1925年にキューバのハバナからメキシコに入ったマヤコフスキー。
その後、ニューヨークに向かったのですが、メキシコはめちゃめちゃ気に入ったようでした。
特にその、ものすごく人なつっこく、優しいメキシコの人々そのものが好きになったようです。
「メキシコの人達が自分の住所をくれる際、”どうぞ、これがわたしの住所です”とは、決して言わない。
”これでもうあなたは、自分(あなた自身)の家がどこにあるかわかりますね”、と言って自分の住所を書いたメモをくれる。
・・・人の家に遊びに行って、何かを褒めたりしたらいけない。そうしないと、メキシコ人は必ずそれを紙にくるんでプレゼントとして持たせてくれようとするから。」
マヤコフスキーの手記にはこのように書いてあります。
確かに、メキシコには古代文明の遺跡や、巨大なサボテン、美しい海、壮大な景色、圧倒されるような植民地時代のバロック様式の建造物・・・色々と観るものはありますが、「メキシコ随一の観光名所は”メキシコ人”である」という言葉を聞いたことがあります。
トップの写真は、オアハカ市に入る前にわたし達が立ち寄った遺跡のすぐ脇にある小さな教会の前で出会った大家族。
弟さん一家とお兄さん一家が皆でお参りに来ていたのですが、わたし達を見かけてちょっと立ち話。
そして大きくて温かい手で握手をかわし、オレンジをくれました。
今まで食べたことがないくらい最高に美味しいオレンジでした。

マヤコフスキーが触れた人々は、きっとこのような、ものすごく温かい人々だったのに違いありません。
その後、ニューヨークに向かったのですが、メキシコはめちゃめちゃ気に入ったようでした。
特にその、ものすごく人なつっこく、優しいメキシコの人々そのものが好きになったようです。
「メキシコの人達が自分の住所をくれる際、”どうぞ、これがわたしの住所です”とは、決して言わない。
”これでもうあなたは、自分(あなた自身)の家がどこにあるかわかりますね”、と言って自分の住所を書いたメモをくれる。
・・・人の家に遊びに行って、何かを褒めたりしたらいけない。そうしないと、メキシコ人は必ずそれを紙にくるんでプレゼントとして持たせてくれようとするから。」
マヤコフスキーの手記にはこのように書いてあります。
確かに、メキシコには古代文明の遺跡や、巨大なサボテン、美しい海、壮大な景色、圧倒されるような植民地時代のバロック様式の建造物・・・色々と観るものはありますが、「メキシコ随一の観光名所は”メキシコ人”である」という言葉を聞いたことがあります。
トップの写真は、オアハカ市に入る前にわたし達が立ち寄った遺跡のすぐ脇にある小さな教会の前で出会った大家族。
弟さん一家とお兄さん一家が皆でお参りに来ていたのですが、わたし達を見かけてちょっと立ち話。
そして大きくて温かい手で握手をかわし、オレンジをくれました。
今まで食べたことがないくらい最高に美味しいオレンジでした。

マヤコフスキーが触れた人々は、きっとこのような、ものすごく温かい人々だったのに違いありません。