音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

牛河はなぜ中央林間に住んでいたのか

2010-08-03 23:01:35 | 本・雑誌
つい最近まで神田の三省堂書店では『1Q84』BOOK3で作られた塔が、店内1Fのセンターにそびえ立っていました。ホストクラブの(行ったことないけど)シャンパンタワーじゃあるまいし、3巻全てがミリオンという前代未聞の売れ方をした小説を、これ以上記号消費的な陳列をする必要があるのかなあと疑問でしたが、明るい話題が少ないリアル書店店舗における一種のお祭りなんでしょうね。

BOOK1とBOOK2には触発されて(特に小説史上初めてヤマギシ会をモデルにした団体が描かれたことは鮮烈だった)何本かのエントリーを書いたのですが、BOOK3はまだでした。本自体は4月の発売日2日後には読了していたのですが、その後3冊を通しでゆっくりゆっくり読み返していたのです。他の本も読みながらだと、あっという間に時が過ぎていくものです。

『考える人』という新潮社から出ている季刊誌の最新号に、村上春樹の超ロングインタビューが載っています。この雑誌の編集長にして長い付き合いのある聞き手の松家氏と、箱根のホテルに2泊3日逗留して語り尽くしたというレアな企画なのですが、かつてないほどに自作についてや、生い立ちからの軌跡を闊達に語っています。BOOK4の可能性を否定していないといった世間的にキャッチーな箇所とは別に、色々興味深いトークがあって古くからの読者には読み飽きることがありません。お好きな方は、村上春樹研究家である柘植光彦著『村上春樹の秘密』(アスキー新書)と併読することをお薦めします。

このインタビュー記事の中で、著者はBOOK3を「牛河から話を始めたらどうだろう」と、「アメリカの漫画で、人物の頭の上に電球がぱっと浮かぶシーン」のように着想したと明かしています。この牛河利治という人物は『1Q84』が初出ではなく、『ねじまき鳥クロニクル』にもちらっと登場しているのですが、手塚漫画におけるヒョウタンツギや、「ゲゲゲの女房」の死神のように、ほのぼのとした箸休め的なキャラではありません。胡散臭い財団専務理事の名刺を持つこの謎の人物は、これでもかこれでもかというほど執拗に、その特異で醜い容貌が描写されますが、登場するたびになんともいえないざらつきを生じさせる存在です。

著者自身「なんとなく成り行きで出してきた」のに、BOOK3ではフラグが立つほどの活躍を見せるとは思っていなかったみたいですが、この牛河利治という人物にパーソナルな情報が付与され、厚みをもってくるのがBOOK3で、牛河の章はほとんど彼の独白で構成されることになります。元外務省のラスプーチンこと文筆家の佐藤優氏は、自身が持っている『週刊東洋経済』の連載でも『1Q84』および牛河を2度にわたって取り上げています。明晰な頭脳と個性的風貌を持つ分析家で、1度転んだことや離婚歴があることで、自らと重ね合わせているのです。おまけに、埼玉県浦和市出身の牛河が「私の先輩ではなかろうか」(佐藤優氏は県立浦和高校OB)と思い入れたっぷりに推理しています。

あるとき危ない橋を渡り損ねて弁護士資格を剥奪されてから、落ちぶれた牛河は教団さきがけのお抱え探偵のようなことをやって糊口を凌いでいました。その牛河は天吾のアパートの下階で張り込み中、暇だからか色々昔のことを回想します。生い立ちや自分の家族についてです。その回想によれば、以前の弁護士時代は妻と可愛い二人の娘がいて、プラス愛犬とともに中央林間の芝生つきの家に暮らしていたというのです。

それにしても、一瞬なんで中央林間なんだろうと思いました。バブル期に「闇社会の守護神」と謳われた田中森一弁護士などは、自著の『反転』で明かしているように、豪華マンションに住み、7億もする自家用ヘリに乗ってゴルフ場入りしたり、故郷に帰省するほどの羽振りのよさをみせていました。牛河も望んでそうなったわけではないにしても、もっぱら反社会的勢力のエージェントとして活躍していたのであれば、ギャラは相当に良かったはずです。現在でいえば、お台場のウォーターフロントか、月島あたりの人気の一等地に建つタワーマンション上層階に居を構えてもよさそうな経済状態でしょう。仮に戸建て志向があったとしても、23区内は難しいとしても、もっと気の利いたところに住めたはずじゃないのかと。今でこそ終点としての東急田園都市線イメージが強いですが、中央林間駅が田園都市線に乗り入れたのは奇しくも1984年の出来事です。牛河が家族とともに中央林間で暮らしていたのは、それよりも以前ですから、主に70年代のことになりましょう。となると、中央林間は小田急線オンリーで、今よりもずっと郊外の印象を与える土地だったといえます。

しかし、いかに悪徳弁護士として荒稼ぎしていようと、地価の高い神奈川県に庭付き一戸建てを買うのは今も昔も至難の業だということなのかなとも思ったりします。私は16歳のとき、首都圏の私立高校に進学した中学の同級生の家に泊りがけで遊びに行ったことがあります。これもまさに1984年でした。彼の一家は市ヶ尾に新築したばかりの家に住んでいたのです。彼の邸宅に向かうバスの道中、見渡す限り畑ばかりの牧歌的風景が眼前に広がり、本当に何もなかったのを覚えています。あの辺りがまだまだ拓けていなかったのです。ちょうどその少し前に、ジャイアンツの江川の「豪邸」が、そこから程近い横浜市緑区(青葉台だったかな)に完成したばかりでしたが、スポーツ新聞は「土地が高くてここしか買えなかった」という本人のコメントを報じていました。あの江川でさえ、こんな辺鄙なところに行かないと家が持てないのか・・・と愕然としたものです。

村上春樹が天才的だと思うのは、この中央林間という地名をさらりと出してきたところです。この記号を目にしただけで、読者は色んな想像を拡げることができます。映画でも小説でも、説明的な文章や台詞を多用する作品はレベルが低い証拠ですが、BOOK3においては、牛河の家族、とくに妻のエピソードはほとんど出てきませんし、会話のシーン(回想)もない。パーソナルな情報としては、容貌は見栄えが悪くないが、何かというと嘘ばかりついて、本当は7歳年上なのに結婚前は3歳もサバよんでいた・・・というくらいです。この妻は、牛河が弁護士資格を喪うと、さっさと離婚して、新しい夫と娘と名古屋で幸せに暮らしているというのがサイドストーリーです。

中央林間という記号を添えるだけで、書かれていない妻の性格や牛河との力関係がくっきり浮かび上がってくるようです。二人の娘に綺麗な服を着せてピアノを習わせていたという描写からは、カリタスや聖セシリアといった、あの辺にあるお嬢様私立中学に進学させることを企図していたような雰囲気もあるし、弁護士の夫を持つ有閑マダムとして、アクティブに行動するために、中央林間が自らの実家の近くだったという可能性もある。それに牛河自身は、親からは無視され兄妹から爪弾きにされながら、子ども時代に唯一愛犬とは心を通わせていたというわりには、何故か自らの所帯においては「胴の長いよく吠える洋犬にはまったく愛着がもてなかった」と回想しています。ここから牛河が、芝生の庭つきの家に住むのと同様に、犬を飼うのも全面的に妻の意向に従っていたことが読みとれます。

私自身が賃貸派を公言(このブログにもその旨のエントリーを書いていた)していながら、「犬を飼いたい」と熱望する配偶者の懇請に抗しきれず信条を曲げて、郊外に芝生の庭付きの建売を購入、ミニチュアダックスフンド(よく吠える犬種)を飼い、おまけに娘にはピアノを習わせているわけで、佐藤優氏ならずとも、大いにシンパシーを抱いてしまいました。波乱の人生を送った牛河ですが、絶命する直前に頭に浮かんだのは、少々斜に構えて「そんなこともあったよね」的に思い出していた中央林間での生活だったというのは、やはり心を揺り動かされるものがあります。

それにしても、村上春樹は中央林間方面に土地勘があると思いませんでした。

学生時代は、ノルウエイの森にも出てくる寮のモデルになった目白台の和敬塾に始まって、早稲田の学生らしく、西武線の都立家政や三鷹を転々とし、学生結婚した当初は、陽子夫人の実家近くの文京区千石へ。有名なジャズ喫茶を開業したのは中央線の国分寺で、その後千駄ヶ谷に店と住まいを移し、作家専業になってからは千葉県の船橋に住んでいたこともあったはずですが、中央林間との接点はあったのでしょうか。

すると、検索で見つけたブログの中に、大昔に中央林間で村上春樹を見かけた方の証言が取り上げられています。なにか不思議ですが、ちょっと面白い。


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