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今までの自分を振り返って、また一歩踏み出す力をつける自分日記(希望、夢を持つブログです)

聖火リレー(正直な気持)

2008-04-17 | ひとりごと
今回の北京オリンピックの聖火リレーで思った事。


「数の論理!」を観ている感じがした。 戦争での歪みは他の国も有ることなのだなと思う。 人権を唱える国も戦争の歪みが有る。 


それでも、オリンピックの祭典で国の争いを越えて、平和を唱えましょうという意味が有ると思うのに、どうなっているのだろう?


中国だけ悪者? 今戦争(弾圧)している国はどうなのだろう? 


もう一度「平和の祭典」とは何なのか考える時が来たのかな、と真剣に思った。


このように考えると、戦争で出来る悲しい人権問題。 戦争をした国は、何かしらどの国も持つものだと思う。 このような例を認めたら、負て植民地国に成った国の抗議をオリンピックで全部認めないといけないのだろうと思った。



聖火に手をかける行為は、何だか私は悲しかった。  


戦争はしない方がいい、でも何かしらどの国も戦争をしている。

ホスト国に成った時、今現在戦争している国は、やはりこのように聖火を奪ばれて抗議されるのだろうか?と思った。 全世界の目にさらされて、色んな問題が残った国は他にも有るのに、世界の注目の的に成るのは悲しいだろうなと思った。

分かり易く言うと、日本が過去の戦争問題で他の国から抗議され、聖火リレーの間抗議の的で悲しい想いをするとしたらどうなのだろう? どう感じるのだろう?


オリンピックとは色々ありますが、全世界仲良くスポーツで平和を願いましょう!
という祭典なのかなと思っています。


世界!!    武器も憎しみも置いてスポーツで闘いましょう! オリンピックの基本に立ち返ってと思い続けよう!!と思った。



是では世界平和なんて、考えられないんだろうなと思うと  悲しい話しです。

一国だけ孤立させるやり方は、私は好きではないなと思う。

人権の意義を唱えている国も、みんなで一斉に他の国への弾圧(戦争)を止めれば、スッキリする話しかもしれないなと思った。 



意義話し合いは別の、「人権を考える会」のようなものが出来ると良いのにと思う。



人権問題は自分の国は無いと思っているようですが、人種差別などは確かに有る話しです。

 
弾圧はいけない事、人権を唱えた国もイラクへの弾圧は止めて、自由と平和を与えられる?? と良いと思います。



何故か元気なチベット、国に居る人は大人しい感じの人が多いのに、暴動に加わる人には悲愴感が見られない。  何故だろう?


却って暴力的で私は怖い気がするけれど、どうなっているのだろう?

ダライ・ラマ法王が暴力は駄目だと言われているのだから、もう暴力的抗議活動は止めないとニュースを観ていて怖くなる!

   
    
    (正直な気持) 表現の自由は有るけれど、穏やかに聖火を見る自由も有ると思う。


聖火リレーのニュースが流れる度に、胸が痛むし本当に悲しい想いに成ります。 


長野の人が楽しみにしていたのに・・・と複雑な面もちだった。



これからもオリンピックが有る度、このような抗議活動が起きるのだろうか・?