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今までの自分を振り返って、また一歩踏み出す力をつける自分日記(希望、夢を持つブログです)

今大事なポイント

2013-08-18 | Weblog

安倍内閣と官僚利権重視のこの権力構造にこそ改革が必要だ。

 

という事でここで先の本の中から今大事だと思う部分を引用抜粋して書き出してみます。

今の政治に大事な部分です、これからの明るい未来在る日本の社会の為にも、真面目に日本の政治状況をよくしたいと思っている政治家の為にも大事なことだ思う内容です。

癒着体質の崩壊は創造的日本をつくり上げるという意味に於いても大事な 「政治改革」。

 

この部分を何とか変えないと今のような強引な癒着政治は無くならないし、世界のバランス外交の為にも良い結果となる説明にもなる話しです。 

世界平和の為にも・・・国内の平和主義者の為にも、大事な変革。

 

最も重要なポイント      カレル・ヴァン・ウォルフレン 著より

「山県(やまがた)の遺産」を打ち破る  日本の特異な政治システムが生まれたのは、いくつもの要因が作用した結果である。 その誕生にもっとも責任のある人物を一人挙げよと言われたら、私は迷うことなく山県有朋を挙げるだろう。

実際、官僚が絶大な権力をもち、政治家にはどうする事も出来ない日本の統治システムは、山県の遺産とよぶことができる。 山県はいうまでもなく、明治後期の寡頭政治の中心的指導者の一人であり、大正に入ってからも影響力を持ち続けた最後の大物元老だった。

しかし、日本の学者・論客からは、どういうわけかあまり注目されなかった。 ほとんど誰もが、山県ではなく伊藤博文に関心を寄せてきた。 それもわからないではない。

伊藤はずっと前から「近代天皇制」の生みの親とされてきたからだ。 しかし、山県がいなかったら、近代天皇制はこれほど長くは続かなかったかもしれない。

山県の圧倒的な影響力がなかったならば、ヨーロッパ諸国にみられるような純然たる「立憲君主制」に遂げていたかもしれないのだ。 明治の知識人の多くが思い描いていたのは、そのような立憲君主制だった。

二度にわたって首相を務めた。

近代日本の陸軍を事実上、設計したのも彼だった。

血気盛んな長州藩下級武士の一人として、まずは尊皇攘夷運動のなかで注目されるようになり、1869年には明治政府から一年のヨーロッパ視察に派遣された。 1877年の西郷隆盛の乱を鎮圧したのも彼だったし、ヨーロッパでの見聞をもとに、徴兵制を導入したのも彼だった。 これは日本社会の「サムライ化」をうながす大きな要因となった。

「サムライ化」とは服従、義務、名誉という武士の価値観が全ての日本人に行き渡ったことをいい、国民皆兵の徴兵制によって武士と平民の区別が取り払われたことで、これが達成された。

山県の仕事のうち、その後の日本の進路に最も重要な意味を持つことになったのは、参謀本部を創設した事だった。 これによって天皇の統師権が内閣から完全に切り離され、文民が軍事に介入する事は、事実上、不可能になった。

山県はその後も、長い政治生活を通じて一貫して、政党政治家が真の政治権力を獲得することを恐れ続け、天皇制と軍部への文民の介入を完全に遮断しようとした。

1900年には管制を改正して陸軍大臣および海軍大臣の現役大・中将制を確立した。 また、1882年に発布された有名な 「軍人勅論」の制定にも深く関与し、国体思想の発展に大きく貢献することになった。

山県は、軍部に圧倒的な影響力を持ち続けたまま、軍人から文民官僚に転身することに成功した。

内務省ををはじめとする政府の諸機関を自己の目的に役立つよう再編成し、警察を内務省の管轄化に置いた。 彼にとっては、政府というものは、天皇の権威を維持していく為にのみ存在するものだった。 政府が国民の為に何かすべきだとか、何かできるという考えは、想像だに出来ないものだった。 

1900年前後から1922年に死去するまで、かれは最も有力な元老として、舞台裏から日本を動かし続けた。 この間の首相選びには、多かれ少なかれ必ず彼の意向が働いていた。

*彼がいなかったら、日本の政治システムは、明治の知識人の多くが思い描いていた純然たる立憲君主制に進化できていたことだろう。 官僚を「天皇のしもべ」と位置づけるのではなく、選挙で選ばれた議会の管理下に邑久政治システムに変わっていくことが出来ていただろう。

したがって山県がいなかったら、東大は、今のように日本のエリートに正当性を与える役割を担ってはいなかった、ということになる。

彼は政党政治家を忌み嫌い、持てる権力の全てを使って政党政治の発展を阻止しようとした。

カナダの偉大な日本史研究者 E・H・ノーマンは、山県についてこうのべている。

「彼は国民の意見を信用せず、とりわけ政党と名のつくものは、最も貧弱な政党や反動的な政党まで、あらゆるものを忌み嫌った。

山県が日本に残した影響は、オットー・フォン・ビスマルクがドイツに残した影響と合い通じるものがある。 ビスマルクのドイツ帝国が成立した後、ドイツの政治家としての機能をほとんど果たせなくなり、それが政治の空白を生んで、やがてヒトラーの台等を許すことになった。 山県がビスマルクの本拠地であるブロイセンから帰国したのは、調度ビスマルクがその大事業の仕上げに取り掛かろうとしていた頃だ。 彼がブロイセンで、その後の方向性を決める大きな方向性を決める大きな手がかりをつかんだことは、想像にかたくない。

日本の官僚に対する実効ある政治のコントロールを確立しようとする運動は、「山県の遺産」をたたき壊す運動なのである。  

重要なことだと実感できるものでした。

この「官僚政治」の継続、そして、戦前回帰しようとする現政権の思いがこの 「山県の遺産の継承者」と安倍総理も言えるところなのかなと思いました。

 

消費増税のことも憲法改正・集団的自衛権のことも、御自分の使命だと言われているのは、この権力固辞の為のものなのかなという感想を持ちました。

官僚体制維持・官僚議員の権力維持。   近代民主主義でないもの・・。

そして何よりもこの権力維持の為の戦前回帰。  言論弾圧・教育勅語の復活 

 

この「山県の遺産を受け継ぐ」 ・・・危険で独裁的な臭いのするものだと感じる。 

                                                                                        <全体主義>

長州藩という事での使命感をしっかり持たれ受け継がれているのではと思います。

             近代民主主義でないものの継続   感想

今の政治状況を言い当てている感じがします。

 

ビスマルクの本の中にある言葉

「終わりなき  苦しみ・暗闇の世界」   こんな世界は嫌だなと私は思う。