日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

天の窓を開き 祝福を限りなく注ぐ

2015-05-16 | Weblog
  マラキ3章 

  10節「十分の一の献げ物をすべて倉に運び わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと 万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために 天の窓を開き 祝福を限りなく注ぐであろう」(新共同訳)

  新共同訳はマラキ3章1~24節で終る(現ヘブライ語聖書)が、口語訳は19~24節を第4章としている。内容は「主の日到来」で、新約聖書につながる章としては適切である。
  1節「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる」。2章17節から継続する預言。神の審判を告げる使者である。
  3節「彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レビの子らを清め金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである」。彼は1~2章で指摘している祭司らの誤った祭儀と、破棄した契約をただすために、精錬によって汚れを取り除くのである。
  5節「裁きのために、わたしはあなたたちに近づき 直ちに告発する。呪術を行う者、姦淫する者、偽って誓う者 雇い人の賃金を不正に奪う者 寡婦、孤児、寄留者を苦しめる者 わたしを畏れぬ者らを、と万軍の主は言われる」厳しい神の告発である。
  7節「あなたたちは先祖の時代から わたしの掟を離れ、それを守らなかった。立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると 万軍の主は言われる。しかし、あなたたちは言う どのように立ち帰ればよいのか、」。しかし、彼らはどのように立ち帰ればよいのか、と問う。それは十分の一の献げ物と献納においてである(8節)。新共同訳「偽る」は、口語訳は「盗む」である。「人は神を偽りうるか」より「人は神の物を盗むことをするだろう」と訳すほうがよい。10分の1規定をまもらないことと5節の告発とのつながりからすれば、ここは「盗んでいる」が具体的になる(申命記14章29節see)。
  10節「十分の一の献げ物をすべて倉に運び わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと 万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために 天の窓を開き 祝福を限りなく注ぐであろうむことをするだろう」と訳すほうがよい。10分1規定を守らない事と5節の告発とのつながりから」。田畑を荒らす蝗の襲来はもうない(11節)。諸国の民はあなた達を幸せな民と呼ぶ。
  13節「あなたたちは、わたしに ひどい言葉を語っている、と主は言われる。ところが、あなたたちは言う どんなことをあなたに言いましたか、と」。小見出し『正しい者と神に逆らう者』。神との対話形式で、祭司らの罪業が暴かれる。
  16節「そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された」。神を畏れ敬う者と神に逆らう者、神に仕える者と神に仕えない者とが明らかになる(18節)。
  19節「見よ、その日が来る、炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない」。小見出し『主の日』。ここで主の日到来を待望する理由が示される。1節の使者はここではエリヤ再来である(23節)。ユダヤ教徒はこれをメシアとした(マタイ福音書11章14節)。しかしバプテスマのヨハネは自らを先駆者として示し、イエスこそメシアであると告げている(マタイ福音書3章11節、11章2~14節、ヨハネ福音書1章20~27節)。メシア告白の鍵は教会(エクレシア)に授けられている(マタイ16章)


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