ロシア「銀の時代」を代表する詩人アレクサンドル・ブロークの続きです。
ロシアでは(ソ連時代も含め)「詩の朗読会」というのがとても盛んでした。
最近ではさすがにだいぶマイナーになってきたようですが、それでも有名な詩人の朗読の夕べなどはテレビでも放映されますし、客席数1000席のホールなども簡単に満席になったりします。
こうした詩の朗読会ですが、20世紀初頭、それも革命直後から第二次世界大戦勃発の時期にかけての20年くらいが特に盛んでした。労働者などの大衆をイデオロギー的に「啓蒙」していくのに、詩がもっとも適していた、ということがあるからのようです。
ブロークは極力こうした「朗読会」にかりだされることを避けていたようですが、それでもどうしても出演しなければならない時などもあったようです。
そうした「朗読会」のひとつ、ブロークが最後に公の舞台に立った時のことです。
舞台の中央に出て、まるで途方に暮れたかのようにしばらく無言で佇んでいたブロークに、観客席から「『十二』」の朗読を求める声がしきりにとびます。
ブロークは困惑したように。あたかもそのまま舞台裏にさがろうとするかのような素振りを見せますが、『十二』を求める声は一段と大きくなって怒涛のように押し寄せてきます。
ついにたまりかねて、
「ロシアについての詩を読みます」
と一言つぶやいて、ブロークはまた黙ってしまいました。
一瞬聞く態勢に入って静かになった観客は業を煮やして、もっと大きな声で『十二』をコールし始めます。
そして次にブロークが口を開いて朗読し始めたのが、・・・このブログの1月12日で取り上げた『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』という詩でした。
ここでもう一度、1月12日にとりあげたベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のために撮影されたCM「詩人シリーズ」・ブローク『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』の動画に戻ってみましょう。
動画はこちらです。(動画:1分17秒)
教会のコーラスで歌っている「白いドレス姿の若い娘」は、ブロークが生涯を通して追い求めてきた「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」その人です。そしてそれはまた、ブロークにとっての「ロシア」の化身そのものでもあったのです。
聖堂の暗い闇の中から、「夢」と「希望」の祈りを込めて、ブロークはその「ロシア」の歌に聞き惚れます。
教会の中で「若い娘=ロシア」が歌っているのは、「ロシア」のために戦いに行った人々のために捧げられた歌で、その神々しい歌声を聴いているブローク自身をはじめとする人々は、その歌声の先に明るい未来があると信じているわけですが、実際には誰もその戦いから戻っては来られないことを、天空にいる幼子(イエス・キリストでしょうか)だけが知っていて、悲しんでいる・・・。
詩人アレクサンドル・ブロークは、新しいロシアの誕生を歓迎していました。
長編詩『十二』に如実に表現されているように、革命の野蛮さ、狂気といったものも充分認識しながらも、新しい世界が到来することの必要性を強く感じていました。
しかしそれと同時に、自分自身は決して「新しいロシア」や「新しい世界」に属すことができないことも知っていました。
そして、そうしたことを全て認識しながらも、敢えて「教会の光りの中で歌う若い娘(「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」)」=「ロシア」の理想や夢に静かに身を捧げようとするその精神に、ロシアの人々はたまらなく惹かれ続けるのだと思います。
ドン・キホーテのような「愛」とでも言うのでしょうか。
・・・ということで、こうしたドン・キホーテ的な愛の中にも、「ロシア」を読み解く鍵があります。
(トップの写真はブロークの最後の写真で、1921年6月に撮影されたものです。こちらから)
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ロシアでは(ソ連時代も含め)「詩の朗読会」というのがとても盛んでした。
最近ではさすがにだいぶマイナーになってきたようですが、それでも有名な詩人の朗読の夕べなどはテレビでも放映されますし、客席数1000席のホールなども簡単に満席になったりします。
こうした詩の朗読会ですが、20世紀初頭、それも革命直後から第二次世界大戦勃発の時期にかけての20年くらいが特に盛んでした。労働者などの大衆をイデオロギー的に「啓蒙」していくのに、詩がもっとも適していた、ということがあるからのようです。
ブロークは極力こうした「朗読会」にかりだされることを避けていたようですが、それでもどうしても出演しなければならない時などもあったようです。
そうした「朗読会」のひとつ、ブロークが最後に公の舞台に立った時のことです。
舞台の中央に出て、まるで途方に暮れたかのようにしばらく無言で佇んでいたブロークに、観客席から「『十二』」の朗読を求める声がしきりにとびます。
ブロークは困惑したように。あたかもそのまま舞台裏にさがろうとするかのような素振りを見せますが、『十二』を求める声は一段と大きくなって怒涛のように押し寄せてきます。
ついにたまりかねて、
「ロシアについての詩を読みます」
と一言つぶやいて、ブロークはまた黙ってしまいました。
一瞬聞く態勢に入って静かになった観客は業を煮やして、もっと大きな声で『十二』をコールし始めます。
そして次にブロークが口を開いて朗読し始めたのが、・・・このブログの1月12日で取り上げた『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』という詩でした。
ここでもう一度、1月12日にとりあげたベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のために撮影されたCM「詩人シリーズ」・ブローク『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』の動画に戻ってみましょう。
動画はこちらです。(動画:1分17秒)
教会のコーラスで歌っている「白いドレス姿の若い娘」は、ブロークが生涯を通して追い求めてきた「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」その人です。そしてそれはまた、ブロークにとっての「ロシア」の化身そのものでもあったのです。
聖堂の暗い闇の中から、「夢」と「希望」の祈りを込めて、ブロークはその「ロシア」の歌に聞き惚れます。
教会の中で「若い娘=ロシア」が歌っているのは、「ロシア」のために戦いに行った人々のために捧げられた歌で、その神々しい歌声を聴いているブローク自身をはじめとする人々は、その歌声の先に明るい未来があると信じているわけですが、実際には誰もその戦いから戻っては来られないことを、天空にいる幼子(イエス・キリストでしょうか)だけが知っていて、悲しんでいる・・・。
詩人アレクサンドル・ブロークは、新しいロシアの誕生を歓迎していました。
長編詩『十二』に如実に表現されているように、革命の野蛮さ、狂気といったものも充分認識しながらも、新しい世界が到来することの必要性を強く感じていました。
しかしそれと同時に、自分自身は決して「新しいロシア」や「新しい世界」に属すことができないことも知っていました。
そして、そうしたことを全て認識しながらも、敢えて「教会の光りの中で歌う若い娘(「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」)」=「ロシア」の理想や夢に静かに身を捧げようとするその精神に、ロシアの人々はたまらなく惹かれ続けるのだと思います。
ドン・キホーテのような「愛」とでも言うのでしょうか。
・・・ということで、こうしたドン・キホーテ的な愛の中にも、「ロシア」を読み解く鍵があります。
(トップの写真はブロークの最後の写真で、1921年6月に撮影されたものです。こちらから)
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