音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

『狭小邸宅』総論

2013-03-01 19:23:19 | 本・雑誌
小説すばる新人賞の受賞作がネット界隈で評判だったので読んでみたのだが、新庄耕『狭小邸宅』はゾクゾクするほど面白かった。リアルな描写から、てっきり著者は不動産営業の経験者だと思いきや、そうではないらしい。親しい友人から聞いた話をベースに、業界を取材して書いたというから相当な才能の持ち主で、次回作が楽しみな新鋭だ。

7インチタブレットのNEXUS7を入手した昨年12月からハイペースで本を読んでいるが、気がつくとKINDLEでDLするだけでなく、紙の本も相当購入している。小説だけで10冊以上、トータル30冊は超えているから、紙と電子書籍はシナジーが高い。というわけで、ブログやSNSでブックレビューするのはとても追いつかず無理なのだが、本書を例外的に取り上げたのは、当ブログの訪問者には不動産関係者が結構含まれているようだから。読めばかなり興味深いはずだし、逆にレオパオーナーで、なぜ建ててしまったんだろう?と未だに悩んでいる方がいれば、先方の事情の一端を垣間見ることができるテキストだと思う。

『狭小邸宅』の主人公は中堅不動産会社の新人営業マン。容赦ない言葉と肉体の暴力が飛び交う壮絶な職場に飛び込んだ青年は、入社配属以来、全く家が売れないドン底の日々を送り進退極まる。しかし会社の誰もが決められなかった蒲田の狭小物件を売ったことで風向きが変わる。そこから凄腕の上司に営業メソッドを仕込まれて、いっぱしの不動産営業マンに変貌していく様を描いているが、単純な成長譚ではなくラストも苦いものが残るのが印象的。主人公の友人の表現を借りれば「現代の蟹工船」ともいえる超ブラック企業の実態に読者はきっと驚くだろう。新人賞の選考委員の一人で本作を高く評価した作家の角田光代も「あまりに引き込まれ、蒲田の家が売れたとき私は泣いたほどである」とコメントしている。当代きっての人気作家にこう云わしめるほど描写が迫真に迫っていた。いや、営業会社で受けるガチのプレッシャーは想像を絶するので、経験者でないとなかなかイメージできないのかもしれない。

私は本書に近い業種の会社に新卒から7年間身を置いたこともあり全く驚かなかった。営業会社が大なり小なり似たようなものだと認識しているから。住宅、証券、自動車、教材、消費者金融などエンドユーザー向け商品の販売会社では、労働組合もタイムカードもありはしないし、逆に成績の上がらない社員が居心地良く過ごせるようなら、間違いなく経営が立ち行かなくなる。そういう構造なのだ。『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』は良書だが、著者の今野氏はブラック企業を違法すれすれで苛烈な「使い捨て」と「選別」を行う会社と定義している。ただ、ユ○クロやワ○ミやゼ○ショーのような小売り・外食の会社と、前掲のような業種の営業会社が共にブラック企業なのだとしても、両者には違いがある。それは後者がしているのが「選別」のみだということである。

誤解を恐れずにいえば、誰でもできることと、相応のスキルと経験が必要な仕事との差異。さすがに1億円の家はすぐに売れるものではないが、ユ○クロの店舗や居酒屋チェーンで従事する作業は、パートや学生バイトと大差ない。入荷した商品の袋剥きを目にも止まらぬ速さでできる達人や、皿を何枚も腕に載せられる名人もいるのだろうけど、たとえ時間がかかったとしても入店当日にも出来ないことじゃない。そもそもチェーン化というのはそういうものだ。もちろん社員は、計数管理や全体のマネジメントも担うのだが、これとて大したものではないだろう。現にユ○クロは、大卒社員を「半年で店長にする」と公言しているのだから。対して、それなりの規模の販社であれば、いくらなんでも入社半年で営業所長は務まるまい。

店舗系の業種は、接客の巧拙やオペレーションの精度が集客に全く関係ないわけではないが、本社のブランディングと立地マーケティングで商売の成否はほぼ決しているので、現場はソルジャーに徹するだけだ。繁盛店であれば、たとえ「猫の手」でも必要で、自分がいなければ代わりの人員コストが生じるという意味で存在価値がある。そうやって酷使され廃人になれば、たしかにそれは使い捨てだろうし、そのように従業員を使い潰して利益をあげている会社が存在するのはたしかだけど。

たとえ駒であっても、居ればとりあえず仕事があるという小売り・外食産業と異なり、営業マンは自らが仕事を創出しなければならない。さもなければ、給料や社会保険は勿論のこと、社用車のガソリン代や交通費ほか会社の様々なリソースを費やすだけの金食い虫ということになる。代わりに他の人が座っていれば契約がとれたかもしれない営業拠点にいて何の成果も出せないというのは、会社に損害を与えているのと同じだというロジックを徹底的に刷り込まれる。仕事が忙しくて休めないのは肉体的にはハードだが、売れなくて休めない精神的な辛さには到底及ばない。本の紹介文にあった「社畜」というフレーズは、営業会社の表現としては正確でないような気がする。

預かった「人財」を育成しないのが問題なのだと、事情を知らない人は思うかもしれない。ただ「選別」を前提として大量採用された新人が、一斉に配属されてくるわけだから、いちいち全員の面倒を見ていられないというのが現場の実態である。所長や課長といった中間管理職も厳しいノルマ数字を課せられており、その責任の重さや潰しの利かなさからして、むしろ下っ端よりも切迫している。ゆえに売れない部下は負債としか見えず、時に憎いとさえ思えてくるから、激しい罵倒や暴力が発現する。退職勧告は(良心的な上長だとしても)、向いていない若手に引導を渡し別の進路を促すという配慮50%、負債を抱えていると自分の身まで危うくなるから早いとこリリースしたいという本音50%といったところだろう。

営業所長からしたら、真面目で従順、身なりもきちんとしていて、休日も出てきて営業活動に勤しむけど売れない部下と、碌に出勤せず何処で何してるかわからず、金髪に紫のスーツで上司にも反抗的だけど、毎月末にはきっちり契約書を持ってくる部下のどちらが可愛いかといわれたら、一も二もなく後者なわけで・・・。

結果数字が全ての世界を鮮やかに切り取った『狭小邸宅』は、全編リアリティーに溢れ、ああそうだった!そうだった!と思い出すことが多い。次回のエントリーでは、自分の体験と併せて、細部を読んでいきたい。


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1 コメント

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狭小住宅 (あっちゃん)
2013-03-24 11:21:41
はじめまして。音次郎さんの書評を読んで即ポチで先ほど読了しました。
 『真面目で従順、身なりもきちんとしていて、休日も出てきて営業活動に勤しむけど売れない』外資IT系企業の営業マンです。身につまされる思いで一気に読みました。
 比較的ヌルい国内IT会社に営業職として15年ほど身を置いてましたが、社内に跋扈している50代以降のオジサン社員に将来の自分を重ねあわせ不安になり、元上司の転職の誘いに乗ってみて初めて自分の実力を思い知った次第。松尾さんの境遇が痛いほどわかりました。今の会社がいつまで続くかわかりません。その上司からは面談で「転職活動した方がよいと」言われており、エージェントに登録しましたが、不動産業の求人が圧倒的に多いのに驚きましたが。
 文中で共感できたのは「向いているいない以前に、営業マンとしてやるべきことがやれていない。」というくだりでした。この一文だけでも読んだ価値がありました。
 とりとめもありませんが、感想とお礼まで。
 第4弾楽しみにしております。
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