音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

『いじめの構造』

2007-07-08 21:36:42 | 本・雑誌
最近は、さおだけ屋の二番煎じというか、長くてなんだかなあというタイトルの本が目立ちます。紳助の『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』なんかもそうですが、そんなあざとい題名に食傷気味だったので、土居健郎の名著『甘えの構造』を想起させるストレートなタイトルに惹かれました。



そして買って読んでみると、タイトルに相応しく読み応えアリでした。この新書は一応、教育論のカテゴリーに入ると思いますが、著者の提示した「いじめの構造」は、職場でも幼稚園ママのサークルでも、あらゆる集団にもあてはめることができます。従来のいじめ論が情緒的であったがゆえに、いまいち普遍性を持てず、結果大人たちが、それを「子どもの問題」としてしまっていたことを考えると、いじめのメカニズムを論理的に解明しているという点で、一般書としては画期的と評価できると思います。

著者は「スクールカースト」という概念でいじめを把握することを試みています。このスクールカーストとは「クラス内ステイタス」とも言い換えられますが、これの上下によっていじめ被害者になるリスクが変動するという理論です。スクールカーストを決定する最大要因はコミュニケーションスキルであり、容姿や運動能力、学力、腕っ節の強さなどがあっても、これがなければシカトなどコミュニケーション系いじめを受けるケースがあります。

①自己主張力

②共感力

③同調力

①はいわずもがな、②は他者と相互に共感する力ですが、人望やチャームにつながるものでしょう。③は場のノリを読み同調して、場合によっては空気を作っていく能力と規定しています。コミュニケーション能力はこれら3つの要素からなる三次元マトリクスによって決定されるとしています。

例えば、①②③とも高ければスーパーリーダーであり、逆に①②③とも低ければ、「何を考えているかわからない奴」としていじめリスクは最大です。他には、①と③が高くても、②の共感力が低ければ「残酷なリーダー、いじめ首謀者候補」になるかもしれず、①と②が高くて③の低い生徒は「栄光ある孤立」という風になりがちだと。なかなかわかりやすい分類です。

本書の冒頭で、教育再生会議の「いじめ問題への緊急提言」の後半にある「いじめを見て見ぬふりをする者も加害者である」というくだりに著者は激昂して、教育史に残る不道徳提言だと断罪していますが、中立者がなぜ見て見ぬふりをするのかについても、彼らがきわめて合理的な行動をとっているからだということが、このスクールカーストの概念で鮮やかに説明できてしまいます。

第三章は「いじめ」の発生メカニズムに多方面からアプローチしていますが、特にいじめ加害者のメンタリティーを「癒しとしてのいじめ」と分析しているのは示唆に富みます。それに続く第四章で、今度は「いじめ」隠蔽メカニズム-なぜ「いじめ」は隠されるのかについて考察しています。色んな現象の中で、教員がいじめに鈍感になっているからという観点がなるほどと思わせます。これは、一つには近頃のモンスターペアレントの存在です。日常の軋轢レベルにまで理不尽な苦情を突きつけてくることが年がら年中で、教員はその対応に疲弊して「いじめ」という言葉に脊髄反射的に拒否反応が出てしまうので、深刻ないじめの方を見逃しがちなのだそうです。もう一つは学校の中にある、もう一つのいじめ-そう「職員室のいじめ」です。

①教員は6歳以降「学校」しか知らないので、人格的に幼稚な人が少なくない。

②職場の人数の割に職種が多く、人間関係が複雑である。

③組織目標が明確性を欠くために、いじめが目的化しやすい。

大人の世界のどこでもいじめはありますが、上記が学校職員間のいじめの特徴だといいます。

著者は世の中にはびこる「いじめに関する妄言」を糾し、きれいごとではない現実的な対症療法を考えることを提案しています。そのために論理性・合理性が必要ではないかといっているのです。それは教育再生会議に教育研究者が一人も参加していないがゆえに、ただの印象論や経験論でしかないお粗末な提言しか出せないことからも大いに同意できます。

最終章に著者が一番言いたかったであろうことが凝縮されています。

前半を要約すると

学校にいじめは必要だ。社会にいじめがある限り、学校だけ「いじめ無菌状態」にすることが有益だとは思えない。問題は学校にいじめがあることではない。現在の学校の異常性は、校内犯罪が堂々と行われ、それが「いじめ」の名の下に放置されていること。いじめと犯罪を峻別しなければならない。

後半は「規範の内面化」や「武士道」という言葉が出てきて、著者の『授業の復権』『戦後教育で失われたもの』といった他の著作を読んでいない私は、正直「うっ」という感じもあったのですが、前段で用いた内藤、藤田といった教育学者とは、その思想やイデオロギーにはかなりの懸隔があるにもかかわらず、その理論を積極的に紹介しているスタンスに著者の志を感じました。

本書は、いじめを考えるうえで有用であると同時に、談合、裏金、賞味期限、耐震基準など、これまでの日本社会で許されていた「ダブルスタンダード」について考えさせる一冊でもあり、お勧めです。



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