こんばんわ。
昨日は久し振りに良い天気・・・な感じもしたのですが、風が冷たかったですね。オマケに、撮影に出ても人身事故の影響で、目的も達することが出来ず、無駄な時間を過ごしてしまいました。
さて、春物の写真が無くて、選定に困ってしまいました。そんなことで、季節に関係の無い機関車のネタにしたいと思います。
昭和55年7月頃 蕨~西川口間にて
東京機関区にいたEF15195号機です。EF15の中では最後期に属するカマとなります。旧型デッキ付きの中でも、一番完成度の高いスタイルですね。その分、あまり特徴が見られず、ある意味、面白みに欠けるカマであったとも言えると思います。
編成が短い貨物列車ですので、おそらく田端操~川口間の蕨回転を行っていた列車だと思います。
ゴミ取りを掛けてスキャニングしたら、滲みが出て変な画像になってしまいました。機会があったら、再スキャンして差し替えます。
昭和56年5月頃 蕨~西川口間にて
東京区のEF15としても最末期の頃になると思います。翌57年に大宮操に勤務しだした頃にはあまりEF15の姿を見掛けなくなってきていました。
この区間で撮影したEF15の写真はまだまだありますが、何故か東京機関区のカマばかりなんですよね。おそらく、八王子や新鶴見のカマも居たと思うのですが、EF60が転入し始めた時期でもあり、この区間を走るEF15は、東京区のカマが最後になっていたのかもしれません。
ところで、下記データをご覧いただくとお判りのように、非常に細々転々としております。この写真を撮った後、廃車を免れて身延線用として甲府に転属し、直ぐに八王子に来ています。おそらく、ED16の置換用だとは思いますが、また直ぐに貨物合理化による機関車の大量余剰の憂き目に遭い、あまり活躍する期間も無く廃車になってしまったことが伺えます。
データ
昭和33年11月21日 川崎製 新製配置 稲沢第二機関区
昭和38年 9月 1日 米原機関区へ移動
昭和39年 9月 5日 浜松機関区へ移動
昭和42年 5月20日 新鶴見機関区へ移動
昭和48年 4月 1日 東京機関区へ移動
昭和58年 3月15日 甲府機関区へ移動
昭和58年--月--日 八王子機関区へ移動
昭和59年 8月24日 廃車
昨日は久し振りに良い天気・・・な感じもしたのですが、風が冷たかったですね。オマケに、撮影に出ても人身事故の影響で、目的も達することが出来ず、無駄な時間を過ごしてしまいました。
さて、春物の写真が無くて、選定に困ってしまいました。そんなことで、季節に関係の無い機関車のネタにしたいと思います。
昭和55年7月頃 蕨~西川口間にて
東京機関区にいたEF15195号機です。EF15の中では最後期に属するカマとなります。旧型デッキ付きの中でも、一番完成度の高いスタイルですね。その分、あまり特徴が見られず、ある意味、面白みに欠けるカマであったとも言えると思います。
編成が短い貨物列車ですので、おそらく田端操~川口間の蕨回転を行っていた列車だと思います。
ゴミ取りを掛けてスキャニングしたら、滲みが出て変な画像になってしまいました。機会があったら、再スキャンして差し替えます。
昭和56年5月頃 蕨~西川口間にて
東京区のEF15としても最末期の頃になると思います。翌57年に大宮操に勤務しだした頃にはあまりEF15の姿を見掛けなくなってきていました。
この区間で撮影したEF15の写真はまだまだありますが、何故か東京機関区のカマばかりなんですよね。おそらく、八王子や新鶴見のカマも居たと思うのですが、EF60が転入し始めた時期でもあり、この区間を走るEF15は、東京区のカマが最後になっていたのかもしれません。
ところで、下記データをご覧いただくとお判りのように、非常に細々転々としております。この写真を撮った後、廃車を免れて身延線用として甲府に転属し、直ぐに八王子に来ています。おそらく、ED16の置換用だとは思いますが、また直ぐに貨物合理化による機関車の大量余剰の憂き目に遭い、あまり活躍する期間も無く廃車になってしまったことが伺えます。
データ
昭和33年11月21日 川崎製 新製配置 稲沢第二機関区
昭和38年 9月 1日 米原機関区へ移動
昭和39年 9月 5日 浜松機関区へ移動
昭和42年 5月20日 新鶴見機関区へ移動
昭和48年 4月 1日 東京機関区へ移動
昭和58年 3月15日 甲府機関区へ移動
昭和58年--月--日 八王子機関区へ移動
昭和59年 8月24日 廃車
知っていれば、教えていただきたいのですが。
EF15は、こういった貨車を牽引が似合います。コキを牽引していたら、似合わないかなぁ~って思ったりします。
私はその辺りのことは分かりません。ただ、考察すると以下のようになるのではないかと。
首都圏に大規模な機関区を設置することは難しいので、東海道は新鶴見、中央・南武・青梅は八王子、高崎・上信越は高崎第二、東北は宇都宮、常磐は田端、ついでに千葉は佐倉といった具合に放射状にエリアをカバーしています。都心部への乗り入れは各方面からスルーで入ってきますが、都心部のみを走る山手貨物線を中心とする駅別列車(例えば、当時の汐留、恵比寿、新宿、目白、池袋、板橋、田端の相互間発着となる列車)や蕨~川口間の列車などは、元々が東京機関区のエリアになっていたのではないかと思います。
したがって、私が撮っているEF15の写真が東京区のものが殆どであり、隅田川~汐留を結んでいた荷物列車もEF15が牽引していたのではないかと考えられます。東京区のEF58が常磐線の無線アンテナを装備していなかったのではないですかね?
EF15が撤退するようになると、EF65Pや新製PF(クロスパンタ)が真っ先に蕨~川口間に運用されるようになっており、明らかに東京区の縄張りだった、というふうに思いますけど。
京浜東北線沿いで撮影した物は上越型ばかりでしたね。
私の場合、山手貨物線での撮影が多かったので、新鶴見、立川、八王子が多かったのかな。
撮った年代でも違ってしまうかもしれませんね。総和51年くらいまでだと、東京区もEF10がいましたので、EF15に逢う確立は少なくなってしまったも。
私は殆どが地元~大宮での撮影ですが、圧倒的に東京区が多いですね。次に高二でしょうか。