『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

戦国データ篇VOL.2【軍(いくさ)の作法】

2007-06-25 23:32:34 | 戦国データ篇
戦国時代の軍(いくさ)の進行について

5)軍の作法

 軍については、明文化されていないながらも守らなけれ

ばいけない作法がある。

 ①開戦の通告

 軍の進行パターン中『開戦』は、必ず敵方に文書あるいは

 実際行動を通じて通告してから行うのがまず第一の作法

 である。また古風にのっとれば、互に鏑矢を射合い鬨の声

 を上げてから戦闘開始という手順である。戦闘開始の

 場所・時刻が上記のとおり互いに察しがつく状態で

 開戦されるのが普通なので、突然聞いたことも無い敵

 が聞いたことも無い方面から攻め込んでくることはあり

 えない。もしこの作法を破れば、『戦国の無作法』という

 悪評が京都を含む諸国へ広がってしまう

 ②連絡係を攻撃してはならない

 戦闘の途中で和議の勧告や降参の意思表示をする

 とき、連絡係としては使番などが用いられる。『五』の字

 の書かれた旗などを翻して馬で行きかうため『番五の

 使い』と呼ばれるが、彼等に対して絶対に攻撃しては

 ならないし、『番五の使い』を装って敵陣に攻め込んだ

 りしてはならない。もしこの作法を破れば、激怒した敵

 から徹底的な殲滅戦に持ち込まれる可能性が出てくる

 ③報告時の作法

 『番五の使い』の側にも作法があり、まず敵陣の外交

 担当者(いわゆる『取次ぎ衆』)あてに面会したい旨

 申上し以下のような作法で面会する。

 *取次ぎ衆の手前で馬から下りる

  →攻撃の意志がないということを示す動作

 *敵武将の右手側から乗っている馬の背後を回り込み

 武将の左手側に出てひざまづいて物を申上する

  →武士は普通右手で左腰につけた刀を抜き右手で

  打つ。それ故馬の左正面から近づく敵を切るのは

  難しい。したがって馬の左正面から近づくと攻撃の

  意志ありとみなされる

 *ひざまづくときには右ひざをつき左ひざを立てる

  →左ひざをつき右ひざを立てるとすぐに刀を抜ける

  姿勢となり、攻撃姿勢とみなされる

 *両手とも手のひら側を敵将に向けて地面につく

  →手の中に小さい武器さえ持っていないことを相手

  に示すための動作

 *もし兜をかぶっていた場合は右脇に抱える

  →兜を右脇に抱えれば刀が抜けない姿勢となり敵意

  のないしるしとなる

 これらの報告時の作法は普遍的なものであり、敵軍相手

 だけではなく自軍の内部でも同様である。報告時の作法

 を破った者はいつでも切り捨てられてよいことになっている

 ④調略に応じた敵将は厚遇すること

 戦闘開始前、寝返りや内応を起こさせるため様々な調略

 が行われるが、事前の打ち合わせどおり寝返り・内応を

 行なって効果をあげた敵将は、戦後厚遇する作法になって

 いる。ただし、寝返ってきた敵将は、その後の軍で最前線

 に置かれる場合が多く、また最前線を志願して戦功を立て

 ることによって新しい主君に忠誠心をあらわすのが普通で

 あった。

  なお寝返りや内応に応じるときには、互に有力・著名な

 武将に取り次いでもらい、事前に確認しあっておくことが

 重要。戦闘中に前打ち合わせなく寝返った者は、もっとも

 な理由(例えば守備が厳重で連絡することができなかった

 など)が無い限り許されない。逆に調略に応じ自軍のため

 にきちんと功績を挙げてくれた武将を殺害したりするのは、

 『戦国の無作法』という悪評を受けることになる

 ⑤平地戦で捕虜になった場合

 一つの戦闘のあと、武士らしく戦って捕虜になったものに

 ついては、放れ馬同様時期を定めて互いに交換し合うの

 が作法である。戦わずに逃げ落ちた者は卑怯者とされ、

 切り捨てられても仕方ないということになっている

 ⑥攻城戦の戦後処理

 攻城戦の後降参してきた者の扱いについてはいくつかの

 暗黙のルールがある。原則は「武士らしく命を惜しまず

 戦った者」が対象となるが、

 イ.明確に降参の意志を示してきた場合、それ以上攻撃

 せず話し合いに応じる。降参の詫び言に筋が通っていれ

 ば、戦後の扱いについては取次ぎ衆一任の形で保留とし、

 一度生きたまま捕虜とされる

  →連絡係としては、取次ぎ衆・同朋衆・使番・軍使など

 ロ.ただしその打ち合わせでさまざまな詫び言に合理性が

 無かったり、ただ助かりたいだけの為に無謀な交換条件

 (金銭・財物・土地など)を出してきたりする者は許され

 ない

 ハ.二度以上叛逆し降参してきた者は、いかなる理由が

 あろうとも許されない

 ニ.城あるいは取手全体の降参が許された場合、守備方

 の取る方法は二通りある。

  1.近くの自領あるいは同盟国領に退却の上、後日戦後

  処理(人質の提出・補償金等の交換条件)をとり行う

  2.開城及び交換条件を実行した上で、新しい主君に

  服従する。ただし、一国の代表者(国司・守護など)

  クラスの者が強い意思によって籠城戦を行なった場合、

  全んど許されていない。したがって、守備方全滅か

  城主の自害を条件に開城・降参という進行となる

 ⑦降参した者への作法

 基本的に『降参』は上記のように筋道だった進行でとり

 行われるので、その取り扱いについてもいくつかの暗黙

 のルールがある。

 *明確にしかも筋道を立てて降参してきたものを私的

 怨恨で許さないのは『軍の無作法』

 *降参が認められ城外に出てきたものを討ち取ったり

 するのは『軍の無作法』

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