暖かい地下鉄構内は、モスクワっ子にとって快適な「待ち合わせ場所」となっています。
下の写真は、まったく同じ日の同じ時間に撮影した写真です。





こうして「待ち合わせ」をしている人の多くが、本を片手に持っているのを見ると、最近ロシア人の「読書量が落ちた」と言われているものの、まだまだロシアが「世界一の読書量」を誇っているのを実感させられます。

もみの木祭り

2010-01-05 | ★その他もろもろ★
ロシアの子供たちにとって、お正月の最大のイベントのひとつである「もみの木祭り」。

「もみの木祭り」は、もみの若木を飾りつけ、それを囲んで歌や踊りや色々なゲームが行われる子供のためのお祭りで、その際、マローズ(厳寒)じいさんが子供たちにプレゼントをあげるのがこのお祭りのクライマックスです。
所謂、西洋のクリスマスの、ロシアバージョンとでも言いましょうか。

マローズじいさんは最初からその場にいるのではなく、子供たちに「呼ばれて」登場します。
そしてマローズじいさんの孫娘であるスネグーラチカ(雪娘)は、子供たちとマローズじいさんの間をつなぐ、マローズじいさんのアシスタント的な役割を果たします。

実は1920年代中頃から1935年までの間は、「もみの木祭り」は「宗教の一種」であるとして、宗教を弾圧しているソ連政府によって祝うことが禁止されていました。
しかし1935年に、子供たちの祭りとして「もみの木祭り」が正式に解禁され、それ以降は(宗教色は払拭された形で)子供たちにとっての最大のイベントとなりました。
今日にいたるまでクレムリンの大宮殿で開催される「もみの木祭り」に行くことが、多くの子供たちの夢となっています。

尚、「もみの木祭り」で子供たちがマローズじいさんを「呼んで招待する」事の中にも、「祖先」を呼ぶ儀式を行うロシアの原始宗教の名残が見られます。そして、ロシアの原始宗教では、家を訪れる客人は誰もが「祖先から送られた人」として、喜んで迎え入れ、最大限にもてなさなければいけないとされていますが、その慣習もこのマローズじいさんを迎え入れる儀式の中に残っています。

トップの写真は、ソ連時代の「もみの木祭り」の様子です。
実は、この中にadmin(二人の内の一人)が混じっています。

「もみの木祭り」の雰囲気は今も当時も変わらないようです。

スネグーラチカ(雪娘)の登場

2010-01-04 | ★その他もろもろ★
マローズじいさんとセットで出てくる白と水色に彩られた毛皮の上着を着た少女。
これはロシアのお正月シーズンの主役の一人「スネグーラチカ」です。

ロシア語で「スネグ sneg」というのは「雪」という意味。
要するにスネグーラチカは「雪娘」ということです。

マローズじいさんがサンタクロースに該当するのに対して、スネグーラチカに該当するイメージは、西欧にはなく、ロシア独特の登場人物のようです。


(イラストはこちらから)

ロシアの劇作家オストロフスキーが1873年に戯曲『雪娘』を完成させました。
これはマローズじいさんと、春クラスナ(ヴェスナ・クラスナ)の娘として生まれ、太陽神ヤリルに捧げる夏の儀式の最中に、融けて消えてしまう雪娘を描いた、悲しいお話しです。

1881年、オストロフスキー原作の『雪娘』はリムスキー・コルサコフ作曲のオペラとして、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場の舞台で初演を迎え、大変な評判となりました。
リムスキー・コルサコフは、『雪娘』を自分が作曲した作品の中で最も優れたものとして高く評価していました。そして事実、今日にいたるまでリムスキー・コルサコフの『雪娘』は、ロシア・オペラの最も人気のある演目の一つとして頻繁に上演されています。

スネグーラチカはその後、独自の転生を続け(マローズじいさんの「娘」から「孫娘」に変化)、やがてロシアの子供たちが一番好きな「もみの木祭り」(ヨールカ)の主役の一人となります。

1935年以降、それまでマローズじいさんの脇役にすぎなかったスネグーラチカは、ロシアのお正月シーズンの主役級に昇格し、子供たちが大好きな「もみの木祭り」をマローズじいさんとともに今日に到るまで仕切っています。

トップのイラストはこちらから。

マローズじいさんの正体

2010-01-03 | ★その他もろもろ★
もう少しマローズじいさん(厳寒じいさん)= Ded Moroz の正体について触れたいと思います。

マローズじいさん(厳寒じいさん)のイメージですが、前述したように古くからロシアの伝説や、神話に登場するイメージです。
元来、東スラブの原始宗教では、畑の作物や人を凍らせ、殺してしまうこともできる厳格な神として人々に恐れられてきたのと同時に、「祖先」の体現とも考えられていましたので、畏敬の念も集めてもいました。

民話から派生した文学作品の中では、最初は冷酷な冬の森の支配者、<冬将軍>的なイメージとして登場します。幼子がいる若い未亡人を平気で凍死させられるような残忍さを持った冬将軍としてマローズじいさん(厳寒じいさん)を描いた詩人ネクラーソフの詩作品などが有名です。

しかしやがてマローズじいさん(厳寒じいさん)には善人イメージの分身が出てきます。
この善人イメージの分身は、子供用の詩作品に登場し、冬におこる色々な《魔法現象》をしきる機能を持つようになります。

この、「善い魔法使い」のようなイメージと、当初の、冬の森を支配する残忍なイメージが融合し、冬の自然界、即ち自分の《王国》を《ダイヤ、真珠、銀》で染め上げるマローズじいさん(厳寒じいさん)のイメージとなるのです。


(イラストはこちらから)

またこれと同時に、都市ではピョートル大帝によって西洋から導入された「もみの木」を支配する神話的人物(サンタ・クロース、聖ニコラなど)のイメージが、ロシアの土壌に合うように少しずつ修正を加えられ、形成されていきます。

この修正は、子供達の「どうして家の中にもみの木があるの」とか、「誰がもみの木を持ってくるの」とか、「プレゼントは誰がくれるの」といった素朴な質問に答える形で加えられていきました。

こうした西洋から入ってきてロシア的なものに修正されたサンタ・クロースのイメージと、古来からロシアにあるマローズじいさん(厳寒じいさん)のイメージが融合し、ロシア独特の「もみの木祭り」(ヨールカ)の主役であるマローズじいさん(厳寒じいさん)が誕生したのです。

尚、マローズじいさん(厳寒じいさん)の故郷は、ロシアの北方ヴェリーキー・ウスチュグにあり、毎年数多くの観光客がここを訪れています。
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