マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

キハ58系急行「ときわ」「奥久慈」

2008-03-21 01:35:09 | 気動車(急行・その他)
過去ログで修学旅行用のキハ58系800番代のご紹介をしたことはありましたが、気動車急行列車に特化してご紹介したことが無かった思いますので、今日は1発ご覧頂きたいと思います。

今日ご紹介いたしますのは、常磐線全線電化後も走り続けた気動車急行「ときわ」「奥久慈」です。
「ときわ」は451・453系を中心とした電車急行で、特急「ひたち」がキハ81系による1往復運転時代からも常磐線の優等列車として活躍していました。
電車急行であると同時に、水戸から水郡線に乗り入れている気動車急行「奥久慈」を伴って、これを併結した気動車急行としても歴史があります。
「奥久慈」は上野に乗り入れる水郡線からの唯一の列車であり、通年2往復体制をとっていましたが、多客期には臨時列車も増発されています。水郡線内では何れも途中駅まで急行運転であり、その先は普通列車となっていました。

では、架線の下を疾走していたDC時代の「ときわ」「奥久慈」をご覧下さい。


昭和55年頃 上野駅にて 常磐線快速ホーム11番線に停車中のDC急行「ときわ」

時代によって変遷があるようですが、上野駅の11・12番線は京浜・山手ホーム同様に嵩がありますので、ステップ付きの車両は入口の1歩目が落ち込むため危険なんですよね。私がバイト時代に臨時の「ときわ」「奥久慈」が11番線発だったので、この写真も臨時かもしれません。旅客誘導中に何人かステップに足を引っ掛けて転びそうになった人がいましたな。



昭和55年頃 上野駅にて 上野駅を発車したDC急行「ときわ」「奥久慈」

上の写真の列車が発車したシーンと思われます。この時代でも上野発のDC急行は非冷房車が多かったのですが、関東のみを運用する水戸区には冷房車が中心に配置されていたようですね。同じ時代の「おが」や「いいで」「ざおう」と随分格差のある編成です。



昭和56年5月頃 常磐線 新松戸駅にて 快速線を疾走するDC急行

常磐快速線はこの区間でも95~100km/h運転していましたので、DC急行も結構カッ飛んでいましたね。



昭和56年8月30日 常磐線 新松戸~北小金間にて 下りDC急行

これは新松戸駅近くの築堤をよじ登って撮影したものです。未だ循環タンクの付いていないトイレの列車が走っていたので、実はこのアングル、ある意味命がけです。
今ではこんなところをよじ登ることすら出来ないんでしょうね。



昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて

この区間は交流区間ですが、DCだから「そんなの関係ねぇ。」

この翌年の昭和58年には、急行「奥久慈」は常磐線内のみとなり、水戸からは普通列車という直通しているだけの役割となり、年を追うごとに衰退し、昭和60年3月改正でとうとう廃止となっています。

私は個人的に常磐線には縁がなかったので、当急行列車には乗ったことはありませんが、その昔は編成中にキハ55も組み込まれており、注目していた列車でした。
しかし、現実にはバイト中に臨時の「奥久慈」にキハ55が3両連結されているのを見たことがあるだけで、晩年の定期急行はキハ58系に統一されていたようでした。
結果的に混成列車を撮ることができなかったのが非常に残念でした。
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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (シービー)
2008-03-21 10:11:36
これは上野駅や馬橋駅で撮りましたね。
編成も長くて、気動車急行の名に恥じない編成でしたね。キロも連結されていて。
常磐線大津港駅が田舎の最寄り駅だったのですが、気動車急行には乗った事がないですね。
上野駅の気動車で最後に残った列車でしたね。
Unknown (line)
2008-03-21 18:48:11
この頃は編成の中にキハ28が入らないと冷房用電源が取れないなんて話がありましたよね。だからキハ58ばかりのやつが来るとなんちゃってかよ、なんて言ってた覚えがあります。特に東北方面は2エンジンじゃないと辛いので冷房車が少なかったのかな。
Unknown (シービー)
2008-03-21 18:58:51
TBもさせていただきました。
最初やったときには、入ってなかったので今、確認したら入ってたのでコメントしました。
安心して家に帰れます。
Unknown (キハ181つばさ)
2008-03-21 20:12:52
シービー様
コメント&トラバありがとうございます。
コメントは承認制を解除したのですが、トラバはスパム防止のため承認制にしています。放っておいて頂いて大丈夫です。
奥久慈が上野最後のDCだったんですね。ヘッドマークもないのでわざわざ撮りに行ったというより、やはりついででした。
でも、こうして今眺めると、こんな長い整った編成は見られませんからね。
貴重な記録となってしまいました。
Unknown (キハ181つばさ)
2008-03-21 20:26:49
line様
良くご存じで。
キハ28は、自車分と他車2両分の電源容量を持っていますので、このルールに基いた組成が必要です。
もっと馬力の必要な線区では、28じゃなくキハ65を連結して対応しました。
しかし、寒冷地仕様の500番代も直ぐに東北から撤退してしまいました。
急行と言えど、スピードもサービスも要求されない時代だったのでしょうかね。
Unknown (swallow angel)
2008-03-21 23:20:42
ときわといえば451でしたが、奥久慈と組む時だけディーゼルに変わるという律儀者でしたね。
当時総武線にキハ28の急行がうじゃっと走ってたんで、「な~んだ」な列車だったのですが、車番見たらキハ58って書いてあって、「へ?28と58、どこが違うの?」と幼心に思ったもんです。
Unknown (金太郎)
2008-03-21 23:45:11
またまたシブーイとこついてきましたね。模型好きとっては常磐線の車両は魅力的に映ります。キハ28のクーラーの間隔が常磐アンテナによって不均等だったりAU13のクーラーキセが角型や通常型だったり・・・。私が知る限りではクーラーが等間隔の車両は和歌山から水戸へ転じたキハ282318、後年になって冷房化されたであろうキハ282391ですね。まあ、ときわ、奥久慈には何度か電車ときわも含めてお世話になりましたんで。我孫子までと、我孫子-土浦間、かなりすっ飛ばしてましたね。迫力ありました。ただ、平坦区間なので28主体でしたね。上から4番目の画像、排気が結構上がってますね。いい感じです。
Unknown (キハ181つばさ)
2008-03-22 00:35:55
swallow angel様
昭和50年代は東北本線にも定期3往復のDC急行がありましたので、目新しい感じはありませんでしたね。ただ、水戸区は稀にキハ55を入れてくることがあるので注目はしていたんですが。結果的に写真に収めることは出来ませんでした。
房総のDC時代を知っている人から見れば、珍しくもなんとも無かったでしょうね。
私も1エンジンと2エンジンの区別がいつ頃からできるようになったか記憶ないですね。子供の頃の記憶力の良さっていうのは凄いもんだと、娘を見ていて感心しました。私等もそうだったんでしょうね。
Unknown (キハ181つばさ)
2008-03-22 00:46:08
金太郎様
しかし詳しいですね。模型やっていると結構特定番号に拘るところもありますがね。旧型国電はかなり凝りました。
常磐線の冷房化の一因は平坦区間にあったことも確かでしょう。キハ28だったらオール冷房化が可能ですからね。東北系もキハ28は適度に混ざっていたようですが、ことごとく冷房が無かったですね。いずれまとめてアップしますけど。
昔は今と違って急行でも停車駅が少なかったですから、結構勢い良くカッ飛んでましたね。その代わりコイルバネの弾みもハンパじゃありませんでしたけど(笑)。
Unknown (やす)
2012-11-05 17:59:36
自分の田舎が水戸だったので、結構 急行ときわ・奥久慈に乗りました。

常磐線内は電化されて、電車急行でしたが、当日、小学生の自分にはディーゼル車の魅力がありました。

書かれていますように、かなりのスピードで走る光景は、堪りませんでした。

また、急行列車の復活を望む一人です。

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