日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

常に喜べ。絶えず祈れ。凡てのこと感謝せよ

2010-12-20 | Weblog
    第1テサロニケの手紙第5章 

   16~18節「常に喜べ。絶えず祈れ。凡てのこと感謝せよ…」(文語訳)

   1節「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません」。4章の再臨信仰について更に展開し、その時(クロノス)と時期(カイロス)について書き記す必要はないだろうという。
  2節「盗人が夜やって来るように、主の日は来る…」。「主の日」とは神の支配の時(カイロス)であり、キリスト再臨の時を指す。「盗人が夜来る」という表現はイエスの終末預言から伝えられたと考えられる(マタイ福音書24章43節)。第Ⅱペトロ3章10節にもあるが、その時は突然であり、「無事だ、安全だ」と思っていると突如破滅が襲うという(3節)。「妊婦の産みの苦しみ」もマタイ福音書24章8節にあるが、ここでは生れ出る喜びが失われている(ローマ8章22節、ガラテヤ4章19節see)。
   4節「…あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。…主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです」。光と闇、昼と夜が対比される。つまり光の子、昼の子だから夜にも暗闇にも属していない。だから盗人が突然襲うことはないが、しかし目覚めて身を慎みなさいと勧める(5~6節)。夜に属する者は、酒に酔いしれて突然襲ってくる破滅に気付くことが出来ない(7節)。
「信仰と愛の胸当て、救いの希望の兜」という武具によって、暗闇の支配から身を守るのである(9~10節)。これはエフェソ6章10~18節にもある。
  12節「兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ…」。指導者たちの働きに対して愛をもって尊敬し、互いに平和に過ごすようにと勧める(13節)。4章9節では書く必要はないとあるが、ここでは教会の機能的な役割に対して労苦があったことが伺える。
   13~14節では、ふしだらな怠け者を戒め、小心で気弱い者の面倒をみるように、またすべての(パンタス)人に寛容(口語訳)であるようにと勧める。また悪には悪で報いることなく、すべての人にいつも(パントテ)善で報いるように努めよという(15節)。主イエスもこれを求められた(マタイ5章43~44節)。
   「いつも(パントテ)喜び」(16節)、「絶えず祈り」(17節)、「どんなことにも(パンティ)感謝しなさい」(18節)。NTD訳「どんな時にも感謝せよ」。
   これらはキリスト者の平常の状態を示し、神が求めておられことである(19節)。つまり神が聖霊によって促されるのである(20節)。これを抜きするととんでも無い誤解が生じる。あらゆるもの(パンタ)を吟味し、あらゆる(パントス)悪を避ける必要がある(21~22節)。キリスト者はローマ8章28節を念頭に置かねばならない。
   23節「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように」。既に主イエス再臨に際して「聖なる者」となることが示されたが(4章13節)、ここで再び祈るのである。「霊(プニューマ)も魂(プシュケー)も体(ソーマ)も」とは、キリストによって贖われた全存在を指す。「霊」とは内に宿る霊(ローマ8章9、11節)であり、「魂」は口語訳「心」で、知情意を表わす。
ここには、キリスト者の完全(ジョン・ウエスレー)が表示されている。

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