おはようございます。
今日は小田急の5200系6両編成の引退と言うことでイベントが行われます。
当初は行く気が多少あったのですが、どうも気持ちが萎えてしまってダメです。寒さのためか、このところの寝不足か、それとも突然発覚した虫歯のせいでしょうか・・・。
そして、ここで非常にショックな出来事が・・・
このローカルシリーズですが、途中で重複番号があったことが発覚orz。
過去に遡って修正をする羽目に・・・気が付かんかった・・・。
今日はかつて超赤字ローカル線として名を馳せた北海道の美幸線からのご紹介です。
※撮影は、昭和56年3月14日です。
美深駅にて
美幸線は、1964年(昭和39年)10月5日に開業した国鉄線で、宗谷本線美深駅からオホーツク海に向けて東進、沿岸から旧興浜北線(過去ログ『ローカルな風景 第36回(国鉄:興浜北線)』)北見枝幸駅へ接続する計画でしたが、工事半ばに国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、その計画は頓挫することになります。
1日3往復のみの設定で、朝、午後、夕方に各1往復する、北海道では良く見られたローカル線の典型的なパターンです。高校生の通学を見込んだ設定ですね。もちろん、単行のみです。
仁宇布(にうぷ)駅にて
私は同行した友人と一緒に乗りましたが、確か乗車は8人くらいだったような記憶があります。終点では10分もしないで折り返しとなりますので、その間に入場券を購入したり、できるだけ美幸線と判るように写真を撮るなど、かなり慌しい時間で終ってしまったように思います。
バックには鉄道とは比較にもならないほど立派な道路橋が写っていますね。この頃から自動車免許の若者総取得時代みたいな感じになってきたように記憶しています。
1両編成のホームには駅名板が1つのみ。この角度からだと「こうふ」にも見えちゃいますね。
乗っていた8人の乗客のうち、7人は折り返しの列車に乗っていました。下りに乗ってきた女性1人だけが、雪に閉ざされた町中へと消えていった姿が印象に残っています。
サボ
美幸線はたったの4区間のみが暫定的に開業になってしましたが、距離的には21.2kmもあります。これは、最後の1区間である辺渓~仁宇布間が15kmもあり、それだけ人が住んでいないことを示しますね。山手線でしたら、この駅間に20駅くらい出来てしまいます。
写真は美幸線のサボですが、良く見ると下地から「北見行」の文字が凹んで見えます。1列車分の左右2枚あれば良いので、新調するまでもなかったということでしょうか?それとも、盗難にでも遭ってしまったんでしょうかね?
同線は、深名線や白糠線、添田線とともに、日本の最たる赤字ローカル線として毎年話題になっていました。これを逆手にとって乗客誘致なども行っていたようですが、それでもこの路線に乗客が殺到することなど考えられる筈も無く、お金を落とすべき乗客が「ワイド周遊券」で当たり前のようにタダ乗りしてしまう訳ですから、収入が上がる筈もありません。
何度も日本一に輝いた赤字ローカル線は、当然のごとく廃止の対象となり、1985年(昭和60年)9月16日をもってその短い歴史にピリオドを打っています。
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今日は小田急の5200系6両編成の引退と言うことでイベントが行われます。
当初は行く気が多少あったのですが、どうも気持ちが萎えてしまってダメです。寒さのためか、このところの寝不足か、それとも突然発覚した虫歯のせいでしょうか・・・。
そして、ここで非常にショックな出来事が・・・
このローカルシリーズですが、途中で重複番号があったことが発覚orz。
過去に遡って修正をする羽目に・・・気が付かんかった・・・。
今日はかつて超赤字ローカル線として名を馳せた北海道の美幸線からのご紹介です。
※撮影は、昭和56年3月14日です。
美深駅にて
美幸線は、1964年(昭和39年)10月5日に開業した国鉄線で、宗谷本線美深駅からオホーツク海に向けて東進、沿岸から旧興浜北線(過去ログ『ローカルな風景 第36回(国鉄:興浜北線)』)北見枝幸駅へ接続する計画でしたが、工事半ばに国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、その計画は頓挫することになります。
1日3往復のみの設定で、朝、午後、夕方に各1往復する、北海道では良く見られたローカル線の典型的なパターンです。高校生の通学を見込んだ設定ですね。もちろん、単行のみです。
仁宇布(にうぷ)駅にて
私は同行した友人と一緒に乗りましたが、確か乗車は8人くらいだったような記憶があります。終点では10分もしないで折り返しとなりますので、その間に入場券を購入したり、できるだけ美幸線と判るように写真を撮るなど、かなり慌しい時間で終ってしまったように思います。
バックには鉄道とは比較にもならないほど立派な道路橋が写っていますね。この頃から自動車免許の若者総取得時代みたいな感じになってきたように記憶しています。
1両編成のホームには駅名板が1つのみ。この角度からだと「こうふ」にも見えちゃいますね。
乗っていた8人の乗客のうち、7人は折り返しの列車に乗っていました。下りに乗ってきた女性1人だけが、雪に閉ざされた町中へと消えていった姿が印象に残っています。
サボ
美幸線はたったの4区間のみが暫定的に開業になってしましたが、距離的には21.2kmもあります。これは、最後の1区間である辺渓~仁宇布間が15kmもあり、それだけ人が住んでいないことを示しますね。山手線でしたら、この駅間に20駅くらい出来てしまいます。
写真は美幸線のサボですが、良く見ると下地から「北見行」の文字が凹んで見えます。1列車分の左右2枚あれば良いので、新調するまでもなかったということでしょうか?それとも、盗難にでも遭ってしまったんでしょうかね?
同線は、深名線や白糠線、添田線とともに、日本の最たる赤字ローカル線として毎年話題になっていました。これを逆手にとって乗客誘致なども行っていたようですが、それでもこの路線に乗客が殺到することなど考えられる筈も無く、お金を落とすべき乗客が「ワイド周遊券」で当たり前のようにタダ乗りしてしまう訳ですから、収入が上がる筈もありません。
何度も日本一に輝いた赤字ローカル線は、当然のごとく廃止の対象となり、1985年(昭和60年)9月16日をもってその短い歴史にピリオドを打っています。
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キハ22は関東では見ることの出来ない形式でしたね。
この時代は北海道のどこに行ってもこれしか見れなかったので、むしろこのようなローカル線の記念写真しか撮らなかったように思います。旧客の長距離普通列車や、札幌圏のキハ21、キハ46、函館のキハ23など、ほかにもレア種が沢山いましたから、ある意味、贅沢な時代と言えたのでしょうか?