音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

千堂あきほ 第1子ご懐妊

2008-02-10 16:55:54 | 80年代・バブル
女優の千堂あきほ(38)が、現在第1子を妊娠中で7月末に出産予定であることを9日の出演番組で明かした。千堂は2000年に31歳で現所属事務所社長と結婚。これまで、不妊治療などを行ってきたが、なかなか子宝には恵まれなかったため、今回の出産には喜びもひとしお。千堂は「この度、自然な形で子供を授かることができました。(出産の経験を)今後は仕事にいろいろと生かしていきたい」と語り、出産後も芸能活動を続けていくことを宣言していた。(オリコン配信)

私、好きだったんですよ。新卒で入社した会社の社内報の「新入社員特集号」は男女合わせて約300人の写真とプロフィールが載ることが恒例でしたが、「好きなタレント」の欄に“千堂あきほ”って書きましたから。

先日、kochikikaさんも元同級生・田中美奈子(40)の第1子を妊娠したニュースを取り上げていましたが、超ミニの美脚とエキゾチックな風貌で一世を風靡した彼女の、少し後の学園祭女王が千堂あきほではなかったかと記憶しています。間を置かずに第1子懐妊を発表した二人は、奇しくも創価学会の熱心な信者だったという共通点があります。2000年の刑事事件(千堂あきほの事務所社長が盗聴やら中傷ビラをして捕まった)も、レズ関係にあった女社長が、千堂に彼氏ができたことに嫉妬したからというようなデマが当時流されたのですが、実はマスコミタブーで報道されていないものの、創価学会の脱退を巡ってのドロドロだったという説が有力です。



千堂あきほは関西に芸能活動の場を移して久しいのですね。女優だけでなく情報番組のコメンテーターなどでもご活躍のようで何よりです。ググってみると、関西どっとコムでインタビュー特集の動画をみつけました。これがまた面白く、なかなか興味深いので書き起こしてみました。


Q:関西に戻られたきっかけというのは?(例の事件もあるので申し訳なさそうに)

千堂:えーっと、うん、大丈夫ですよ。もう東京で色々なお仕事を散々やって、一番本当の原因は人間不信かな。もう誰も信用できないって思って・・・。
芸能界入りに関しては、最初断ったら「2年間だけやってみませんか?」 ということだったので、それで何もなかったら、うちの父も「短大を受け直せばいい」って。

Q:その後の芸能界での活躍は皆さんご存知の通りです

千堂:いやあ、最初は(関西に)早よ帰ろ思てましたもん。2年間は事務所の電話番みたいなこともやってました。あの、私ってトレンディーのイメージでデビューをして、当時だとイケイケギャルみたいな感じでさ、何かね、ディスコクイーンとかいわれて・・・。全くないですから! 尼崎のお嬢さんですからね、あ、尼崎にはお嬢さんなんておらへんけど(笑) 山の手でもなんでもないタダの尼っ子やからね。普通の家で育った娘やからお嬢さんでもなんでもないし、トレンディードラマいわれてもなあ・・・と。阪神タイガースファンていうたらアカンとか、関西弁使うたらアカンとか、規制の多い世界やったんですよ。ちょっと歌もやってアイドルチックな売り方してたんで、言っちゃいけないこともあったしね。その中でお仕事させてもらってたもんで、もうね・・・尼崎の子としては、めっちゃ息苦しくてね。(内心では)なんか喋らしてくれよおーって思いながらも、(小首を傾げおすましして)「そうですね」とか言わなきゃならないというギャップがあるから、そのギャップにいっつも「はあ~」ってなって、仕事終わると「私どうなるんやろ」とか「このままでいいんやろか」とか、本当に悩みながらね、誰にも相談できないですからね。


昔のアイドルは今では考えられないほど偶像化を強制されていたんですね。千堂さんは頭の回転も速いし、関西弁のしゃべりも面白いので、もし20年後に生まれていたら、もっと素の自分に近い形で売れっ子になっていたかもしれません。歌の方はイマイチでしたが(この無理やりなボディコンと流行のトサカヘアが凄い)、「東京ラブストーリー」や「振り返れば奴がいる」といったヒットドラマに出ていた当時にも、こんな煩悶を抱えていたとは想像できませんでした。目鼻立ちのはっきりした華やかな顔で、バブル時代にぴったりのゴージャス感溢れるルックスをしていたがゆえに、関西のフランクなお姉ちゃんという実像と、芸能界でのパブリックイメージがかなり乖離していたというわけですね。

関西ローカルの番組は、なかなかこちらで見る機会がありませんが、今回のニュースがきっかけで健在ぶりを知ることができました。ミセスになりホームタウンで生き生きと仕事をする彼女はアイドル時代よりも輝いてみえます。

7月が出産予定だそうですが、昨年の梶原真弓、そして田中美奈子と、憧れだった同年代の女性が、幾多の曲折を経てママになっていくのはめでたいことです。無事の出産とますますの活躍を祈ります。





コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ○○離れの実相 | トップ | バレンタインデーの不思議 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kochikika)
2008-02-11 13:46:51
田中さんとは中学のとき学芸会で一緒に体育館の舞台に立った思い出があります。そんときは自分が主役で彼女はセリフが一言くらいだったという(w
千堂さんに関しては、確かにあの頃の売り出し方には若干違和感がありましたね。何か無理してるかなと。
でもあの頃って多少の無理があっても押し通して、周りも「そんなもんか」と受け入れる雰囲気があったように思えます。
返信する
おおっスゴイ! (音次郎)
2008-02-11 19:02:51
>kochikikaさん、コメントありがとうございます。

「そんときは自分が主役で彼女はセリフが一言くらいだった」

後のトレンディ女優を従えて主役をはるとは、さすがですね。でもたしかにアイドルに限らず、みんな無理してたのかもしれないですね。

そういえば、「作家(処女作執筆中)」という肩書きで度肝を抜いた椎名桜子という人もいました。
返信する
お久しぶりです (折立)
2008-02-13 17:44:43
以前、某塾で起きた殺人事件のエントリーのときに書き込みをさせていただいた折立です。お久しぶりです。なかなか書き込むチャンスはないのですが、いつも拝見しています。竹中平蔵氏の兄上の想い出話や、お父上の退職記念講義のお話など、しみじみと拝見しておりました。

さて、本日は「千堂あきほ」で思わずつられまたし(笑)。とてもシャープなイメージの強い女優さんでしたが、料理番組に出たときの手際のよさが印象的でした。トマトのヘタを取る時に、6等分くらいにカットしてからそぎ落とすと効率がいいなど、生活の知恵を披露していたのですが、「親が共働きだったので、家事はよくやった」と語っていました。その時、こ人の実像はずいぶんしっかりした人なのだと思ったものです。

そして、それを納得したのが「百マス計算」でおなじみになった 陰山英男さんの出世作である「本当の学力をつける本」を読んでからです。その著書の中で、蔭山先生のかつての教え子が、この千堂あきほさんであることを語っていました。その頃から、やはり印象に残る利発なお子さんであったようで、蔭山先生は教え子の活躍を喜んでいる・・・そんな内容であったと記憶しています。

最近、テレビで見かけないと思っていたら、本日のエントリーのような紆余曲折があったのですね。でも、元の聡明さはそのままだと思うので、きっと彼女なりの活躍をされることでしょう。
返信する
誤字訂正です (折立)
2008-02-13 21:59:03
上記の書き込みで、「陰山英男さん」と最初に書きましたのに、途中で「蔭山」になってしまいました(二ヶ所)。変換ミスに気づかなかった誤字です。お恥ずかしい限りです。
返信する
コメントありがとうございます (音次郎)
2008-02-13 22:50:12
>折立さん、つられてくださってありがとうございます。

件のインタビューでも、一期生として宝塚北高校演劇学科の門を叩いたのも、公立で学費が安かったからと答えていて、しっかりした一面をのぞかせています。イケイケ風ながら、インテリジェンスを感じさせるところに当時の私も惹かれたんだと思います。
返信する

コメントを投稿

80年代・バブル」カテゴリの最新記事