以前に調べ物をしている時、次のような文章に出会った。以下はその引用である。
群馬県T駅に降り立ったのは午後3時くらいだろうか。私は駅を出ると横を通り 駅舎の裏側に出た。 は必ずしも一律全てが悪条件な場所にあるのではない、ということを以前 に書いたが、ここはそれとは正反対。いわゆる今までの偏見どおりの、条件が 悪いに入るか。 以前の地名は「××町」といい、道端の案内板によると、昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていたので、それで××とつけられた と、道端の案内板は解説している。
ここは非常に説明しにくいだが、非常に貴重なでもある。なぜなら、ここから女性が一人、皇族に嫁いでいるからである。そもそもこの土地につ いては、ある研究者の方に紹介していただいて知ったのだが、最初は私も半信 半疑であった。しかし今回実地に歩いててみて、それを確信するに至った。
まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、女性はその社長の娘だった。地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという。何代にもわたって 記録的な成長を続けてきたこのN社だが、それはやはり「差別からの脱却」が まず根本に、怨念のようにあったからであろうと思う。江戸期から商いに奮闘してきたその歴史は、彼の地にあるN記念館でも辿ることができる。(後は略)
異様な文章であるし、伏字は誰でもわかる内容だ。まさかと思ったが、裏を取る必要がある。
ためしにWIKIのN製粉を調べ、その創業者を調べてゆくと、なんと!
「**家の遠祖は新田義重の家臣生田隼人であると称している。後世、世良田にいた**家の人が館林に移って商人になった。」とあるではないか。
世良田でピンと来る人はなかなかの歴史通だ。この地名は二つのことで有名なのだ。
ひとつは、八切氏が暴露した事だが、家康は松平姓などではなく、世良田二郎三郎だったのだ。また、開放のが出来るきっかけが世良田の焼き討ち事件からだった。
微妙な問題なので極めて書きにくいが、早い話、皇族に嫁いだ方は徳川家康と同族なのだ。彼女が宮中でいかに苦労したかは想像を絶する。
今まで私は今上天皇を誤解していたかもしれない。彼はひょっとすると一人で戦っているのかもしれない。しかもそれは孤立無援にちがいない。皇室がゆれているのは間違いがないが、その理由は案外このあたりに根があるのだろう。
私が知りえたぐらいだからマスコミは当然誰もが知っている事だ。なぜ報じないのだろう。
報道というのは何のためにあるのだろう。知っているのに知らせないのは罪だと思うのだが・・・・。