『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

正権(せいごん)

2017-10-08 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
正権(せいごん)

〔現代仮名遣い〕せいごん


相撲取り。

1570年2月常楽寺の相撲に出場。

1578年2月安土信長の御前での相撲で、優れ

    た相撲を取った23人のうちの一人。

    信長から扇を下される。


※源平盛衰記では相撲の仕合で「死者多数」

 とありますので、地面の上でプロレス技

 のような対戦を行っていたと推定されま

 す。一定のルールで対戦する“スポーツ

 相撲”を開発したのは、実は信長公かも

 しれません。


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