音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

『狭小邸宅』各論その4

2013-03-24 14:49:34 | 本・雑誌
書店の『狭小邸宅』POPで、作者の新庄さんが元リクルートだったことが判り納得。さすがは人材輩出企業、藤原さん、海老原さん、常見さん等の書くもの(喋りも)は面白いし、リクルート出身で活躍している人は志が高い気がする。

すばる文学賞、『狭小邸宅』二人の選考委員のコメントは、
角田光代「あまりにも引きこまれ、蒲田の家が売れたとき私は泣いたほどである」
高橋源一郎「あまりに面白すぎる! ターゲットが「かまされる」シーンでは、いままでの新人賞の選考で、一度も読んだことのないほどの迫力を感じた」

私からすると、松尾の初受注に涙する読者は素人で、あれはパックン客(自分から買いに来た客のこと)だから、それほど面白いものじゃない。もちろん蒲田の売れない狭小物件に張り付いた執念が引き寄せた幸運だが、本作のハイライトは豊川イズムを注入された松尾が、練りに練った「まわし」を鮮やかに決める件りで、その意味で高橋源一郎は鋭い。

「まわし」という不動産用語は、業者が売りたい本命の物件に誘導するためのダミーのこと。どんな人でも予算は有限であり、希望と現実のギャップがある。それに折り合いをつけるのは客なのだが、うまくナビゲートすれば契約になり、それが出来なければいつまでも「買わないお客さん」のお相手をする羽目になる。それは営業マンの腕次第。案内する現場の選定、順番、トークは緻密に計算された台本のようなもので、優秀な営業マンは見込み客を自分の描いたストーリーに引き込み、一種のマインドコントロールにかける。

設定が城南地区というのも効いている。こういうエリアは土地を買って注文住宅を建てようとすれば1億円を超えるし、建売でもマシな物件は7千万円以上する。必然的に、顧客はある程度の富裕層か、医者、弁護士などの専門職、或いは高給とりのサラリーマンが多い。こういう人たちは概ね一定以上の知的水準にあり、判断力も理解力も優れている。何よりも、稼いでいる人の常でタイムイズマネー。忙しいので、プライベートの案件でもなるべく短時間でジャッジしようとする習性がある。実はこういう人の方が「まわし」やすいし、「かまし」も効くのだ。高学歴の人が宗教にはまりやすいのと同様、送り手の描くストーリーに乗ってくれる。

ID野球は何も考えていない相手には通じない。実際、ノムさんも長嶋茂雄だけには、ささやき戦術や配球が通用しなかったと述懐している。動物的カンで反応してくる長嶋には布石が意味をなさないからだろう。松尾のターゲットは、TV局の要職に就く四十代半ばの半田さん夫妻で、予算は7500万円、世田谷か目黒の一戸建てというのが譲れない条件。

豊川課長は「まわし」が本命を引き立たせるということのほかに、「ネックを潰す」目的があると云っているのがポイント。どのようなプロセスを経て、ネックがネックでなくなっていくのか、未読の方には本作を十分に味わってほしいので、ここでは詳述を避ける。ただ「あまり喋るな」というのも豊川課長の教えで、要は実際の物件に語らせよという意味。説明せずとも現場は何よりも雄弁であり、百聞は一見に如かずだ。その意味で「案内」が不動産営業で最重要なのはもっともだと思う。

まわし物件ほど積極的に勧め、客のネガティブリアクションにも安易に同調しない。逆に本命物件は素っ気なくして、時に否定的なフリも入れて、まわしが客に気どられないようにするのが要諦。料金表を見せる順番とか、どんな営業でも客の心理を利用するテクニックはあるものだが、不動産の案内はとりわけ高度だと思う。なぜなら、当日の道路状況や天候など、不確定要素が入ってくるから。晴れの日と曇りの日では現場や建物の印象は全然違うものだし、半田さん案内の初日のように、急な仕事が入って途中で中止というケースもある。

私が従事していたのは不動産営業ではなかったが、現場の案内というのは経験がある。デキる先輩は、引き渡しの顧客の家に案内する場合でも、事前にどういうパフォーマンスで協力してもらうかを綿密に打ち合わせしていて、決して出たとこ勝負にしなかった。建築中の現場を見せる際も細心で、日頃から現場の職人さんに差し入れなどしていながら、それでも当日の朝は現場点検を欠かさなかった。前日の作業や天候で何があったかわからないし、散らかっていたり吸殻が落ちたりしていないかチェックするためだ。

しかし、こういう人の心を操る仕事をしていると、ある種の胡散臭さというか詐欺師的な匂いがどうしても染み付いてくるのは避けられない。物語の最後の方で、松尾が大学の先輩にそれを痛烈に指摘される場面があるが、凄くよくわかる。だいたい不動産営業マンは服装や醸し出す雰囲気ですぐわかるものだ。コチラの終盤の論考は非常に的確。

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1 コメント

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ありがとうございます (早鐘)
2013-03-25 19:32:20
はじめまして。
奥田英朗好きでこちらのブログに出会いました。
過去のブログから音次郎さんとは、ほぼ同年代なのかなと読みながらニヤニヤしつつ、文章力に唸っております。
さて、今回紹介して頂いた狭小邸宅、やっと手に入れて一気読みしました。
久しぶりにページを繰る手が止まらない小説でした。今後も私の読書の幅を広げて頂ける面白い記事を楽しみにしています。
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