『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

因縁と先例4【逆櫓問答-源平の戦い】

2007-08-22 09:12:25 | 因縁と先例
信長公記首巻第十六『村木ノ取手攻めらるゝこと』は、

天文二十三年(1554)駿河衆に攻撃された小川城の

水野金吾信元を織田信長の軍が救出に向かう様子を

描いた条です。


信長は熱田から船を出し知多半島を回りこんで小川に

向かおうとしますが、折からの強風で主水(かこ)・梶取

(かんどり)は「出港は無理」と告げます。ここで信長は

「昔渡辺・福島で(梶原景時と源義経が)『逆櫓』を争った

ときの風もこれくらいだっただろう。絶対に渡海する」と

先例を引き合いに出し出港を強行します。ちなみにこの

『逆櫓問答』というのは源平争乱期のエピソードで、四国

に逃げた平氏を追撃するため大物ヶ浦から船を出そうと

したとき、梶原景時が「海の上で自在に敵と戦うため舟の

舳先にも櫓を付けた方が良い」と進言したところ、源義経

が「舟の先頭に櫓をつけるなど臆病者の仕業である」と

言ってなじり、切りあい寸前までいってしまった事件です。

言い争いの後義経は、「よい天気波穏やかなときに船を

出せば、平家も『こういう日に源氏が渡ってくる』と用心を

厳しくしてくる。このような大風の中では『船で渡ってくる

ことはあるまい』と守備がゆるくなる。そこをするりと

わたり、敵を誅するのだ」といって強風の中出港を強行

しており、織田信長もこの故事を例に出して小川へ

向けて出港をしたものです。


このエピソードも、江戸時代初期の信長公記の読者が

『源平盛衰記』を読んでいることが前提となっています。

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