
モスクワの中心、アルバート地区のポワルスカヤ通り。
リトアニア生まれの象徴派詩人バルトルシャイティスの記念板があるすぐ近くに、もう一枚、記念板があります。

没落貴族の息子で、ロシア初のノーベル賞作家(1933年にノーベル文学賞受賞)イワン・ブーニンの記念板です。
向かい側の公園には、なかなか雰囲気のあるブーニンの記念像も設置されています。
ブーニンは、ロシア銀の時代に活躍した小説家ですが、いわゆる「象徴主義」「印象主義」「未来派」といった、詩人達を中心に形成されていた文学潮流には属さず、チェーホフやトルストイなどと同様に、独立した存在として活動していました。

(写真はこちらから)
ロシア革命後はフランスに亡命し、パリで著作活動を続け(作品はロシア語で書き続けました)、1953年パリで客死しました。
帝政ロシアの貴族・知識層を中心として、いわゆる「ロシアからの第1次亡命世代」の代表者でもあります。
1929―1954年まで、ブーニンの作品はソ連では「禁書」という扱いを受けており、一切出版されることがありませんでしたが、「禁書」のレッテルがとれて出版されるようになると、一挙に「最も沢山出版され、最も沢山読まれる」大人気の作家という扱いを受けるようになります。
ブーニンは文体の名人だと言われており、シャープで的確な表現には定評があります。その短編など、ロシア語を勉強している人には是非原文で読まれることをお勧めします。
■昨日の
の答え=・・・Цунами・・・ツナミ(津波)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)
■今日の
=次の単語を発音してみましょう。
Якудза
(答えは・・・明日のお楽しみ)
★新プロジェクトの情報はこちら★
リトアニア生まれの象徴派詩人バルトルシャイティスの記念板があるすぐ近くに、もう一枚、記念板があります。

没落貴族の息子で、ロシア初のノーベル賞作家(1933年にノーベル文学賞受賞)イワン・ブーニンの記念板です。
向かい側の公園には、なかなか雰囲気のあるブーニンの記念像も設置されています。
ブーニンは、ロシア銀の時代に活躍した小説家ですが、いわゆる「象徴主義」「印象主義」「未来派」といった、詩人達を中心に形成されていた文学潮流には属さず、チェーホフやトルストイなどと同様に、独立した存在として活動していました。

(写真はこちらから)
ロシア革命後はフランスに亡命し、パリで著作活動を続け(作品はロシア語で書き続けました)、1953年パリで客死しました。
帝政ロシアの貴族・知識層を中心として、いわゆる「ロシアからの第1次亡命世代」の代表者でもあります。
1929―1954年まで、ブーニンの作品はソ連では「禁書」という扱いを受けており、一切出版されることがありませんでしたが、「禁書」のレッテルがとれて出版されるようになると、一挙に「最も沢山出版され、最も沢山読まれる」大人気の作家という扱いを受けるようになります。
ブーニンは文体の名人だと言われており、シャープで的確な表現には定評があります。その短編など、ロシア語を勉強している人には是非原文で読まれることをお勧めします。
■昨日の

■今日の

Якудза
(答えは・・・明日のお楽しみ)
★新プロジェクトの情報はこちら★