ちかちゃんの・・前を向いて行こう!

39歳、まさかの乳がん発覚。その時の自分の気持ち、そして戻って来た普通の日々・・思いつくまま書き記しておこうと思います。

復活

2008-02-17 | 抗がん剤治療まで
前の記事からの続きです。


何を見ても涙・・テレビから流れるドラマの主題歌が心にジンジン沁みてまた涙・・。

2度目のタキソテール投与が終わってから、自分でも気持ちのコントロールが効かなくなっていた。

心配してくれる家族に素直に「ありがとう」を言えない最低の自分・・。
自分はもうダメだ・・。


そんな私を救ってくれた場所・・。
それがHANAさんの掲示板

術後からちょこちょこのぞいてはいたのだが、抗がん剤の副作用が酷くなった頃から少しづつ書き込んだりもしていた。

「辛い・・」と書くと、「わかるよ。」「私もだよ。」「一緒にがんばりましょう」という温かい言葉の数々・・。
みんな辛い時期であったりするのに、名前も顔も知らない自分のことを思ってくれる気持ち

こんな愛情の形があるのかと、ただただ感動した

そして管理人のHANAさんがかけてくださった言葉


「ダメでもともと」


そして今でもお気に入りに入れて時々読み返してみる、関西弁訳Let It Be~なすがままにしなはれ~


自分が生きている価値がないと思い込んでいた私にこの歌詞は響いた、響いた・・。


そっか・・・人間なんだから嫌な気持ちも辛い気持ちもあってもともと。
そのままでいいんだ・・。

関西弁で柔らかい響きのその歌を何度も読んで、読んで・・・いっぱい泣いた。

がちがちに張り詰めていた気持ちが、すっと軽くなった。


「あるがままでええんや・・」

私を「うつ」のどん底から救い上げてくれた言葉だった。

今でもみんなのハンドルネームが詰まったその頃のメモ帳は宝物
掲示板での出会いも一生の宝物

抗がん剤治療・タキソテールと初めての「うつ」

2008-02-15 | 抗がん剤治療まで
またまた去年のお話です・・・。



FECが3回終わった時点で、副作用はある程度一通り経験済み。
吐き気に便秘、脱毛、口内炎、味覚障害・・・ただ、白血球値低下から来る発熱は無かった。

3回目のFECで、左手の血管はかなりのダメージ。
ひどい血管炎を起こして腫れていた。
3週間たった次の投薬日でも、痛みは全く引かず、腕をピンと伸ばすのも苦痛だった。
診察時に主治医に見せると「うーん。」と考え込む。
これ以上胃腸と血管にダメージを与えるのは良くないらしい・・。

ということで、あっさりお薬をタキソテールに変更。

「体力の無いお年寄りにも使えるお薬だから、副作用だいぶ楽になると思うで。」

年寄り~と心で突っ込みながら・・でもFEC6回!と思っていたのに、お薬変更していいんかなあ・・と、オロオロする私。
でもそんなこと全くお構い無しに、あれよあれよという間に点滴の準備が進められた。

FECの時と違って、血管痛無し。

色も無色で、あのイチゴシロップに比べると見るからにマイルド。

今までは投与中にどうしても眠れなかったが、今回は途中でウトウトして眠ってしまった
タキソールはお薬をアルコールで溶かすから酔っ払えると聞くが、タキソテールでも眠くなる成分は入っているのかな?


家に帰ってからも、あの吐き気がいつやってくるかと怯えたが、何時間経っても平気
晩御飯も普通に食べられた

吐き気が無いのはこんなに楽なのか~っラッキーと余裕カマしてたら

次の日から全身のダルダル感、関節痛というお初の副作用

腰痛と、あと辛かったのが指先の痛み・・。
朝食を作るため、卵を割ろうとするのだが力が入らず、断念。
ビンのふた、牛乳パックの封も・・・開けられない。

リウマチの人が朝辛い・・と聞いていたが、身をもって実感・・。

普段出来ていたことが出来なくなると、人は相当落ち込む
世の中はどんどん動いて行くのに、私だけな~んにも出来ずにただ時間だけが過ぎる・・。
子供のご飯すら作ってやれない。
自分の体のことで精一杯・・。
もちろんずっと家に引きこもり

そうすると考えは悪い方へ悪い方へと・・

「もう私に明るい未来なんか来ないのでは・・?」

なんて一日中しくしく泣いていた

気分転換に外に食事にでも行こうよ!と誘ってくれる母や妹の気持ちにも
答えられない・・。
心配して何度も電話してきてくれているというのに、

「一人で耐えるから、もうほっといて

と酷い言葉を投げかけてしまい、そのことにまた落ち込む・・。

もう悪循環もいいとこだ。

今思えばあれは間違いなく「うつ」
そう気付いたのは、かなり後の事だったケド

とにかく何を見ても何を聞いてもさめざめと涙してたなあ・・。

そんな私がどうやって復活したか・・?

それはまた続きにて


脱毛・・そしてウィッグデビュー

2008-02-13 | 抗がん剤治療まで
作った、作った・・20人分の友チョコ用マドレーヌ・・。
頑張ったので、子供の友達だけでなく皆さんにもおすそ分けしたい気分~
夕方の台所は、マドレーヌを焼きつつの、夕食の準備でてんてこ舞いだった・・
でもまたこんな普通の日々が送れて感謝

去年はチョコどころではなかったからなあ・・。


ここから、またまた去年の話です・・。



それは突然やってきた。

1回目の抗がん剤投与から2週間が経とうとする頃、なんだか頭皮がむず痒い変な感じが続いた。

ついに来たか・・。

髪に手をやるとパラリパラリ・・と抜け毛。
抜け始めるともう止まらない。

少しの刺激で抜け落ちるので掃除が大変
一日中髪の毛を拾っていた。

一番大変なのはお風呂で洗髪の時。
シャワーの水圧でどんどん流れてくので、みるみる排水溝に溜まっていく・・。
私ってこんなに髪の毛多かったのね

どうせ掃除が大変なだけだから・・と3日間で抜ける分はすべて流してしまった。

排水溝に溜まる大量の髪の毛を見て、しばし呆然としたが、流してしまうとなんだかさっぱり
不思議と涙も出なかった

カツラも購入していたし、前髪、お下げ髪付きのバンダナ帽子(正確には子供のタンクトップをゴムで綴じたもの・・これは急な来客の時にヒョイと頭に乗せるだけで、大変重宝した)もスタンバイ済み・・。
早かれ遅かれこうなるのは、わかっていたしね・・。


夜寝る時に頭が寒いのはそうなってみて初めてわかった。
世の中の髪の無いおじさま方はさぞかしいつもお寒いことであろう


家では前髪付きお手製帽子、外ではカツラ・・で思ったほどの不自由は無かった。

外に出る時はカツラと帽子・・・と思っていたが、それはズラONズラ・・の状態で結構しんどかったので、すぐにやめた。


恐る恐る外に出て周りの反応をうかがう・・。
みんな気付いてない。
人って案外、他人の髪型とかいちいち見たりしないもんだなあ・・。

そうなるともう開き直りというか何と言うか・・
お店で試着したり(試着室でちょっとカツラを飛ばしそうになったが
もう何でもありで。

良かった・・これでなんとかやっていける

ひとつひとつ問題点をクリア出来て、どん底の気分も少し上向きになっていったのだった


かつらのこと

2008-02-06 | 抗がん剤治療まで
一昨年のお話に戻ります・・。


今回使うFECという抗がん剤では、脱毛は避けられない。
その話は初回の診察日から何回も聞かされていた。
まだ動きがとれる間に・・・と、入院前にカツラを見に行く。

カツラは値段もピンキリ・・。
どうせしばらくしか使わないんだから・・と割り切って安いのを購入するか、
それとも治療中のQOLとか言うのを第一に考えて少し張り込むか・・。

私は絶対前者と決めていた。
ところが、デパートのかつら売り場で、最初にポン!と頭に乗っけられたのは、
今の髪型と全く変わらないもの。
値段を見ると、予算額をはるかにオーバー。

さすが、売るほうも一枚上手だなあ・・。なんて思いながら

いやいや、こんな高いのはとんでもない
もっと安いのでいいんです。どうせしばらくの付き合いなんだから・・。

そして、その違和感に納得いかないながらも予算額に見合うカツラを購入して帰る。

しかし、家に帰ってそれをかぶった鏡の中の自分は・・い、いけてない
でもなあ・・・。

鏡の前を離れられず考え込んでいる私に妹が

「お姉ちゃん、これで友達とも会うんやね・・」

と言った。

はっとした。

そうだ、納得出来ずに普通に過ごせるのか?
体調が戻ったら友達とまたランチでも何でも行くんだ・・

そう思ってからの行動は早かった。
速攻デパートへ戻って、先ほどのカツラと交換。

私は自分のQOLとやらを、お金で買うんだ・・と言いきかせて・・。


ほんとは安めのをたくさん買い込んで、いろんな自分を経験~なんて余裕があると良かったんだけど・・。

後で色々調べてみると、ネットとかでも安くてかわいいのがあることも知った
あの時は時間も余裕も無かったしな。

でも肝心なのは、自分自身がいかに納得してその期間を過ごせるか・・かな?と思う。
今はその時の妹の一言に感謝しているし

抗がん剤治療(FEC)

2008-02-01 | 抗がん剤治療まで
私はもともと点滴が苦手・・。
あのポトリポトリと落ちる速度を異様に遅く感じて、いらいらしてしまう・・。
風邪なんかの時の吐き気止めの点滴ですら、動悸が激しくなる・・という副作用が付きまとう。

今回のお薬はFEC100という何だかいかにも強そうな薬。
不安で不安で心は爆発しそうだったが、変な覚悟だけは出来ていた。

ここまできたらやるしかないよね・・。


まず吐き気止めのステロイド剤。
その時点では体に変化起こらず。

点滴の残が減ると、看護師さんが次から次へと袋をとりかえていく。
中でも最強なのが、イチゴシロップのような赤いお薬。
血管の壁にかなりのダメージを与えるとの事で、なるべく早く血管内を通過させたいらしい。
ポンプのような機械でどんどん血管に押し込まれて行く・・。

「漏れると大変なことになるから痛かったらすぐ言ってね」

この薬の時ばかりはちょっと目を離せませんぞ・・とばかりにみつめられて、少し緊張が走る・・。


い、痛い・・。

血管が内側からすごい力で押し広げられる感じ・・。
腕全体が痛い~~!

幾度となく看護師さんに訴えたが、
「見たところ漏れていないから大丈夫」
なんだと

その後血管内を洗い流す為、すぐに生理食塩水を流し入れる。
あんなに痛かったのが、すっと引いていくから不思議・・。

後半のお薬は普通の点滴だった。

途中でトイレに行くと尿が赤くなっててびっくり

結局3時間近くかかってすべての点滴終了。
眠ってしまえば楽だったのだろうが、こんな状況で全く眠れず

今のところ吐き気もなく元気。
もしかしてこのまま副作用なし~?!なんて余裕だった。
その時は・・・。


家に帰って、少しほっこりしようと柚子茶を飲んだ。(この柚子茶が後々まで足をひっぱろうとは・・!)

そうこうしているうちに、なんだか頭がぼんやりして体がだるくなってくる。
それはだんだんだんだん酷くなってきた。

夕食の時間、お腹は空いているはずなのに、目の前の食べ物に全く食欲が湧かず、
あれれ?変だな?と思っていると・・・ついにやってきた。

強烈な吐き気。

風邪で気分が悪い~なんて時とは比べようがない(と言うか、全く別種の)強烈な・・。
脳から「吐け~!」っと指令が出されている様に感じた。

その後はもう10分おきぐらいに吐き続ける。
飲み薬も吐いてしまって飲めない。

こりゃあかん・・とのことで、また病院へ言ってもう一度吐き気止めの点滴をしてもらうも、あまり効果無し。

ただ、この程度の事は我慢しなくては・・と必死に耐えていた私に、

「これだけのお薬入れてるのだからしんどいのは当たり前・・我慢しなくていいよ」

と言ってくれた夜勤の看護師さんの言葉はかなり嬉しかったな



結局その後3日間、まともな食事は摂れず、食欲が戻ったのは4日目になってからだった。
そんなことをあと2回繰り返したので、体重は7キロほど落ちてしまった

私ってほんとに薬に弱いなあ・・(予想通りだけど)

治療方針決定

2008-02-01 | 抗がん剤治療まで
手術から3週間後、病理の結果が出ているというので、
今後の治療方針を聞きに行く。



(実はその3週間の間、腰が痛い・・というので、
もしかして骨転移?!と幾度となく病院へ走った私・・
もちろん問診の段階で・・シロ
だって腰やら背中やらその時々で痛い箇所が違っていたから
そりゃ違う・・てわかるよね
その時は大真面目、悲壮感いっぱいだったんだから仕方ない・・。
術後の3週間、何の治療もせずにただ毎日を過ごすのは かなり精神衛生上良くなかった・・)



病理の結果はすべて出ていた。

・大きさ      1.6cm  0.7cm
・核異型(悪性度)  2
・ホルモン感受性  ER(1+) PGR(1+)
・血管脈管侵襲   1+
 リンパ管侵襲   1+
・HER2       1+
・断端       陰性
・硬がん

血管脈管とリンパ管に侵襲あり、3箇所(うち2箇所は結合している)の多発病巣であることから、主治医の先生は

「う~ん・・やはり抗がん剤はしたほうが・・いいかなあ」

と少し言いにくそうに言った。

もうその覚悟は出来ていたので、

「お願いします。今日からで結構です。」

とすぐに言った。
私があっさり言ったので、先生は少し驚いていた。


とにかく今出来ることはみんなしておきたかったし・・。
もう戦闘態勢は整っていた。


6回の抗がん剤治療のあと、放射線治療、ホルモン治療と進んで行くこと、
HER2は1+なので、話題となっている分子標的療法のハーセプチンは意味がないこと・・などの説明を受けた。

すぐに隣の点滴室に移って、いよいよ初めての抗がん剤の点滴が始まる・・。