モスクワの中心、アルバート地区のポワルスカヤ通り。
アゼルバイジャン出身の政治家ナリマノフの記念板の横に、レオニード・クラーシン(1870-1926)の記念板があります。
レオニード・クラーシンは革命家で、ボリシェヴィキの「海外貿易委員」。
革命によって西欧との関係が断絶したボリシェヴィキ・ロシアと西欧との貿易関係復興に務めた人物です。
1926年、ソ連全権代表としてイギリスに駐在中に、ロンドンで客死しました。

(写真はこちらから)
レーニンを崇拝しており、レーニンが亡くなった時、葬儀委員の一人を務めています。
クラーシンは、科学の進歩によって「復活」が実現することを心底信じていたと思われるふしがあり、崇拝するレーニンの遺体に防腐処理を施し「レーニン廟」において保存することを発案したことでも知られています。
また、いわゆる「西側とビジネスをすることができた珍しいボリシェヴィキ」としても知られています。
ジャーナリストのアバリノフさんはその一例として、自国においても豊富な森林を持っているカナダにソ連から木材を輸出する契約をクラーシンが結んだことを挙げています。
(シベリアに収容されている政治犯を使って作業しているため、超低価格の木材輸出を実現することが可能となっていた・・・。)
■昨日の
の答え=・・・Якудза・・・ヤクザ(ヤクザ)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)
■今日の
=次の単語を発音してみましょう。
Дзэн
(答えは・・・明日のお楽しみ)
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アゼルバイジャン出身の政治家ナリマノフの記念板の横に、レオニード・クラーシン(1870-1926)の記念板があります。
レオニード・クラーシンは革命家で、ボリシェヴィキの「海外貿易委員」。
革命によって西欧との関係が断絶したボリシェヴィキ・ロシアと西欧との貿易関係復興に務めた人物です。
1926年、ソ連全権代表としてイギリスに駐在中に、ロンドンで客死しました。

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レーニンを崇拝しており、レーニンが亡くなった時、葬儀委員の一人を務めています。
クラーシンは、科学の進歩によって「復活」が実現することを心底信じていたと思われるふしがあり、崇拝するレーニンの遺体に防腐処理を施し「レーニン廟」において保存することを発案したことでも知られています。
また、いわゆる「西側とビジネスをすることができた珍しいボリシェヴィキ」としても知られています。
ジャーナリストのアバリノフさんはその一例として、自国においても豊富な森林を持っているカナダにソ連から木材を輸出する契約をクラーシンが結んだことを挙げています。
(シベリアに収容されている政治犯を使って作業しているため、超低価格の木材輸出を実現することが可能となっていた・・・。)
■昨日の

■今日の

Дзэн
(答えは・・・明日のお楽しみ)
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