こんばんわ。
今週は続けざまに常磐ネタをアップして来ましたが、この間、沢山の応援ポチをいただきありがとうございました。
今日は久々の懐かしいネタを用意いたしました。
私が小学2年生の頃でしょうか、潮干狩に1度だけいった記憶があります。高校の授業だったか、「あのアサリは朝のうち漁師さんが砂浜に撒いたヤツを喜んでほじくり返しているんだよ」なんて教えられて以来、まったく興味もなく行っていません。我家の娘は水泳のレクだかで行ってきたみたいですけどね。
関東で潮干狩りといえば、真っ先に思いつくのは内房でしょうね。干潟があちこちに点在していて、シーズンには随分栄えたものです。そして、こんな臨時列車まで走っていたんですね。



いずれも昭和55年の撮影で、上の2枚は姉ヶ崎~五井間、下のカラーは錦糸町ですね。
房総各線の臨時列車は必ずヘッドマークが付きましたので、わざわざ遠征してきたんですね。しかし、快速だからタダだと思って乗ってきた如何にも○の悪そうな高校生に邪魔されて、まったく潮干狩りの雰囲気が伝わってきませんね。コイツ等も私と同じ歳ぐらいですから、もう40半ばのオッサンになっているわけですな。
そして下の錦糸町での写真は何故か遠出しないで近場で済ましてますね。しかも、夕立のような大雨に降られたと記憶しています。なので、停車中の写真でありながら、イマいちコントラストの甘い寝ぼけた写真になってしまったのが残念です。
現代人は何でも電子化された中で育ってしまったので、休みの日にテレビゲームはやっても潮干狩りに行くなんてことは無いのでしょうね。もっとも、埋め立てで干潟が無くなり、海はどんどん遠くになってしまいました。もう、このような臨時列車が設定されることもないのでしょう。

私が潮干狩りに行ったのは幕張でした。
若い人には想像を絶する話でしょうが、今の京成線の脇辺りは海岸だったんですよ。国鉄の幕張駅から歩いて潮干狩りに行けたんですから。
今じゃ幕張駅から海岸まで歩いたら何時間掛かるでしょうね。海が遠くなってしまいました。
今週は続けざまに常磐ネタをアップして来ましたが、この間、沢山の応援ポチをいただきありがとうございました。
今日は久々の懐かしいネタを用意いたしました。
私が小学2年生の頃でしょうか、潮干狩に1度だけいった記憶があります。高校の授業だったか、「あのアサリは朝のうち漁師さんが砂浜に撒いたヤツを喜んでほじくり返しているんだよ」なんて教えられて以来、まったく興味もなく行っていません。我家の娘は水泳のレクだかで行ってきたみたいですけどね。
関東で潮干狩りといえば、真っ先に思いつくのは内房でしょうね。干潟があちこちに点在していて、シーズンには随分栄えたものです。そして、こんな臨時列車まで走っていたんですね。



いずれも昭和55年の撮影で、上の2枚は姉ヶ崎~五井間、下のカラーは錦糸町ですね。
房総各線の臨時列車は必ずヘッドマークが付きましたので、わざわざ遠征してきたんですね。しかし、快速だからタダだと思って乗ってきた如何にも○の悪そうな高校生に邪魔されて、まったく潮干狩りの雰囲気が伝わってきませんね。コイツ等も私と同じ歳ぐらいですから、もう40半ばのオッサンになっているわけですな。
そして下の錦糸町での写真は何故か遠出しないで近場で済ましてますね。しかも、夕立のような大雨に降られたと記憶しています。なので、停車中の写真でありながら、イマいちコントラストの甘い寝ぼけた写真になってしまったのが残念です。
現代人は何でも電子化された中で育ってしまったので、休みの日にテレビゲームはやっても潮干狩りに行くなんてことは無いのでしょうね。もっとも、埋め立てで干潟が無くなり、海はどんどん遠くになってしまいました。もう、このような臨時列車が設定されることもないのでしょう。

私が潮干狩りに行ったのは幕張でした。
若い人には想像を絶する話でしょうが、今の京成線の脇辺りは海岸だったんですよ。国鉄の幕張駅から歩いて潮干狩りに行けたんですから。
今じゃ幕張駅から海岸まで歩いたら何時間掛かるでしょうね。海が遠くなってしまいました。
昔はディズニーランドも干潟でしたね。
今の京葉沿線はアサリの住処だったんですよ、今では海の面影さえなくなり寂しいですね。
当時全盛の165系房総急行が臨時快速で使用されてたのは記憶に薄いです。夏の113系臨ばかりと記憶してたもので…(^^;)。
今、仕事で木更津へ行く機会も多いんですが、まだまだ活況のようですね。
しかし、写真に写ってるお○かさんたち、窓から手を出しちゃいけませんよって教わってないんですかね?
鉄道写真は世代を映しますので、やはり同じ年代の方が集まってきますね(笑)。
今では堂々と京葉線が走っていますが、昔は全て海の上ということになりますね。東西線は海岸沿いという感じでしょうか。仕事で廻っていた江戸川区でも、内陸の道に防波堤が遺構として残っています。
房総でやはり臨時といえば113系そのままが色濃いですが、「成田山初詣」や冬の「ハイランドスケート」など、165系もまま活躍していました。臨時急行というのがむしろ特別には無かったかもしれませんね。
木更津ではまだあるんですか?確か、数年前うちの娘が行ったのも君津とか行っていたかもしれません。
この写真の「潮干狩」も木更津行きだったと思いますよ。両方とも返しの列車だったですけどね。
コイツら、何でこの列車にたくさん乗っているんでしょうね。まさか高校生の団体で潮干狩とも思えないし。場に合わないんですよね。今風に言えばウザイことこの上無し。
私がお子様の頃、埼玉から小学校の遠足で出かけたところといえば、谷津遊園でした。そんなところで潮干狩りができたの?って感じでしょうな。
私も千葉に親戚があった関係で、谷津遊園には何回か行ったことがあります。高校生の頃地図で見たことはありましたが、今ではとても海があった場所とは思えないですよね。ここで潮干狩自体はした覚えがありませんが。昔は千葉県の一大レジャーランドとして、船橋ヘルスセンターと並んで有名でしたよね。
私も小学校は稲毛でしたから、校庭の端が堤防だったんです。台風の翌日など魚が打ち上がってたりしましたよ。
確か京成で千葉線に入ってくる潮干狩り号も有ったような気がします。
房総地区で実際こうした編成は見たことなかったです。
急行の場合きれいに最終型とそれ以前では分けられていたと思いますんで。
それにしてもお○か高校生の髪型とか時代を感じますね。
しかしヤローばかりで車内はさぞむさ苦しかったんでしょうな。
京成の潮干狩号ってまだ見たこと無いですね。
房総急行は、確か50・3改正前まで1枚板だったと思いますよ。急行列車が全部電車化されて共通になってから差し込み式が出来たと思います。
魚が打ちあがっているっていうのもすごいですね。今の港湾区域でもその様なことがあるのでしょうか。
何故このように高校生らしきヤツラばかり乗っているのか謎ですね。まさか潮干狩って柄じゃないですよね。
房総急行は各地からの寄せ集めでしたから、もしかしたら寒地仕様と暖地仕様の違いだけかもしれません。
この頃は既に153系が全廃になっていたと思います。153系の快速というのは見た記憶がないので、もう少し長生きしていたらレ穴情報が見聞できたかもしれませんね。