『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

一色義有(いっしきよしあり)

2016-01-19 18:08:02 | 信長公記の蔵:人物篇
一色義有(いっしきよしあり)

〔現代かなづかい〕いっしきよしあり

 ※Wikipediaによれば、一色満信=一色義有=

 一色義定となっています。


五郎。

1581年殺害された一色満信の後継者。

1582年2月信長信濃出馬の条々書き出しの中で、

    長岡藤孝は丹波の警護を、長岡忠興・

    一色義有に出陣が命じられる。


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