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サポテカ文化とオレンジ

2011-04-22 | ★文学★
1925年にキューバのハバナからメキシコに入ったマヤコフスキー。
その後、ニューヨークに向かったのですが、メキシコはめちゃめちゃ気に入ったようでした。
特にその、ものすごく人なつっこく、優しいメキシコの人々そのものが好きになったようです。

「メキシコの人達が自分の住所をくれる際、”どうぞ、これがわたしの住所です”とは、決して言わない。
”これでもうあなたは、自分(あなた自身)の家がどこにあるかわかりますね”、と言って自分の住所を書いたメモをくれる。
・・・人の家に遊びに行って、何かを褒めたりしたらいけない。そうしないと、メキシコ人は必ずそれを紙にくるんでプレゼントとして持たせてくれようとするから。」
マヤコフスキーの手記にはこのように書いてあります。

確かに、メキシコには古代文明の遺跡や、巨大なサボテン、美しい海、壮大な景色、圧倒されるような植民地時代のバロック様式の建造物・・・色々と観るものはありますが、「メキシコ随一の観光名所は”メキシコ人”である」という言葉を聞いたことがあります。

トップの写真は、オアハカ市に入る前にわたし達が立ち寄った遺跡のすぐ脇にある小さな教会の前で出会った大家族。
弟さん一家とお兄さん一家が皆でお参りに来ていたのですが、わたし達を見かけてちょっと立ち話。
そして大きくて温かい手で握手をかわし、オレンジをくれました。
今まで食べたことがないくらい最高に美味しいオレンジでした。


マヤコフスキーが触れた人々は、きっとこのような、ものすごく温かい人々だったのに違いありません。

ノーベル賞作家ブーニンの像

2010-04-22 | ★文学★
モスクワの中心、アルバート地区のポワルスカヤ通り。
リトアニア生まれの象徴派詩人バルトルシャイティスの記念板があるすぐ近くに、もう一枚、記念板があります。



没落貴族の息子で、ロシア初のノーベル賞作家(1933年にノーベル文学賞受賞)イワン・ブーニンの記念板です。
向かい側の公園には、なかなか雰囲気のあるブーニンの記念像も設置されています。

ブーニンは、ロシア銀の時代に活躍した小説家ですが、いわゆる「象徴主義」「印象主義」「未来派」といった、詩人達を中心に形成されていた文学潮流には属さず、チェーホフやトルストイなどと同様に、独立した存在として活動していました。


(写真はこちらから)

ロシア革命後はフランスに亡命し、パリで著作活動を続け(作品はロシア語で書き続けました)、1953年パリで客死しました。
帝政ロシアの貴族・知識層を中心として、いわゆる「ロシアからの第1次亡命世代」の代表者でもあります。

1929―1954年まで、ブーニンの作品はソ連では「禁書」という扱いを受けており、一切出版されることがありませんでしたが、「禁書」のレッテルがとれて出版されるようになると、一挙に「最も沢山出版され、最も沢山読まれる」大人気の作家という扱いを受けるようになります。

ブーニンは文体の名人だと言われており、シャープで的確な表現には定評があります。その短編など、ロシア語を勉強している人には是非原文で読まれることをお勧めします。

■昨日のの答え=・・・Цунами・・・ツナミ(津波)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Якудза

(答えは・・・明日のお楽しみ)

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象徴派詩人バルトルシャイティス

2010-04-21 | ★文学★
リトアニアといえば、チュルリョーニスと並んでロシアで有名なのが、19世紀末~20世紀初頭の「ロシア銀の時代」の象徴派詩人ユルギス・バルトルシャイティス(1873-1944)です。

バルトルシャイティスの記念板が、モスクワの中心アルバート地区のポワルスカヤ通りにあります。


(写真はこちらから)

リトアニア生まれのバルトルシャイティスですが、モスクワ大学の物理数学科で学んでいる間にバリモント、ブリューソフ、そして作曲家のスクリャービンらと親交を結び、初期ロシア象徴主義の潮流に加わることになります。
詩はロシア語で書いています。

1917年のロシア革命後、そしてリトアニアがロシア帝国から独立してリトアニア共和国となった際、リトアニア大使としてモスクワに駐在し、赤軍に追われている数多くのロシア知識層の、国外脱出を助けたことでも、その功績は大きいです。

1939年にモスクワからリトアニア大使館の参事官としてパリに駐在し、パリで亡くなっています。

■昨日のの答え=・・・Судоку・・・スドク(数独)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Цунами

(答えは・・・明日のお楽しみ)

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アレクセイ・K・トルストイの像

2010-03-17 | ★文学★
SF小説家、ロシア版『ピノッキオの冒険』の作者として有名な作家アレクセイ・N・トルストイ(1883年~1945年)の記念像がモスクワの中心、ニキツキー門の大昇天教会前の公園に設置されていることは昨日書きました。

実は、ロシア文学史上には「アレクセイ・トルスト」という作家はもう一人います。アレクセイ・K・トルストイ(1817―1875)で、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いたレフ・トルストイの又従兄弟にあたります。
『イヴァン雷帝の死』(1864年)、『皇帝ボリス』(1870年)などの歴史戯曲が有名です。

また、ドン・ファン伝説を扱ったロシア版ドン・ファン=戯曲『ドン・ジュアン』(1859-60年)の作者としてもよく知られています。

トップの写真アレクセイ・K・トルストイの胸像は、モスクワから約380キロ南西に位置するブリャンスクの「アレクセイ・トルストイ公園」にあります。
写真はこちらから。

■昨日のの答え=・・・УРУГВАЙ ・・・ウルグワイ(意味:ウルグアイ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ШВЕЦИЯ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

アレクセイ・N・トルストイの記念像

2010-03-16 | ★文学★
ニキーツキー門(ニキーツキエ・ヴァロータ)のところにある大昇天教会で、1831年、国民的詩人アレクサンドル・プーシキンが結婚式を挙げたことは既に書いたとおりです。

ところでこの教会の前には中庭というか、小さな公園のようなスペースがあるのですが、その小さな公園にはどっしりとした「大きな」銅像が設置されています。
この銅像は、スターリン賞も受賞したというロシア語圏では初の「SF小説」を書いた作家アレクセイ・N・トルストイ(1883年~1945年)の記念像です。
このすぐ横に、アレクセイ・N・トルストイが住んでいた邸宅があり、そのためここに記念像があります。



アレクセイ・N・トルストイは「SF小説」だけでなく、歴史小説や、イタリアの作家カルロ・コッローディが書いた児童文学『ピノッキオの冒険』(1883年)を翻案した『ブラチーノの冒険、または黄金の鍵』(1936年)の作者としても有名です。

ちなみに『戦争と平和』を書いたレフ・トルストイとは別人ですのでご注意ください。
尚、トルストイ家は古くから続くロシア有数の大貴族の家系(伯爵家)で、レフ・トルストイもアレクセイ・N・トルストイもこの家系に属します。ほかにも「トルストイ伯爵」の血筋に属し、「トルストイ」の苗字を名乗っている人が作家だけでもアレクセイ・K・トルストイ(1817―1875) 、レフ・L・トルストイ(1871―1945)などいますので、名前、苗字だけではなく父姓(名前と苗字にはさまれているアルファベットの部分)にも気をつける必要があります。

■昨日のの答え=・・・ГВАТЕМАЛА・・・グワテマラ(意味:グアテマラ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
УРУГВАЙ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

マールイ劇場とオストロフスキー像

2010-02-01 | ★文学★
ボリショイ劇場の向かって右側に、背を少しかがめ気味に肘掛け椅子に腰掛けている銅像があります。

実は、この銅像の背後にある建物は、よく「ボリショイ劇場の一部」と誤解されますが、マールイ劇場という全く別の劇場です。
ボリショイ劇場の方がオペラ・バレエ劇場であるのに対して、マールイ劇場は、基本的に演劇がメインの劇場です。

ちなみにロシア語で<ボリショイ>は「大きい」という意味で、<マールイ>は「小さい」という意味を持っています。このマールイ劇場の前にある銅像は、アレクサンドル・オストロフスキーという19世紀に活躍した劇作家の記念像です。

オストロフスキーはマールイ劇場とつながりが深く、マールイ劇場を中心とするロシア演劇界の写実主義的伝統を確立するのに大きく貢献しました。

また、役者は彼の作品に出てくる登場人物を演じることによって成長すると言われており、現代にいたるまで変わらずロシア演劇界の定番レパートリーとして上演されています。

オストロフスキーの作品には、地主や商人階級の偽善や打算を描いたものや、ロシア史を舞台とする史劇などがありますが、その他に、『雪娘』(1881)のように民間伝承ものを主題とした作品もあります。

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「若い娘が教会のコーラスで歌っていた」

2010-01-23 | ★文学★
ロシア「銀の時代」を代表する詩人アレクサンドル・ブロークの続きです。

ロシアでは(ソ連時代も含め)「詩の朗読会」というのがとても盛んでした。
最近ではさすがにだいぶマイナーになってきたようですが、それでも有名な詩人の朗読の夕べなどはテレビでも放映されますし、客席数1000席のホールなども簡単に満席になったりします。

こうした詩の朗読会ですが、20世紀初頭、それも革命直後から第二次世界大戦勃発の時期にかけての20年くらいが特に盛んでした。労働者などの大衆をイデオロギー的に「啓蒙」していくのに、詩がもっとも適していた、ということがあるからのようです。

ブロークは極力こうした「朗読会」にかりだされることを避けていたようですが、それでもどうしても出演しなければならない時などもあったようです。

そうした「朗読会」のひとつ、ブロークが最後に公の舞台に立った時のことです。
舞台の中央に出て、まるで途方に暮れたかのようにしばらく無言で佇んでいたブロークに、観客席から「『十二』」の朗読を求める声がしきりにとびます。
ブロークは困惑したように。あたかもそのまま舞台裏にさがろうとするかのような素振りを見せますが、『十二』を求める声は一段と大きくなって怒涛のように押し寄せてきます。

ついにたまりかねて、
「ロシアについての詩を読みます」
と一言つぶやいて、ブロークはまた黙ってしまいました。

一瞬聞く態勢に入って静かになった観客は業を煮やして、もっと大きな声で『十二』をコールし始めます。

そして次にブロークが口を開いて朗読し始めたのが、・・・このブログの1月12日で取り上げた『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』という詩でした。

ここでもう一度、1月12日にとりあげたベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のために撮影されたCM「詩人シリーズ」・ブローク『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』の動画に戻ってみましょう。

動画はこちらです。(動画:1分17秒)

教会のコーラスで歌っている「白いドレス姿の若い娘」は、ブロークが生涯を通して追い求めてきた「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」その人です。そしてそれはまた、ブロークにとっての「ロシア」の化身そのものでもあったのです。

聖堂の暗い闇の中から、「夢」と「希望」の祈りを込めて、ブロークはその「ロシア」の歌に聞き惚れます。
教会の中で「若い娘=ロシア」が歌っているのは、「ロシア」のために戦いに行った人々のために捧げられた歌で、その神々しい歌声を聴いているブローク自身をはじめとする人々は、その歌声の先に明るい未来があると信じているわけですが、実際には誰もその戦いから戻っては来られないことを、天空にいる幼子(イエス・キリストでしょうか)だけが知っていて、悲しんでいる・・・。

詩人アレクサンドル・ブロークは、新しいロシアの誕生を歓迎していました。
長編詩『十二』に如実に表現されているように、革命の野蛮さ、狂気といったものも充分認識しながらも、新しい世界が到来することの必要性を強く感じていました。
しかしそれと同時に、自分自身は決して「新しいロシア」や「新しい世界」に属すことができないことも知っていました。

そして、そうしたことを全て認識しながらも、敢えて「教会の光りの中で歌う若い娘(「麗しい女人」「永遠なる妻」「聖なる人」)」=「ロシア」の理想や夢に静かに身を捧げようとするその精神に、ロシアの人々はたまらなく惹かれ続けるのだと思います。

ドン・キホーテのような「愛」とでも言うのでしょうか。
・・・ということで、こうしたドン・キホーテ的な愛の中にも、「ロシア」を読み解く鍵があります。
(トップの写真はブロークの最後の写真で、1921年6月に撮影されたものです。こちらから)

★新プロジェクト"Winter series"はこちらへどうぞ★

詩人ブロークの記念像

2010-01-17 | ★文学★
「銀の時代」、そしてロシア史上「最も詩人らしい詩人」であるアレクサンドル・ブロークの続きです。

モスクワの中心。優雅な静けさに包まれた一角。
スピリドーノフカ通りの6番の前に、まるでこの一角を覆う静寂を支配しているかのような、大変雰囲気のある記念像があります。



詩人アレクサンドル・ブロークの記念像です。
彫刻家コモフが限りない愛情を注いでつくりあげたと言われるこの記念像は、ブローク自身が持っていた雰囲気だけではなく、ロシアの人々がブロークに対して抱いている感情や、どのようにブロークを見ているかという「ロシア人のブロークに対する眼」というものも、とてもうまく伝えていると思います。

同時代の人々の回想録を読むと、皆一様にブロークの「大理石でできたギリシア彫刻のように」端整な顔立ちと、生まれながらにして供え持っている物静かな気品を称えています。ブロークの詩に対して好意的であった人も、そうでなかった人も、その点は変わりません。
また、ブロークと同時代に生きた人々は、口をそろえてブロークのことを「詩人そのもの」と形容しています。

「ハンサム」で有名であった詩人(例えばエッセーニン)や、殊更「詩人」らしい振る舞いをしてきた詩人(例えばマヤコフスキー)など色々いるのですが、存在そのものがまるで「詩」であるかのような人というのは、ブロークをおいて他にはいませんでした。

ブロークほど「敵」にも「味方」にも人間的に尊敬されてきた詩人、「敵」にも「味方」にも「理解」していると思われ、「共感」を持って受け止められてきた詩人はいないと思います。
また同じくらい「敵」にも「味方」にも恐れられ、歪められ、利用され、「理解されてこなかった」詩人もいないのではないでしょうか。

日本では全くといってよいほど知られていないアレクサンドル・ブロークですが、実は、彼は時代の中で置き去りにされたロシアの一部、時代の一部をそっくりそのまま体現していると言えます。

ロシアの人々が心の中で大切にしている「ロシア」そのものを・・・。

それがいったいどんな「ロシア」であるのかを知るためには、ブローク自身のことをもう少し詳しく知るのがベストです。

ベクマンベトフ監督パステルナーク訳詩

2010-01-13 | ★文学★
ハリウッドへの進出も果たした現代のロシア映画界を代表するベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」第3弾です。

おそらく「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」の中でも最も胸を打つ作品であるといえるのが、グルジアの詩人バラタシュヴィーリ原作の『空の色、青色』をロシア銀の時代最後の巨匠パステルナークがロシア語に翻訳したものを題材としている作品でしょう。

動画はこちら。(動画:1分39秒)

この作品の中で使用されている映像を担当したのはグルジア出身のレオ・ガブリアッゼで、詩の朗読をしているのはガブリアッゼの父親で有名な作家・演出家・画家のレゾ・ガブリアッゼさんです。
レオ・ガブリアッゼは現在、ロシアのCM業界を代表する監督となっています。

ニコロズ・バラタシュヴィーリは、1817年に生まれ1845年に亡くなったグルジアの「ロマン主義派」詩人です。


(肖像はこちらから)

生前は一切出版されることなく、最初に彼の詩作品のいくつかが印刷されたのが死後7年たってからのこと。
そして1876年に彼の最初の詩集が出版されたのですが、それ以降バラタシュヴィーリはグルジアで最も人気のある詩人となったとのこと。

バラタシュヴィーリの詩が最初にロシアに入ってきたのが1922年、つまりソビエト政権になってからのことで、ボリス・パステルナークによる詩作品『空の色、青色』のロシア語訳が出てからはロシアでも爆発的に人気が出ました。

ちなみに、昨日(1月12日)で触れたブロークの詩を題材とした映像ですが、日本でも大変人気のある映画『ドクトル・ジバコ』をどことなく思い出させます。
その映画『ドクトル・ジバコ』の原作(長編小説)を書いたのが、ロシア銀の時代の最後の巨匠ボリス・パステルナークです。


(写真はこちらから)

パステルナークは優れた作家(1958年ノーベル文学賞(受賞を辞退))、詩人(銀の時代の中の「未来派」に属します)であったばかりでなく、大変優れた翻訳家でもありました。
特に、シェークスピアの『ハムレット』やゲーテの『ファウスト』の翻訳は、名訳中の名訳であるとされています。

そしてこのグルジアの詩人バラタシュヴィーリ原作の『空の色、青色』も、パステルナークの翻訳によって第二の生を受けたと言っても過言ではないでしょう。

空の色、青色
Цвет небесный, синий цвет

空の色、青色が、
わたしは幼い頃から好きだった。
子供の頃、空色は、
異郷の青さを思わせたもの。

そして今、わたしは人生の
折り返し地点に達した。
でも、だからといって、水色よりも
他の色が好きだなんていうことはない。

空色、まったくもって美しい色。
それはわたしが愛しているあなたの眼の色。
それは青さを存分に吸った
あなたの底なしの眼差しそのもの。

空色、それはわたしの夢の色。
それは高峰の色。
この水色の溶液の中に、
大地の広がりがどっぷり浸かっている。

それは、日常の喧騒から
未知の世界へわたしを導く色。
そしてわたしの葬式で涙を流す身近な人と
わたしをつなぐ色。

それはわたしの墓石に
薄っすらとはった霜の蒼色。
それはわたしの名前の上に広がる
灰青の冬の煙の色。

Nikoloz Baratashvili = Boris Pasternak

ちなみにこのロシア広告業界の歴史に残る一連のCMを生んだ「スラヴャンスキー銀行」のHPはこちらです。

ベクマンベトフ監督ブロークの詩

2010-01-12 | ★文学★
ベクマンベトフ監督「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」の続きです。
マンデリシュタームの詩『森の中でクリスマスのもみの木が、金箔色に燃えあがる』と同じくらいインパクトの強い映像をもう一つ。

こちらも同じく「ロシア銀の時代」(19世紀末から20世紀初頭)を代表する象徴派の詩人アレクサンドル・ブロークの詩『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』(1905年作)を題材にしたCMで、マンデリシュタームのものと同じように、とてもよく詩そのものの雰囲気、時代の雰囲気、アレクサンドル・ブロークという偉大な詩人その人がかもし出していた雰囲気を表現しています。


(ブロークの写真はこちらから)

プーシキンがロシアの「黄金時代」を代表する詩人であったのに対して、ブロークは「銀の時代」を代表する詩人です。
この、ブローク自身に関しては後日改めて触れたいと思います。

ベクマンベトフ監督の「スラヴャンスキー銀行」のCM「詩人シリーズ」・ブローク『若い娘が教会のコーラスで歌っていた』の動画はこちらです。(動画:1分15秒)

若い娘が教会のコーラスで歌っていた
Девушка пела в церковном хоре

若い娘が教会のコーラスで歌っていました。
異邦の地にいる全ての疲れ果てた人々について、
海の彼方に消えていった全ての船について、
自分の喜びを忘れてしまった、全ての者について。

彼女の歌声は高く、ドームに向かって舞い上がり、
白い肩には光がさして煌いていました。
教会にいるすべての者が暗闇の中から、
白いドレスの娘が光の中で歌うその様子に聞き惚れていました。

そしてその歌声を聴きながらみんなは思っていました。喜びが訪れるに違いないと。
彼方に消えていった船はきっと穏やかな入江に入ったに違いないと。
疲れ果てた人々は、異邦の地で
光に満ちた明るい人生を手に入れたに違いないと。

そして声は甘く、光は繊細で・・・。
ただ一人高く高く、天の門の前で
神秘を司る幼子が一人、
誰も戻ってこないことを悲しんで泣いているのでした。
Alexander Blok

ベクマンベトフ監督マンデリシュタームの詩

2010-01-11 | ★文学★
モスクワに住んでいると、「詩」というものがどれほど深く人々の生活に根付いているか実感させられることが多々あります。
若者に人気のあるロックやポップスの歌手たちが、「古典」とも言える詩人たちの詩を歌詞にした歌を歌っていたり、何気ないビジネス会話の端々に詩の引用が出てきたり・・・。
テレビのコマーシャルなどもその良い例です。

最近のロシアのテレビは、良し悪しは別にして、全体的に内容が単純化してきたように思われます。各局の番組そのものもそうですが、特にコマーシャルは直接的なもの、判りやすいものが主流になってきたようです。

しかし中には「忘れられない名作」というものもあります。
そうした「忘れられない名作」の一つが、現代のロシア映画界を代表するティムール・ベクマンベトフ監督が撮った「スラヴャンスキー銀行」のコマーシャル「詩人シリーズ」です。


(ベクマンベトフ監督の写真はこちらから)

2007年に放映されたCM「スラヴャンスキー銀行」の「詩人シリーズ」は、アンジョリーナ・ジョリーを主演にむかえた『ウォンテッド』(2008年日本公開)でハリウッド進出を果たしたカザフスタン生まれで現在はロシアで活躍をしているティムール・ベクマンベトフ監督が、1993年から1996年にかけて撮影した一連のコマーシャルで、世界の広告業界でも様々な賞を受賞しています。

詩人マンデリシュタームが17歳の時に書いた『クリスマスのもみの木が、森の中で金箔色に燃えあがる・・・』という有名な詩も、この、ベクマンベトフ監督の「名作」=「スラヴャンスキー銀行」のCMシリーズに使用されています。

わずか1分間という短い時間の枠組の中に、マンデリシュタームの詩作品が持っている特質、そしてマンデリシュターム自身の悲劇的な人生を凝縮させた、一度見たら忘れられないみごとな作品です。

銀行そのものの「宣伝」は、「スラヴャンスキー銀行」というロゴの表示のみで、あとはベクマンベトフ監督の独特な映像美と、マンデリシュタームの詩の朗読によって1分間が構成されています。

『クリスマスのもみの木が、森の中で金箔色に燃えあがる・・・』という、ロシアの子供たちが高校で習う有名な詩と、「スラヴャンスキー銀行」とのつながりは全く不明です。・・・というか、つながりは「ない」のでしょう。

もともとこの詩はマンデリシュタームの孤独や疎外感、「宗教」との複雑な関係といったものを描いたものです。
ベクマンベトフ監督はこの「孤独」や「疎外感」の上に、更にマンデリシュタームの人生を飲み込むことになる歪んだ時代の姿をオーバーラップさせています。

どちらかというと、映像や詩が「スラヴャンスキー銀行」を宣伝しているというよりは、「スラヴャンスキー銀行」がスポンサーとなって、マンデリシュタームの詩を原作としたベクマンベトフ監督の1分間の「映画」を放映している、といった印象を受けます。

百聞は一見にしかず。
動画はこちらから観られます。
(ちなみに下記詩の訳文も掲載しましたが、この訳文を読むよりも、動画を見た方が詩の内容がわかりやすいと思います・・・)

『クリスマスのもみの木が、森の中で金箔色に燃えあがる・・・』
Сусальным золотом горят
森の中でクリスマスのもみの木が、
金箔色に燃えあがる。
潅木の間からは、おもちゃのオオカミたちが
恐ろしい目で睨んでいる。

ああ、予見力のあるわたしの悲しみよ、
ああ、静かなわたしの自由。
そして死んだ天空の丸屋根の
笑い続けることをやめないクリスタル!
Osip Mandelstam

詩人マンデリシュタームの記念板

2010-01-10 | ★文学★
モスクワの繁華街プーシキン広場からアルバート広場を結ぶのが、緑の美しいトヴェルスコイ並木通りです。

このトヴェルスコイ並木通りは年間をとおして市民の憩いの場となっています。
歩行者しか通れない幅広い並木道が真ん中を通り、その両サイドをそれぞれ一方通行の車道がのびています。


(夏のトヴェルスコイ並木通りはこんな感じです)

そして、革命前の貴族の邸宅をはじめ、古くて美しい建物群がたち並んでいるのですが、その内のひとつの外壁に設置された記念板が、この地区一帯が持っている「香り」と融合して不思議な雰囲気をかもし出しています。

これは、1891年にワルシャワで生まれ、1938年にヴラジオストック近郊の強制収容所で亡くなったロシア銀の時代の詩人の一人オシップ・マンデリシュタームがかつてこの家に住んでいたことを示す記念板です。


(マンデリシュタームの写真はこちらから)。

児童文学作家チュコフスキー

2009-11-15 | ★文学★
こちらはロシアの児童文学作家の巨匠コルネイ・チュコフスキーが書いた有名なお話し「ハエの”ツォコトゥーハ”」のイラスト。
ハエの”ツォコトゥーハ”はお誕生日会の最中、クモに襲われ、危機一髪というところを勇敢な蚊に助けられました。(二匹はめでたく結婚します)

このお話しを書いたチュコフスキーは、1939年から没年の1969年までの間トヴェルスカヤ通りのモスクワ市庁舎の向かい側あたりの建物に住んでいました。その建物には記念板が設置されています。



チュコフスキーといえば、ロシア(だけではなく、旧ソ連圏の国々全て)ではその作品に触れたことがない人はいない!というくらい有名な児童文学作家です。
幼稚園で先生に読んでもらったり、家で両親や祖父母に読んでもらったり・・・テレビのアニメで観たり・・・。

チュコフスキーの作品はすべて、詩のようにきれいな「韻文」で書かれていて、子供は何度も聞かされている内に、まるで歌を覚えるように自然とその詩行を覚えていきます。

顔や手をを洗わない子を叱ってタワシなどに号令を与えて強引に顔や体を洗わせる「洗面台たちのリーダーであり、タワシ達の隊長である”モイドディール”」と、上述のハエ「ツォコトゥーハ」、ロシア版ドリトル先生の「アイボリート(直訳すると”ああ・痛い”)先生」などが特に有名です。

これが洗面台「モイドディール」。イラストはこちらから。



1954年のアニメ「モイドディール」は、今でも大人気のアニメでロシアのテレビで繰り返し放映されていますし、ハエ「ツォコトゥーハ」のお話しは、ほとんどの人が暗誦できます。

ちなみに1954年版のアニメ「モイドディール」はYouTubeで観られます。
YouTubeの動画は2部にわかれており、第1部(動画10分02秒)はこちらから、第2部(動画6分36秒)はこちらから観られます。

内容はロシア語ですが、ストーリーが単純なので眺めているだけでも充分楽しめます。
音楽の使い方がとても芸術的なのが特徴的です。

ロシアの子供たちが全く退屈する様子なくバレエを鑑賞したり、オーケストラのコンサートを聴いたりするのを見て、外国人(特に日本の人たち)が驚くことがよくありすが、この「モイドディール」のようなアニメを日々観て育っていれば、バレエ・オペラ鑑賞も、クラシックの演奏会も、子供たちにとってはこうしたアニメの延長に過ぎないのだと納得です。

チュコフスキーは児童文学作家であったばかりでなく、大変優れた文学評論家、翻訳家、そして児童言語心理学者でもありました。

児童言語心理学者というと、とても難しそうに聞こえますが、その研究をまとめた『2歳から5歳まで』という本は、子供の「いい間違い」や子供が作り出した愉快な表現などに焦点をあて、事例を沢山集めて論理的に説明している大変面白い本です。全然難しくありません。

「全然難しくない」ことを証明するように、この本をベースにしたアニメまであります。ご覧になりたい方は、こちらへどうぞ。(動画7分23秒)

ハエの「ツォコトゥーハ」のイラストはこちらから。

12月4日チャイコフスキー『四季の世界』のコンサート情報はこちら。