ちかちゃんの・・前を向いて行こう!

39歳、まさかの乳がん発覚。その時の自分の気持ち、そして戻って来た普通の日々・・思いつくまま書き記しておこうと思います。

告知

2008-01-24 | 告知まで
覚悟は出来ていた。
でも残りの4割に賭けたい気持ちは変わりない。

「ごめん、違うかったわ~」
と言われて大喜びする自分を何度思い描いたことか・・。


午後、受診。
今日は両親とも付いてきてくれた。
旦那からも今日は告知ということになるから、絶対誰かについて行ってもらうように・・と言われていたし。


「やはり悪性でした」


覚悟はしていたものの、ショックは大きかった。
今まで心のどこかに、(結局違うのかも)という気持ちがあり、それが自分を支えてきた。
でも・・やっぱりそうなのか・・そうだったんだ・・。
実感はだんだん大きくなる。

病院では不思議と涙は出なかった。
両親がいる手前、悲しむともっと両親を悲しませてしまうだろう。
がんばってとにかく気丈に振舞った。

手術は来年1月・・と言われていたのが、先生が急遽今年最後のオペ日を空けてくれた。
私の落ち込みを察してのことだろう・・。
CTを受けて、入院の手続きと説明を受けて実家へ戻る。

つらいが旦那にも連絡しなくては・・。
旦那は電話の向こうで、「胸のひとつやふたつなくなっても大丈夫や」
と言ってくれたけど、ショックを受けていたに違いない。

実家の仏壇の前に座ると、抑えていた涙がどっとあふれてきた。

なんで・・?なんで・・?なんで私が・・?

今泣いてはいけない。
家族の前では泣けない。

涙を抑えるのが限界になって慌てて自宅に帰る。
自宅に戻っても、今度は子供達がいるから思いっきりは泣けない。

泣いても現実は現実・・。
もう逃げられない。

細胞診 

2008-01-24 | 告知まで
悪い夢なら早く覚めて・・。
そう思いながらなんとか眠りにつく・・。
しかし、目覚めても現実は現実。

先生は6割・・と言った。ならば残りの4割は違うということだ。

そんな気持ちを繰り返して1週間が過ぎる。

1週間後の12月15日、難波のOCATへMRIを受けに行く。

この前一人で診察を受けて、先生の話をまともに聞けなかったので、今日は母が付いてきてくれた。
そこでも怪しさを否定されず、そのままT病院へ。
細胞診をするためだ。

太い針を刺すらしく、まず胸に麻酔の注射。
その後に注射というか鉄砲(私にはそう見えた)のような物を
刺して、パシュッ、パシュッと強い衝撃。
その度に猛烈に痛い・・。
思わず「痛っ!」っと顔がゆがむ。

先生は慌てて痛み止めの注射をしてくれたが、その後急に頭がフラフラ・・・。
お昼を抜いてこんな検査をしたからか・・。
強烈なめまい・・。

そのうち座っているのも困難になり、点滴室のベットに横になる。
そして猛烈な吐き気。
いっこうに治まらないがもう夕方で先生方も帰る時間なので、とりあえず病院を出た。

ちょっとでも楽になるかとハァハァと息をしすぎて過呼吸になり、全身がしびれて動けなくなる。
傍にいた母や旦那は相当慌てていた。
心配をかけたくなかったが、自分をコントロールする余裕は全く無かった。

結局吐き気は治まらず、夜もう一度病院に行って吐き気止めの点滴をしてもらい、
安定剤を飲んで、何とか眠りについた。

最初からこんな感じで、この先私は一体どうなってしまうのか・・。
抗がん剤なんて強い薬に、勝てるはずがない。
もう現実から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
心細くて心細くてたまらなかった。

神様助けて!

何度叫んだかわからない。
私が今まで何か過ちを犯して、その罰を受けているなら、もう十分です。
どうか私をこの苦しみから解放してください。

しかし祈りは届かなかった。
暗い暗い闇の中に一人ぼっちだった・・。

人生最悪の日

2008-01-24 | 告知まで
もんもんと過ごした1週間・・。
まさか・・ねという気持ちもある。
一度再検査でひっかかってもその後の検査で大丈夫という話もよく聞く。
自分もきっとそうだ。
今は要らぬ心配をするのはやめよう・・。
そう思って気持ちを他のことに向けて過ごした。


1週間後の木曜、ついに受診の日が来た。

初診なので、かなり待たされる。結局2時間近くも不安な気持ちのまま待合室に・・。
やっと名前を呼ばれて、診察室へ。
まずエコーをしてもらって、次にマンモグラフィーを撮るよう言われる。
先生は私の緊張をほぐそうと、時々冗談めいた口調をしていたが、
とても笑える心境ではなかった。

気持ちに全く余裕はなかった・・。

技師さんが四苦八苦して撮ったのに、マンモの写真は真っ白・・。
30代ぐらいだとまだ乳腺が発達しすぎていて、うまく映らないそうだ。

それから先生が渋い顔をして話を切り出す。

「抗がん剤を使うと脱毛だけは避けられないけど、今はいいかつらがあるからね・・」

え?何?何?抗がん剤?かつら??
なんでそんな話するの?
私・・・ガンなの?
まだ決まったわけじゃないでしょ?

そんな私の混乱をよそに、先生は淡々と話を続ける。

とても大事な話をしているようだったが、全く耳に入ってこなかった。
うまく相槌すら打てなかった。

たまりかねて質問してみた。

「何パ-セントぐらいの確率でそうなんですか・・?」

「60パーセントぐらいかな?」

もしかしたら医者の直感で、ほぼ確実・・と見抜いていたのに、
私の落ち込み様見て、このぐらいの数にしたのかもしれない・・。

だけど、その時は残りの40パーセントにすがりたかった。

細胞診の前に来週のMRIを受けに行く予約を入れてもらう。

診察室を出てからもまだ混乱していた。

「あなたはがんです。」
「がーん
という小学生のときふざけて何度も言っていたしゃれが、頭の中をグルグルまわっていた。
まさかそれが実際のことになるなんて・・!
どうしよう・・どうしよう・・?

今まで正直に生きてきたつもりだ。
なのになぜ?
病院の外へ出て一人途方に暮れた。

私はどうなってしまうの?
二人の子供はまだ小学生・・。
子供たちを残しては逝けない・・!

色んな思いが頭の中を錯綜した。
一人暗闇の中に放り込まれた感じ。


婦人科検診 

2008-01-23 | 告知まで
問診票に一応気になる右胸の事は書いた。
たぶん気のせいなんだろうけど・・・一応・・ね。

子宮の検診が終わって胸の超音波へ。

「右の方に何か硬い物があるんですけど・・骨・・ですよね?」

私の言葉に先生は触診しながら

「これは・・骨やね」

と笑いながら言う。

「わ・・やっぱり・・心配して損しました~」

と仰向けに寝転んで超音波を始めた途端、先生の顔が険しくなる。

「これ、骨じゃない・・。
 骨の上に何か映ってる・・!」

「え?」

ほっとして笑みがこぼれていた顔が強ばった・・。
それまでのやんわりした雰囲気が一気に張り詰める。
先生の表情は最後まで厳しいものだった。
要精密検査・・とのこと。
大きな病院の紹介状を書いてもらった。

ただ、紹介してもらったT病院の乳腺外科の先生の診察日は木、金のみとのこと。
今日は金曜・・
冗談じゃない。この不安を抱えたまま1週間を過ごせと?!

家族には何て言おう・・。
明日は法事で親戚にも会うのに・・。
こんな不安を抱えたまま、平静を保てるわけがないよ・・。

帰り道、道端に自転車を止めて、とにかく早く診てもらえないかとT病院に電話を入れてみたが、来週まで無理・・という冷たい返事。
どうすることも出来ず電話を切る。
これはえらいことになったのかも・・。

ただ呆然と立ちつくしていた。
胸がドキドキして、顔が熱い・・。

これから1週間どうやって暮らせば?
不安な気持ちを抱えたまま、どうやって家まで帰ったか、あまり覚えていない・・。


虫の知らせ 2006冬

2008-01-23 | 告知まで
胸の硬い出っ張りに気付いてから、季節は秋を過ぎ、冬になっていた。

「会社が使う健診の医療機関が変わったよ・・。今年は受ける?」

旦那からそんな電話をもらい、それなら受けておこうと即返事・・。
それが11月のはじめくらいだった。

健診の日を一日決めなければならないのだが、毎日あれやこれやと予定が入っていて、かなり日が限られる・・。
婦人科を受けられるのは木曜のみ・。
あいにく11月中の木曜はすべて予定が入っており、胸のことが気になりながらも
仕方なく他の曜日を予約。

しかし・・受けられない・・となると妙に気になりだした。
私が今ほんとに受けなければならないのは婦人科ではないか?
と感じ始めたのだ。

結局人間ドックを受けた数日後、近所の婦人科で検診を受けることにした。
検査してとにかくすっきりしよう・・。
そうすればスッキリ新年を迎えられるというもんだ・・。
そんな軽い気持ちだった。

今思えばこれが神様からの警告だったのか・・。
虫の知らせというやつだ。

40歳になったら一緒に検診に行こう~と友達と言っていたが、
なぜだか自分は今すぐ受けなくては・・という思いに駆られて一人で病院へ向かった。

序章 2006夏

2008-01-23 | 告知まで
ある日お風呂に入っていて、ふと右乳房脇の出っ張りに気が付く。
ん?硬いなあ・・骨?
ぐらいが最初の印象。
春に肋骨が痛んだことがあったので、その時ヒビでも入って変形したか・・。
テレビで乳がん自己検診法を見て、時々自分でも触診していたのだが、
乳がんのしこりを例えると確か大豆の上にこんにゃくを乗せた時の感じに似ていると言っていた。
それとは違う感触・・。
違うな・・。
私がそんなことになるはずないもんね。
お風呂で気になる度にそんな言葉で不安な気持ちをしまい込んでいた。
毎日バタバタと忙しく過ごす。
そして2、3ヶ月何事もなく過ぎていった。