goo blog サービス終了のお知らせ 

『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

朝倉景恒(あさくらかげつね)

2015-03-11 18:28:03 | 信長公記の蔵:人物篇
朝倉景恒(あさくらかげつね)

〔現代かなづかい〕あさくらかげつね


 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


中務大輔。朝倉教景の孫で景紀の子。越前

金が崎城主。

1568年7月足利義昭が朝倉義景の元から信長

    の元へ向かうとき、景恒は二千騎を

    率い近江の余呉まで警護した。

1570年4月信長に金が崎城を攻められ退散。

のち永平寺に遁世


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 先んずれば人を制し、遅るれ... | トップ | 讒口は黄金より煖かく、毀言... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事