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地下鉄テロ

2010-03-31 | ★その他もろもろ★
3月29日午前8時少し前、モスクワの中心、赤ラインの地下鉄ルビャンカ駅と文化公園駅内で、自爆テロが発生しました。
adminのわたし達も、色々な方々から数多くの「安否を気遣うメール」をいただきました。
どちらの駅も日常的によく使う駅ですので、全く他人事だとは思えません。

ただ・・・取り敢えずわたし達は無事です。
ご心配くださった方々、ご心配をおかけして申し訳ありません!
そして、どうもありがとうございました。

このブログでは、「政治には一切触れない!」ことを原則としておりますので、事件に関する詳しいコメントは控えたいと思いますが、・・・一言だけ・・・。

このような事件がおこるといつも、海外の報道の中に「無責任な調子の記事」があることが悲しくなります。
「中にいる者」と「外にいる者」にとっての「正義の違い」を痛感させられるとでも言うのでしょうか。

・・・おぞましい事件の犠牲となって亡くなられた方々のご冥福を・・・心からお祈りいたします。

トップの写真は、2000年8月にモスクワの中心、プーシキン広場の地下鉄プーシキン駅&トヴェルスカヤ駅への入口地下道の中でおきた爆弾テロの犠牲になった方々のための記念碑です。
今でも供花が絶えません。

アレクセイ・K・トルストイの像

2010-03-17 | ★文学★
SF小説家、ロシア版『ピノッキオの冒険』の作者として有名な作家アレクセイ・N・トルストイ(1883年~1945年)の記念像がモスクワの中心、ニキツキー門の大昇天教会前の公園に設置されていることは昨日書きました。

実は、ロシア文学史上には「アレクセイ・トルスト」という作家はもう一人います。アレクセイ・K・トルストイ(1817―1875)で、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いたレフ・トルストイの又従兄弟にあたります。
『イヴァン雷帝の死』(1864年)、『皇帝ボリス』(1870年)などの歴史戯曲が有名です。

また、ドン・ファン伝説を扱ったロシア版ドン・ファン=戯曲『ドン・ジュアン』(1859-60年)の作者としてもよく知られています。

トップの写真アレクセイ・K・トルストイの胸像は、モスクワから約380キロ南西に位置するブリャンスクの「アレクセイ・トルストイ公園」にあります。
写真はこちらから。

■昨日のの答え=・・・УРУГВАЙ ・・・ウルグワイ(意味:ウルグアイ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ШВЕЦИЯ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

アレクセイ・N・トルストイの記念像

2010-03-16 | ★文学★
ニキーツキー門(ニキーツキエ・ヴァロータ)のところにある大昇天教会で、1831年、国民的詩人アレクサンドル・プーシキンが結婚式を挙げたことは既に書いたとおりです。

ところでこの教会の前には中庭というか、小さな公園のようなスペースがあるのですが、その小さな公園にはどっしりとした「大きな」銅像が設置されています。
この銅像は、スターリン賞も受賞したというロシア語圏では初の「SF小説」を書いた作家アレクセイ・N・トルストイ(1883年~1945年)の記念像です。
このすぐ横に、アレクセイ・N・トルストイが住んでいた邸宅があり、そのためここに記念像があります。



アレクセイ・N・トルストイは「SF小説」だけでなく、歴史小説や、イタリアの作家カルロ・コッローディが書いた児童文学『ピノッキオの冒険』(1883年)を翻案した『ブラチーノの冒険、または黄金の鍵』(1936年)の作者としても有名です。

ちなみに『戦争と平和』を書いたレフ・トルストイとは別人ですのでご注意ください。
尚、トルストイ家は古くから続くロシア有数の大貴族の家系(伯爵家)で、レフ・トルストイもアレクセイ・N・トルストイもこの家系に属します。ほかにも「トルストイ伯爵」の血筋に属し、「トルストイ」の苗字を名乗っている人が作家だけでもアレクセイ・K・トルストイ(1817―1875) 、レフ・L・トルストイ(1871―1945)などいますので、名前、苗字だけではなく父姓(名前と苗字にはさまれているアルファベットの部分)にも気をつける必要があります。

■昨日のの答え=・・・ГВАТЕМАЛА・・・グワテマラ(意味:グアテマラ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
УРУГВАЙ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

ロシアの「美人」⑥=M.シッテリ

2010-03-15 | ★演劇・映画★
テニス選手のマリア・シャラポワ。
そしてもう一人、ロシアで大人気の「マリア」さんがいます。
国営ロシアテレビ(RTR)局の看板ニュースキャスターであるマリア・シッテリです。
1975年、モスクワの南西625キロの地点にあるペンザ州の州都ペンザ市生まれ。


(写真はこちらから)

地元ペンザ市の局番から2001年に大抜擢されて中央のテレビ局の看板キャスターになったマリア・シッテリですが、現在、文句なしにロシアで最も人気のあるニュースキャスターとなっております。
視聴者の人気だけではなく、同僚(スタッフ)の間でも大変人望が厚く、問題が起きた時に「チーム・同僚のために闘う」マリア・シッテリの武勇伝が色々なブログでも取りあげられています。

2007年にはロシア国内のプロジェクト『スターと踊ろう』の優勝者として、ロンドンで開催された社交ダンスの大会『Eurovision Dance Contest 2007 London』にロシア代表として参加しています。


(写真はこちらから)

(トップの写真はこちらから)

■昨日のの答え=・・・ДОМИНИКА・・・ドミニカ(意味:ドミニカ(共和国))

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ГВАТЕМАЛА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

ロシアの「美人」⑤=M.シャラポワ

2010-03-14 | ★演劇・映画★
そしてもう一人、西シベリア出身のロシアを代表する「美しい女性」の一人であるテニスプレーヤーのマリア・シャラポワ。
日本でもとても有名で、Wikipediaの日本語版にも詳しい説明が掲載されています。

世界的にとても人気のあるテニス選手で、日本での人気も相当なもの。
「ロシアでもこんなに人気あるの?」と質問されることも時々ありますが・・・答えは、勿論です!ロシアでのシャラポワ人気は、ものすごいです。
ロシアのスポーツ業界が全体的に低迷している中で、シャラポワはまさにロシアの救世主・英雄的存在。


(トップの写真、そしてこちらの写真もどちらも、こちらのページからの引用になります)

ちなみにロシアではソ連時代「テニス」は全くといってよいほど注目されることのないスポーツでした。
それが、エリツィン元大統領が大のテニス好きだったことから、ソ連が崩壊してエリツィン大統領の政権になった際、テニスをスポーツ競技としてサポートする様々な政策がとられ、あれよこれよという間に世界ランキングに名を連ねるような有名な選手が沢山輩出されるようになり、ロシアはテニス強国の仲間入りを果たしました。

余談になりますが、プーチン前大統領・現首相は大の「アルペンスキー」ファンですので、ソ連時代はスキーといえば「ノルディックスキー」しかなかったロシアでも最近はアルペンスキーの設備が整えられ、アルペンスキーの選手育成にも力が注がれているようです。
その内、アルペンスキーの業界でもマリア・シャラポワ級の選手が登場するかもしれませんね。

■昨日のの答え=・・・ЭСТОНИЯ・・・エストニア(意味:エストニア)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ДОМИНИКА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

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ロシアの「美人」④=K.スヒノワ

2010-03-13 | ★演劇・映画★
2008年には、石油の産地として有名なチュメニ市(シベリア)出身のクセーニャ・スヒノワが、ミス・ワールドの世界大会を制覇しました。
1987年生まれのクセーニャ・スヒノワは、チュメニ市にある国立石油ガス大学で通信技術(コンピューター・システム開発など)を学ぶ大学生。
スポーツが大好きで、新体操、陸上が得意。
バイアスロン競技の級も持っているそうです。


(写真はこちらから)

青い目が印象的な、明るいロシア美人です。
クセーニャ・スヒノワのオフィシャルサイトはこちらへどうぞ。
(トップの写真はこちらから)

■昨日のの答え=・・・ТОНГА・・・トンガ(意味:トンガ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ЭСТОНИЯ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

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ロシアの「美人」③=O.フョードロワ

2010-03-12 | ★演劇・映画★
21世紀に入ってからのロシアを代表する「美女」といえば、まず思い浮かぶのが2002年のミス・ユニバースになったオクサーナ・フョードロワ。
1999年にミス・サンクト・ペテルブルクに選ばれ、2001年にはミス・ロシア、そして2002年にはプエルト・リコで開催されたミス・ユニバースでグランプリに輝いています。

オクサーナ・フョードロワは、内務省付属(要するに警察)サンクト・ペテルブルク大学の法学部の大学院(博士課程)まで修了している才女。警察官僚としての肩書きも持っており、警察官としてサンクト・ペテルブルク市のプリコヴォ空港で勤務していたこともあります。


(写真はオクサーナ・フョードロワの公式サイトから)

現在は、子供用テレビ番組の司会者としても活躍し、本を書いたりもしているようです。

2002年のミス・ユニバースの栄冠ですが、「ミス・ユニバースとしての義務不履行のため剥奪され」、その称号はパナマ出身の女性ジュスティン・パセクさんに移っているのですが、実は、この頃、オクサーナ・フォードロワは母校である内務省付属サンクト・ペテルブルク大学で民法の講師として勤務をしており、その他にも大学院の論文など、いわゆる専門の方で色々と忙しくて「ミス・ユニバース」としての行事に出席できないことが多かったようです。

トップの写真は、Wikipediaから。

■昨日のの答え=・・・ЯМАЙКА・・・ヤマイカ(意味:ジャマイカ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ТОНГА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

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ロシアの「美人」②=I.メトリツカヤ

2010-03-11 | ★演劇・映画★
美人薄命という言葉がありますが、ソ連時代から新生ロシア時代にかけての「美女」を代表する一人、女優のイリーナ・メトリツカヤはまさにそうした、大変残念なことに若くして亡くなってしまった大女優の一人です。(享年36歳。白血病で亡くなってしまいました)。



(写真はこちらから)

英才教育が盛んだったソ連時代。
音楽専門学校や美術専門学校、語学専門学校、スポーツ専門学校など、ある分野に秀でた能力を持つ子供たちを集めた専門学校が存在していましたが、このような専門学校の中でも最も「エリート」クラスだとされていたのが、「物理・数学専門学校」。

イリーナ・メトリツカヤはこうした「物理・数学専門学校」の出身者という、女優にしては珍しい経歴を持っています。(物理学者になる予定でした)。
在学中に「優等生の女子高生」役を探していた映画監督にスカウトされ、女優業の道を歩みはじめます。

所謂80年代後半から90年代にかけて活躍した女優さんなのですが、「ペレストロイカ」、特に「ソ連崩壊」という一大イベントによって翻弄されたこの時代は、映画を含め、文化的に言えばどちらかというと不毛な時代でした。
イリーナ・メトリツカヤは、昨日とりあげたタチアナ・サモイロワのように国際クラスの「名作」と呼ばれるような作品には出演していません。

『アンナ・カレーニナ』のリメイク版が出される話しがあって、その主役アンナ・カレーニナ役にイリーナ・メトリツカヤが抜擢されたのですが、結局この作品の撮影は実現しませんでした。
実現していれば、タチアナ・サモイロワとはまた一味違う、素晴らしい「アンナ・カレーニナ」が映画史上にのこったのではないかと思います。

ちなみにイリーナ・メトリツカヤは、乱暴され、「復讐鬼」と化した女性の役を演じた『復讐』などの映画に主演していますが、「作品自体は一流でなくても、イリーナ・メトリツカヤが出演すると名作になる」と称された女優で、もう少し早く生まれてソ連映画の全盛期に映画界で活躍していれば、数多くの名作を残したであろうと言われています。

YouTubeにイリーナ・メトリツカヤについての感動的なドキュメンターリー番組(RTR)がアップロードされていますので、興味のある方はこちらへどうぞ。

■昨日のの答え=・・・ГРЕЦИЯ ・・・グレツィヤ(意味:ギリシア)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ЯМАЙКА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

(トップの写真はこちらから)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

ロシアの「美人」①=T.サモイロワ

2010-03-10 | ★演劇・映画★
ところで、「絶世の美女」として誉れ高いプーシキンの妻ナタリア・ゴンチャローワですが、国や時代によって「美しさ」の基準は大きく変わります。

今もそうですが、ソ連時代は特にロシアから情報が入ってくるということはほとんどありませんでした。
従って、ソ連時代を含め、ロシアではいったいどういう女性が「美しい」とされているのか、あまりピンとこない場合が多いです。

・・・ということで、ソ連・ロシアを代表する「美人」たち・・・を少し紹介したいと思います。

まずは、ソ連映画で唯一カンヌ国際映画祭でグランプリをとった映画『鶴が翔んでゆく』(邦題『戦争と貞操』・日本語でのあらすじ紹介はこちら)の主役の若い女性ヴェロニカを演じたタチアナ・サモイロワ。(YouTubeにカンヌ映画祭に参加しているサモイロワの動画があります・動画はこちら/3:00)

カンヌ映画祭以降、ハリウッドをはじめ海外の映画作品への出演オファーがきていましたが、時代が時代であったため、世界の「美女」とはならず、ソ連の「美女」の枠に留まることを余儀なくされた女優さんです。
あのピカソも彼女の美しさと演技を絶賛したとか。

タチアナ・サモイロワの最高のはまり役は、何といっても、トルストイ原作の映画『アンナ・カレーニナ』のアンナ・カレーニナ役でしょう。



ヴィヴィアン・リーやソフィー・マルソーの「アンナ・カレーニナ」も良いですが、ロシアの人々にとっての「アンナ・カレーニナ」は何といっても「タチアナ・サモイロワ」のイメージ。

ちなみに、映画『アンナ・カレーニナ』もフランスのカンヌ国際映画祭に出されることになっていましたが、1968年5月21日にフランスで勃発した「五月革命」の影響で映画祭自体が中止となりました。
もし中止されなければ、アレクサンドル・ザルヒ監督の『アンナ・カレーニナ』も賞をとっていたに違いないと思います。
名作中の名作です。

■昨日のの答え=・・・ФИЛИППИНЫ ・・・フィリピヌィ(意味:フィリピン)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ГРЕЦИЯ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

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トゥーランドット姫の記念像

2010-03-05 | ★演劇・映画★
アルバート通りはロシア人にとって「単なるメインストリートのひとつではなく、ロシアの心臓部であるモスクワの心臓部そのものである」と、よく言われます。

ソ連時代においても、アルバート街には一貫して文学者、詩人、役者、音楽家といったソ連・ロシアの知識人、文化人が数多く住んでいました。
その自由で文化的な香りが、アルバート地区一帯にしみついているのです。
その中心にあったのが、アルバート通りです。
「アルバートらしさ」、「アルバートの雰囲気」を表すエピソードがあります。

アルバート通りのちょうど真ん中あたりに、ワフタンゴヴォ劇場があります。これは、モスクワの重要な演劇劇場のひとつです。


(写真はこちらから)

ワフタンゴフという有名なソビエト・ロシアの演出家が1922年、亡くなる直前に手がけたカルロ・ゴッツィ作の『トゥーランドット姫』の舞台はソ連演劇界の代表的作品のひとつとなり、1922年から2006円までの約80年間、演劇が大好きなロシアの人々に愛されてきました。そして何といってもワフタンゴヴォ劇場の定番演目となったのです。
2006年、この演目は「リニューアル」のため、レパートリーから外されましたが、多くのロシア人にとってワフタンゴヴォ劇場は未だにワフタンゴフ演出の『トゥーランドット姫』の舞台を連想されるものとなっています。

それを象徴するかのように、劇場の横には1997年にトゥーランドット姫を模った金色の彫像と噴水ができ、恋人たちの憩いの場となっています。ちなみに『トゥーランドット』といえば、プッチーニのオペラで日本でもよく知られています。

さて、このワフタンゴヴォ劇場ですが、アパートが「配給制」であったソ連時代、近くの路地のアパートに、この劇場に所属する役者たちがかたまって住んでいました。アパート全体が、役者たちの家族で占められ、中庭はその役者たちの子供たちの遊び場となっていたそうです。
先日、その頃のことを、当時子供だった女優と女流作家の二人が回想しているテレビ番組を見ました。
二人は次のような場面を思い出していました。

真夏の朝、中庭で子供たちの遊ぶ楽しげな声が響いています。こだまする笑い声。
しばらくすると、3階のベランダから役者の一人が顔をのぞかせ、バケツ一杯にくんだ水を子供たちにかけます。暑い最中、上から水が降ってきて大喜びの子供たちは、ますますおおはしゃぎです。
すると5階のベランダから、別の役者が顔を出して、3階のベランダにいる役者の頭の上にバケツから水をかけるのです。
子供も、大人もひとつになってふざけては、大笑いする、何とも言えない解放感、温かさ、連帯感。
そして夜は、中庭のベンチを中心に、舞台が終わった後も興奮冷めやらない役者たちが、遅くまでその日の演技について語り合っている声が響いていたそうです。

演劇という自分たちの仕事、自分たちが創りあげる芸術に全身全霊どっぷりと浸かりながら生きることの喜びのようなものが、ここに住む住人を覆い、独特の世界を生み出していた、と当時を思い出していた二人はしみじみと語っていました。
路地に建ち並ぶアパートを見上げると、かつてその部屋のひとつひとつで自作の詩を読んだり、ピアノを弾いたり、人生や政治について熱く語りあった人々の息吹のようなものが感じられます。この息吹そのものが、「アルバート街」なのです。

トップの写真はアルバート街を上から撮影したもの。

■昨日のの答え=・・・АВСТРИЯ ・・・アフストリヤ(意味:オーストリア)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
АВСТРАЛИЯ

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

Burberryのマトリョーシカ

2010-03-03 | ★ファッション★
2008年11月、Vogue Russia の刊行10周年を祝したイベント「デザイナーズ・マトリョーシカ」でVogue誌がマトリョーシカのデザインを依頼した5名のロシア出身期待の若手デザイナー達。
昨日、Nina Donis、Alena Akhmadullinaを取り上げましたので、今日はその続きです。

まず、Denis Simachev(デニス・シマチョーフ)。


(写真はこちらから)

アリョーナ・アフマドゥーリナ同様、Smirnoff International Fashion Awardsを制覇。
2001年に最初のコレクションを発表。
以降、ロシアだけではなく、ヨーロッパ、アメリカ、アジアにも受け入れられたようです。特に「男性ファッション」が人気あるようです。
ちなみに上記デニスさんのTシャツに書いてあるのは・・・「友よ、俺はウソつかない」(だと思う)。


(Denis Simachevのマトリョーシカ)

Andrey Bartenev(アンドレイ・バラチェネフ)


(写真はこちらから)

若手の中でおそらく最も海外での知名度が高く、またデザイナーとしてだけではなく、前衛画家、舞台演出家、要するに「アーチスト」としても評価されているのが、ニッケルの産地で有名なロシアのノリルスク市出身のアンドレイ・バラチェネフです。
あれこれ書くよりも、興味のある方は本人のHPをご覧いただいた方がよいかもしれません。大変インパクトの強い、面白いHPです。こちらへどうぞ。


(Andrey Bartenevのマトリョーシカ)

Konstantin Gayday(コンスタンチン・ガイダイ)


(写真はこちらから)

ロシア若手デザイナー5人組の最後を飾るのは、帽子のデザインで有名なノヴォシビルスク市出身のコンスタンチン・ガイダイ。
2001年に最初の帽子のコレクションを出しています。
本格的に頭角をあらわしたのは、2003年にモスクワに活動の場を移してからのようです。
2006年からは、帽子だけではなく、洋服のデザインも手がけています。


(Konstantin Gaydayのマトリョーシカ)

トップの画像は、Burberryのマトリョーシカ。
ここに使用されているマトリョーシカたちの引用はこちらからです。

■昨日のの答え=・・・ВАТИКАН ・・・ワティカン(意味:バチカン)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
ВЕНЕСУЭЛА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

Moschinoのマトリョーシカ

2010-03-02 | ★ファッション★
ロシアのファッション業界。
昨日取り上げた「スラーヴァ・ザイツェフ」「ワレンチン・ユダシキン」はどちらかというとロシア・ファッション業界にど~んと君臨している「主」的存在です。

そういう意味では、若手の活躍の方が新鮮で面白いです。
ですから、2008年11月、Vogue Russia の刊行10周年を祝したイベント「デザイナーズ・マトリョーシカ」でVogue誌がマトリョーシカのデザインを依頼したユダシキン以外の5名のロシア出身のデザイナー達は、まさに今最も旬なロシア人デザイナー達であるといえるでしょう。

まず、Nina Donis。


(二人の写真はこちらから)

これは、ロシア人のニーナ・ニレティナとキプロス人のドニス・プピスの二人による共同ブランド。モスクワの大学で知り合い、2000年に共同ブランドNina Donis を立ち上げました。


(Nina Donisのマトリョーシカ)

そして、Alena Akhmadullina。(アリョーナ・アフマドゥリナ=本名アスフィーロワ)


(写真はこちらから)

1978年生まれの期待の若手デザイナー。
デザインはペテルブルクで学んでいます。Smirnoff Fashion Awardなど、ロシア・デザイン業界の登竜門であるコンクールを制覇し、2001年に最初のコレクションを発表。
以降、大変注目されている人気のデザイナーの一人です。


(Alena Akhmadullinaのマトリョーシカ)

トップの画像は、Moschinoのマトリョーシカ。
ここに使用されているマトリョーシカたちの引用はこちらからです。

■昨日のの答え=・・・УКРАИНА ・・・ウクライーナ(意味:ウクライナ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
АНГОЛА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます

Versaceのマトリョーシカ

2010-03-01 | ★ファッション★
ロシア人のブランドもの好きは、ヨーロッパではかなり有名なこととなっているようです。事実、ある程度お金に余裕のある層は、こぞってイタリアやフランス、イギリスの有名デザイナー達の洋服やアクセサリーを身につけています。

ところで、ロシアには、ロシア出身のデザイナーというのはいないのでしょうか??

・・・勿論、ちゃんといます。
生粋の「ロシア出身」のデザイナー。
ロシアやCIS諸国のファーストレディーたちやロシアのセレブたちのファッションアドバイザー的なことをしながら、テレビでも自分の番組を持ってほとんどロシア芸能界の主的なことをしている古株デザイナーさんから、西欧的な発想を持ち、ヨーロッパなどでもそれなりに認められてきている若手デザイナーたちまで、それなりに色々なデザイナーさんたちがいるようです。

有名どころ(=古株)の筆頭にくるのは、ソ連時代から活躍しているスラーヴァ・ザイツェフ(Slava Zaitsev)=ロシア語での正式名はヴャチェスラヴ・ザイツェフ。


(写真はこちらから)

ソ連時代はゴルバチョフ書記長の奥さんライーサさんの洋服をデザインしていたそうですし、プーチン首相、メドヴェージェフ大統領それぞれの奥方たちのデザインも、このザイツェフ氏が手がけているようです。

もっと若い世代で、1991年にパリで最初の自作コレクション(主として1987年以降つくったもの150点)を発表して好評を博し、以降ロシアのモード界にザイツェフと並んで王者として君臨したワレンチン・ユダシキン(Valentin Yudashkin)がいます。


(写真はこちらから)

ザイツェフも自分の番組をテレビに持っていますが、ユダシキンもよくテレビに登場する、芸能人そのものです。

ちなみに、「Valentin Yudashkinのマトリョーシカ」というのもあります。
こちらです。



引用はこちらから。

トップの画像は、Versaceのマトリョーシカ。
引用はこちらからです。

■昨日のの答え=・・・ЧЕХИЯ ・・・チェヒヤ(意味:チェコ)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
УКРАИНА

(答えは・・・明日のお楽しみ)

モスクワの幻想的な冬景色、こちらから観られます