『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

関口石見(せきぐちいはみ)

2017-10-11 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
関口石見(せきぐちいはみ)

〔現代仮名遣い〕せきぐちいわみ


不詳。

1581年11月皆川広照は安土の信長へ、名馬

    三疋を進上。伯父の根来寺の智積院

    も同行する。使いは関口石見がつとめ、

    信長方の取次ぎは堀秀久がつとめる。


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