イザヤ2章6~22節
6~9節 イスラエル背信の実態
6節「…占い師と魔術師を国に満たし~」。呪い
7節「…銀と金とに満たされ、戦車には限りがない」。拝金思想と戦力拡大
8節「…偶像に満たされ、手の業にひれ伏す」。偶像礼拝
9節「人間が卑しめられ…」。人権抑圧
10~11節 避けることの出来ない神の審判
神の審判が告げられると、岩の割れ目や「塵の中」(地面の穴)に身を隠せと命じられる。これは反語的な表現である。これは18~21節に再録されている。しかし神の眼差しを避けることはできない(詩139篇9節以下)。
12~21節 神の審判はすべての国に及ぶ。
11節「その日」は「万軍の主の日」(12節)である。これは、17節、20節にも出ている。
12~16節は轟音を立てて神の嵐が、北端はレバノン山脈から、南端はアカバ湾まで吹き荒れる有様を描く。山々は陥没し、タルシシュの船は転覆する。そして安全や誇りは砕かれるのである(17節)。
20節「…もぐらやこうもりに投げ与える」。不潔な動物とされている(レビ記11章18節、申命記14章16節)。
22節「人間に頼るのをやめよ。鼻で息をしているだけの者に。…」。口語訳「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか」。岩波訳「鼻で息をするだけの人間などは、捨て置くがい。…どこに値打ちがあるだろうか」。人間は塵だ! 神が息を吹き込まれたのだ(詩104篇29~30)。人間が自己絶対化し、偶像視するという転倒を主なる神は厳しく糾すのである。
フィリピ3章19節口語訳「彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである」が示される。
6~9節 イスラエル背信の実態
6節「…占い師と魔術師を国に満たし~」。呪い
7節「…銀と金とに満たされ、戦車には限りがない」。拝金思想と戦力拡大
8節「…偶像に満たされ、手の業にひれ伏す」。偶像礼拝
9節「人間が卑しめられ…」。人権抑圧
10~11節 避けることの出来ない神の審判
神の審判が告げられると、岩の割れ目や「塵の中」(地面の穴)に身を隠せと命じられる。これは反語的な表現である。これは18~21節に再録されている。しかし神の眼差しを避けることはできない(詩139篇9節以下)。
12~21節 神の審判はすべての国に及ぶ。
11節「その日」は「万軍の主の日」(12節)である。これは、17節、20節にも出ている。
12~16節は轟音を立てて神の嵐が、北端はレバノン山脈から、南端はアカバ湾まで吹き荒れる有様を描く。山々は陥没し、タルシシュの船は転覆する。そして安全や誇りは砕かれるのである(17節)。
20節「…もぐらやこうもりに投げ与える」。不潔な動物とされている(レビ記11章18節、申命記14章16節)。
22節「人間に頼るのをやめよ。鼻で息をしているだけの者に。…」。口語訳「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか」。岩波訳「鼻で息をするだけの人間などは、捨て置くがい。…どこに値打ちがあるだろうか」。人間は塵だ! 神が息を吹き込まれたのだ(詩104篇29~30)。人間が自己絶対化し、偶像視するという転倒を主なる神は厳しく糾すのである。
フィリピ3章19節口語訳「彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである」が示される。