ちかちゃんの・・前を向いて行こう!

39歳、まさかの乳がん発覚。その時の自分の気持ち、そして戻って来た普通の日々・・思いつくまま書き記しておこうと思います。

入院中嬉しかったこと

2008-01-28 | 治療中のこと色々
術後の経過も良く、ポシェットのようにぶら下げていたドレーンに溜まる液も少ないとのことで、早めに抜いてもらえた。
食事も毎回おいしく頂いた。

入院中、特に不都合なことはなかった。

しかし唯一の不快感は、長い間お風呂に入れないので、髪がベタベタになってしまう事だった。

そんな時、看護師さんの一人が、検温の度に、

「髪洗いますからね。いつでも言って下さい」

と言って下さった。

いつも忙しそうにされているので、こちらからはなかなか言い出しにくい事だが、
向こうから何度も言ってくれるので、「それではお言葉に甘えて・・」
とお願いすることにした。

ほんとに忙しい仕事の合間に、なんとか時間を作ってくれて、
私の髪を一生懸命洗ってくれた若い看護師さん・・。

「美容院のようにはいきませんけど・・」

ってはにかみながら・・。

「どうして何度もそちらから言ってくれるのですか?」

濡れた髪をタオルでふきながら、聞いてみる。

「自分が入院した時、言い辛かったから・・。
 でも気持ちわるいでしょ?髪・・。
 それがわかるから、私の方から声をかけるようにしてるんです・・」


胸が熱くなった・・


患者の髪を洗う時間なんて、全くないくらい忙しいのに・・。

きっとやらなくてもいい仕事だろうに・・。


ほんのわずかな時間が、入院中の心も体も弱った自分にポッと暖かな癒しをくれた。

こんな優しさをもらったのだから、頑張ってきちんと治療して、元気にならなければ・・

また力が湧いてきた。

ありがとう・・若い看護師さん

これからなんとか頑張れそうです

手術

2008-01-28 | 手術まで
12月27日、手術当日。

午後から手術のため、昨日の夕食以来、絶食。
水分も摂れないので、のどが渇く度にうがいで凌いだ。

朝手術に立ち会う看護師さんから、最後の説明。

「不安なことは全部言っておいてね。必ず私が何とかしますから・・」

その言葉に、どれだけ安心させられたか・・。
その時の看護師さんに、とても感謝している。


手術の1時間前くらいから点滴が始まる。
前の手術に時間がかかって、開始時間が少し遅れそうだということ。

何もすることがなく、ひたすらテレビをじーっと見ていた。
ちょうど陣内・紀香の婚約会見のニュースばかりが目にとびこんできた。

「幸せそうやなあ・・」

比べても仕方ないけど、病室で手術の開始を待つ自分とは、えらい違いだ

横についてくれている母が泣いていた・・。
娘を手術室へ送る親の気持ちはどんなものであっただろうか・・。

かける言葉も見つからず、背を向けたままひたすらテレビを見ていた。


「もうすぐ手術室へ行きます」

という連絡が入る。
いよいよ・・か。

私が極度に怖がりで緊張するタイプであるという事を伝えてあったので、
病室にいる時から安定剤の点滴。
点滴が入ると、すぐにウトウトし始める・・。

その後ベットのまま手術室へ。

その頃には、もう爆睡体制に入っていて、テレビドラマでありがちな「感動的な」
別れは無かった

どんな顔をして手術室に入ろう・・なんて悩んでいたのに・・!

手術室に入ったら、確認の為、まず自分の名前を言うよう言われていたのだが、
もちろんそれも言えず・・
その後の記憶も全く無い。




「がんばったね~終わったよ。」

の声にうっすら意識が戻ってきた。
ストレッチャーに乗せられて、術後のICUへ移動している途中だった。
今日手術だった人は、皆、一旦その部屋へ移される。
両親、旦那の顔が見える。

終わったんだ~~。

「リンパきれいだったって・・」

その言葉にほっと胸ををなでおろす。
病理の結果は、2週間後までわからないようだが・・。

体にいろんな管が繋がれていて、全く動きがとれない。
少し頭痛もする。

意識は次第にしっかりしてきた。
痛みはほとんどなかったが、これから朝までが長い・・と聞いていたので、
それが不安だった。

意識がはっきりしたのを確認して、家族は帰って行った。
無事終わったこととリンパがなんともなかったことで、雰囲気は明るかった。



繋がれている管が少し気持ち悪いが、耐えられないほどではない。
時々キューっと締まる血圧計は少し気になったけど・・。

夜中、何分かおきに、看護師さんが来てくれて、口に水を含ませてくれたり、
寝返りをうたせてくれたり・・。
それは身動きとれない私にとっては、何より有難かった。

その度に「ありがとう・・」と心の中で言った。

お陰でうとうと眠れて、すぐ朝になった。


朝、看護師さんが体を拭いてくれてドレーン以外の管が抜かれると、

「じゃ病室へ帰ってね。」

と言われ、びっくり

も、もう歩いていいの~~??

恐る恐る起き上がってみた。
特に何の苦痛も無い。

ゆっくり立ち上がってみる。

あ、歩ける・・とても普通に・・

出産後よりよっぽど楽。

点滴をからからと押しながら病室へ帰る。
同室のおば様たちにも、すっかり普通に歩いていることを驚かれた。

さらに驚いたことは、昼食に普通食が出てきたことだ。
まる一日以上何も口にしていないので、ペロリとたいらげた。
外科の手術なので、胃腸は到って普通なのだ。

その後の回復も順調。

術後4日で退院の許可が出たが、お正月の間に何かあっては・・ということで、
一時帰宅ということにしてもらう。
退院は正月3日抜糸後、ということになった。



入院   

2008-01-27 | 手術まで
2006年12月25日 入院。

街はクリスマスだというのに、今年の私にはなんの関係もなかった。
二人の子供達は、昨日から実家の徳島の方で預かってもらっている。
術後の痛々しい姿を見せない方がいい・・という両親の計らいだ。
ちょうど冬休みなので、その点は助かった。

朝、入院手続きを済ませると、血圧測定、検温、簡単な問診。
それが終わると何にもすることが無かった。

夕方先生から手術の説明・・いわゆるインフォームドコンセントというやつだ。
この前撮ったCTで、反対側の胸にも怪しい影がみつかったらしい。
その生検は手術中に行うとのことだった。
手術に関しては

・右胸の3箇所の腫瘍を全て含むように扇形に切除するということ。
・リンパ節は手術をしてみないと転移の有無がわからないが、第二レベルまで郭清 するとのこと。(うちの病院では先生の方針で、センチネルリンパ生検を行って いない・・というのは後になって知った。その時は質問する知識もなかった私  
・手術で悪いところをとるのがまず第一だが、私の場合は、術後なるべく早い段階 に抗がん剤で体内に残った目に見えないガン細胞をたたいておくのがとても重要 だということ。
・抗がん剤はFEC100というのを使う。その他タキサン系のも使用する可能性 があるとのこと。

など、説明は30分~1時間ぐらい。スムーズに終わった。

不安はなぜか手術のことよりもその後の抗がん剤の方であった。
不安だらけだが、何を質問してもいいかわからなかった。
点滴がとても苦手なことも伝えたが、その程度の理由で再発を半分に抑えられる抗がん剤をやらないのはばかげている・・!と厳しく言われた。

手術の前日、37℃の微熱。
先日からのどが痛かったから、風邪をひいてしまったか。
明日も下がらなければ、手術は延期になってしまう・・。
せっかく空けてもらった、年内最終日のオペ。
延期にはしたくない。

なんとか熱が下がりますように・・。
そちらの心配のほうが、大きくて手術への不安はあまり無かった。

告知からまだ4日余り・・。
なのになぜか心は静かだった。
今は目前に迫っている手術を無事終えたい。
そんな強い気持ち。
あんなに悲しんでいた自分は、もう過去に置いて行こう・・。
人間開き直ると強くなるもんだ・・。


告知

2008-01-24 | 告知まで
覚悟は出来ていた。
でも残りの4割に賭けたい気持ちは変わりない。

「ごめん、違うかったわ~」
と言われて大喜びする自分を何度思い描いたことか・・。


午後、受診。
今日は両親とも付いてきてくれた。
旦那からも今日は告知ということになるから、絶対誰かについて行ってもらうように・・と言われていたし。


「やはり悪性でした」


覚悟はしていたものの、ショックは大きかった。
今まで心のどこかに、(結局違うのかも)という気持ちがあり、それが自分を支えてきた。
でも・・やっぱりそうなのか・・そうだったんだ・・。
実感はだんだん大きくなる。

病院では不思議と涙は出なかった。
両親がいる手前、悲しむともっと両親を悲しませてしまうだろう。
がんばってとにかく気丈に振舞った。

手術は来年1月・・と言われていたのが、先生が急遽今年最後のオペ日を空けてくれた。
私の落ち込みを察してのことだろう・・。
CTを受けて、入院の手続きと説明を受けて実家へ戻る。

つらいが旦那にも連絡しなくては・・。
旦那は電話の向こうで、「胸のひとつやふたつなくなっても大丈夫や」
と言ってくれたけど、ショックを受けていたに違いない。

実家の仏壇の前に座ると、抑えていた涙がどっとあふれてきた。

なんで・・?なんで・・?なんで私が・・?

今泣いてはいけない。
家族の前では泣けない。

涙を抑えるのが限界になって慌てて自宅に帰る。
自宅に戻っても、今度は子供達がいるから思いっきりは泣けない。

泣いても現実は現実・・。
もう逃げられない。

細胞診 

2008-01-24 | 告知まで
悪い夢なら早く覚めて・・。
そう思いながらなんとか眠りにつく・・。
しかし、目覚めても現実は現実。

先生は6割・・と言った。ならば残りの4割は違うということだ。

そんな気持ちを繰り返して1週間が過ぎる。

1週間後の12月15日、難波のOCATへMRIを受けに行く。

この前一人で診察を受けて、先生の話をまともに聞けなかったので、今日は母が付いてきてくれた。
そこでも怪しさを否定されず、そのままT病院へ。
細胞診をするためだ。

太い針を刺すらしく、まず胸に麻酔の注射。
その後に注射というか鉄砲(私にはそう見えた)のような物を
刺して、パシュッ、パシュッと強い衝撃。
その度に猛烈に痛い・・。
思わず「痛っ!」っと顔がゆがむ。

先生は慌てて痛み止めの注射をしてくれたが、その後急に頭がフラフラ・・・。
お昼を抜いてこんな検査をしたからか・・。
強烈なめまい・・。

そのうち座っているのも困難になり、点滴室のベットに横になる。
そして猛烈な吐き気。
いっこうに治まらないがもう夕方で先生方も帰る時間なので、とりあえず病院を出た。

ちょっとでも楽になるかとハァハァと息をしすぎて過呼吸になり、全身がしびれて動けなくなる。
傍にいた母や旦那は相当慌てていた。
心配をかけたくなかったが、自分をコントロールする余裕は全く無かった。

結局吐き気は治まらず、夜もう一度病院に行って吐き気止めの点滴をしてもらい、
安定剤を飲んで、何とか眠りについた。

最初からこんな感じで、この先私は一体どうなってしまうのか・・。
抗がん剤なんて強い薬に、勝てるはずがない。
もう現実から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
心細くて心細くてたまらなかった。

神様助けて!

何度叫んだかわからない。
私が今まで何か過ちを犯して、その罰を受けているなら、もう十分です。
どうか私をこの苦しみから解放してください。

しかし祈りは届かなかった。
暗い暗い闇の中に一人ぼっちだった・・。

人生最悪の日

2008-01-24 | 告知まで
もんもんと過ごした1週間・・。
まさか・・ねという気持ちもある。
一度再検査でひっかかってもその後の検査で大丈夫という話もよく聞く。
自分もきっとそうだ。
今は要らぬ心配をするのはやめよう・・。
そう思って気持ちを他のことに向けて過ごした。


1週間後の木曜、ついに受診の日が来た。

初診なので、かなり待たされる。結局2時間近くも不安な気持ちのまま待合室に・・。
やっと名前を呼ばれて、診察室へ。
まずエコーをしてもらって、次にマンモグラフィーを撮るよう言われる。
先生は私の緊張をほぐそうと、時々冗談めいた口調をしていたが、
とても笑える心境ではなかった。

気持ちに全く余裕はなかった・・。

技師さんが四苦八苦して撮ったのに、マンモの写真は真っ白・・。
30代ぐらいだとまだ乳腺が発達しすぎていて、うまく映らないそうだ。

それから先生が渋い顔をして話を切り出す。

「抗がん剤を使うと脱毛だけは避けられないけど、今はいいかつらがあるからね・・」

え?何?何?抗がん剤?かつら??
なんでそんな話するの?
私・・・ガンなの?
まだ決まったわけじゃないでしょ?

そんな私の混乱をよそに、先生は淡々と話を続ける。

とても大事な話をしているようだったが、全く耳に入ってこなかった。
うまく相槌すら打てなかった。

たまりかねて質問してみた。

「何パ-セントぐらいの確率でそうなんですか・・?」

「60パーセントぐらいかな?」

もしかしたら医者の直感で、ほぼ確実・・と見抜いていたのに、
私の落ち込み様見て、このぐらいの数にしたのかもしれない・・。

だけど、その時は残りの40パーセントにすがりたかった。

細胞診の前に来週のMRIを受けに行く予約を入れてもらう。

診察室を出てからもまだ混乱していた。

「あなたはがんです。」
「がーん
という小学生のときふざけて何度も言っていたしゃれが、頭の中をグルグルまわっていた。
まさかそれが実際のことになるなんて・・!
どうしよう・・どうしよう・・?

今まで正直に生きてきたつもりだ。
なのになぜ?
病院の外へ出て一人途方に暮れた。

私はどうなってしまうの?
二人の子供はまだ小学生・・。
子供たちを残しては逝けない・・!

色んな思いが頭の中を錯綜した。
一人暗闇の中に放り込まれた感じ。


婦人科検診 

2008-01-23 | 告知まで
問診票に一応気になる右胸の事は書いた。
たぶん気のせいなんだろうけど・・・一応・・ね。

子宮の検診が終わって胸の超音波へ。

「右の方に何か硬い物があるんですけど・・骨・・ですよね?」

私の言葉に先生は触診しながら

「これは・・骨やね」

と笑いながら言う。

「わ・・やっぱり・・心配して損しました~」

と仰向けに寝転んで超音波を始めた途端、先生の顔が険しくなる。

「これ、骨じゃない・・。
 骨の上に何か映ってる・・!」

「え?」

ほっとして笑みがこぼれていた顔が強ばった・・。
それまでのやんわりした雰囲気が一気に張り詰める。
先生の表情は最後まで厳しいものだった。
要精密検査・・とのこと。
大きな病院の紹介状を書いてもらった。

ただ、紹介してもらったT病院の乳腺外科の先生の診察日は木、金のみとのこと。
今日は金曜・・
冗談じゃない。この不安を抱えたまま1週間を過ごせと?!

家族には何て言おう・・。
明日は法事で親戚にも会うのに・・。
こんな不安を抱えたまま、平静を保てるわけがないよ・・。

帰り道、道端に自転車を止めて、とにかく早く診てもらえないかとT病院に電話を入れてみたが、来週まで無理・・という冷たい返事。
どうすることも出来ず電話を切る。
これはえらいことになったのかも・・。

ただ呆然と立ちつくしていた。
胸がドキドキして、顔が熱い・・。

これから1週間どうやって暮らせば?
不安な気持ちを抱えたまま、どうやって家まで帰ったか、あまり覚えていない・・。


虫の知らせ 2006冬

2008-01-23 | 告知まで
胸の硬い出っ張りに気付いてから、季節は秋を過ぎ、冬になっていた。

「会社が使う健診の医療機関が変わったよ・・。今年は受ける?」

旦那からそんな電話をもらい、それなら受けておこうと即返事・・。
それが11月のはじめくらいだった。

健診の日を一日決めなければならないのだが、毎日あれやこれやと予定が入っていて、かなり日が限られる・・。
婦人科を受けられるのは木曜のみ・。
あいにく11月中の木曜はすべて予定が入っており、胸のことが気になりながらも
仕方なく他の曜日を予約。

しかし・・受けられない・・となると妙に気になりだした。
私が今ほんとに受けなければならないのは婦人科ではないか?
と感じ始めたのだ。

結局人間ドックを受けた数日後、近所の婦人科で検診を受けることにした。
検査してとにかくすっきりしよう・・。
そうすればスッキリ新年を迎えられるというもんだ・・。
そんな軽い気持ちだった。

今思えばこれが神様からの警告だったのか・・。
虫の知らせというやつだ。

40歳になったら一緒に検診に行こう~と友達と言っていたが、
なぜだか自分は今すぐ受けなくては・・という思いに駆られて一人で病院へ向かった。

序章 2006夏

2008-01-23 | 告知まで
ある日お風呂に入っていて、ふと右乳房脇の出っ張りに気が付く。
ん?硬いなあ・・骨?
ぐらいが最初の印象。
春に肋骨が痛んだことがあったので、その時ヒビでも入って変形したか・・。
テレビで乳がん自己検診法を見て、時々自分でも触診していたのだが、
乳がんのしこりを例えると確か大豆の上にこんにゃくを乗せた時の感じに似ていると言っていた。
それとは違う感触・・。
違うな・・。
私がそんなことになるはずないもんね。
お風呂で気になる度にそんな言葉で不安な気持ちをしまい込んでいた。
毎日バタバタと忙しく過ごす。
そして2、3ヶ月何事もなく過ぎていった。