おはようございます。
今日はあまり画像が良くないのですが、EF58シリーズの中から最後期型の174号機をご紹介したいと思います。
昭和55年 西川口~蕨間にて
174号機牽引の急行「鳥海」編成ですが、残念ながら客車が写っていません。
急行「鳥海」は、上野到着後に推進で尾久客車区へ引き上げ、そのままのカマを付け替えて東大宮操車場へ回送されました。
これは物心ついた頃からずーっと、廃止になるまで変わらなかったと思います。これはその回送シーンですね。
昭和55年7月23日 蕨~南浦和間にて
いわゆる「浦電横」です。
こちらは上り「鳥海」となります。夏場なので十分に撮影が可能でした。
編成を見ると、3両目にマニ50が連結されています。マニ36がとうとう廃車か?と思われましたが、マニ36はその後も廃止となる頃まで使用されていましたので、運用の都合により稀に入る感じだったようです。
また、この頃はA寝台が1号車として連結されていますが、最終期には何故か3号車に移動しています。
昭和56年8月 蕨~南浦和間にて
前後のコマからの想定になりますが、顔アップなので「鳥海」なのか疑問がある写真です。光線状態が不自然なんで、もしかしたら「鳥海」じゃないかもしれません。
多分、300mmレンズの追い撮りだと思いますが、昔はピント合わせながらここまで追えたんですよね。技量的には今よりずっと良かったようですね。
何故か174号機が多かったですね。あまり特徴が無いカマなので、当時はそれほど貴重ともなんとも思っていませんでしたが・・・あの頃は絶滅するなんて思っていませんでしたから。
174号機は、昭和33年7月25日落成の東洋電機・汽車会社製。新製配置は高崎第二機関区で、生涯最後まで異動が無かったようですね。昭和57年12月23日付で廃車になったようです。
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今日はあまり画像が良くないのですが、EF58シリーズの中から最後期型の174号機をご紹介したいと思います。
昭和55年 西川口~蕨間にて
174号機牽引の急行「鳥海」編成ですが、残念ながら客車が写っていません。
急行「鳥海」は、上野到着後に推進で尾久客車区へ引き上げ、そのままのカマを付け替えて東大宮操車場へ回送されました。
これは物心ついた頃からずーっと、廃止になるまで変わらなかったと思います。これはその回送シーンですね。
昭和55年7月23日 蕨~南浦和間にて
いわゆる「浦電横」です。
こちらは上り「鳥海」となります。夏場なので十分に撮影が可能でした。
編成を見ると、3両目にマニ50が連結されています。マニ36がとうとう廃車か?と思われましたが、マニ36はその後も廃止となる頃まで使用されていましたので、運用の都合により稀に入る感じだったようです。
また、この頃はA寝台が1号車として連結されていますが、最終期には何故か3号車に移動しています。
昭和56年8月 蕨~南浦和間にて
前後のコマからの想定になりますが、顔アップなので「鳥海」なのか疑問がある写真です。光線状態が不自然なんで、もしかしたら「鳥海」じゃないかもしれません。
多分、300mmレンズの追い撮りだと思いますが、昔はピント合わせながらここまで追えたんですよね。技量的には今よりずっと良かったようですね。
何故か174号機が多かったですね。あまり特徴が無いカマなので、当時はそれほど貴重ともなんとも思っていませんでしたが・・・あの頃は絶滅するなんて思っていませんでしたから。
174号機は、昭和33年7月25日落成の東洋電機・汽車会社製。新製配置は高崎第二機関区で、生涯最後まで異動が無かったようですね。昭和57年12月23日付で廃車になったようです。
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最後期型のゴハチはヘッドマーク取り付け金具のないのがチラホラいたり、新製時より正面および側面中央のマドのHゴム支持と、メーカーによって異なってはいたものの興味が薄れてしまったが故に写真を撮るのを敬遠してたのも居たのではないかと思われます。
因みに、高二区に居た写真のこのカマと僚友の173およびラストナンバーの175の各号機は、いわゆる上信越仕様のイカツイスタイルだったが故にせめてものの救いではなかったかと考えます。
それでは、これにて私は失礼いたします。
スノープローとツララ切りのひさしに電暖灯と、北の58らしいスタイルですね。
荷物車がスニ41というのは、当時の夜行急行だった鳥海や能登の特徴でしたっけ。
私はというと、Bネが何両も連なってた時代の能登が好きでした。
お、そういえばヘッドマークステーが付いていませんね。気にしたこともありませんでした。
製造から最終活躍をしている頃まで、上越線にヘッドマークを付けるような寝台特急は結局走っていませんからね。想定外だったのでしょう。
EF641000の導入が4年くらい遅れていれば、もしかしたら「北陸」「出羽」のヘッドマーク装着の姿が見られたかもしれませんね。
電暖ですか(笑)。
この辺りはむしろ電暖車しか見られませんでしたからね。唯一近場で言えば、東京機関区のカマが蒸気暖房で、宇都宮で何両か蒸気暖房を切って暖房無しとして運転されていたEF58があったようです。
上越仕様は全体で同じ形だったので、個人的には個性が無くてイマイチな感じがしていましたけど。この時代は贅沢言ってましたね。
やはり、人によって出会ってる機番が違うと言うのも面白い事です。
全部同じに見えてしまう上越型はかなりスルーしてたような気もしますけど。
私も175号機は数枚撮っています。いずれアップいたしますけど。
このあたりのカマは台数が多く、長岡二区との区別も外観では無理ですから、やはり没個性に映ったと思います。撮っていた列車の違いで、当る号機に違いが出たかもしれませんね。長岡機は殆どありません。
最初から上越型だったと思います。
皆様仰る様に正面窓と側窓中央がHゴム固定の最終型で、私も何度か遭遇しましたが、多かったのは175号機でした。
174号機は逢わずじまいだったと思います。
175号機が2321列車を牽引した姿は印象的でしたね。
特別思い入れのあるカマでは無かったですがラストナンバー機ということと、上越型唯一の三菱電機製だったことで。
175号機の牽引する2321レはありますよ。駅撮りですが、645を使っている時代だったのでキレイにかっこよく写ってます。そのうちアップしますけど。