今回は、私の好きな列車である特急「あけぼの」をご紹介したいと思います。
「あけぼの」は、上野から東北・奥羽本線経由で秋田・青森を結んでいた寝台特急であることはご存知かと思います。山形新幹線の工事の進捗に伴い陸羽東線経由となり、現在は「鳥海」のスジを継いで上越・羽越本線経由となっています。私的には、真の「あけぼの」は奥羽本線を走っていたときまでと考えます。
その昔、秋田を通る寝台特急は、大阪方面へ「日本海」、上野方面へこの「あけぼの」と2種類しかなく秋田方面の方々からすれば、随一の高級な特急列車だったことでしょう。
また、20系寝台客車を使った最後の定期列車としても有名です。
それでは、古い順に写真をご覧いただきたいと思います。

昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22を従え上野を目指すEF65牽引「あけぼの」
古い写真なので、構図も写りも悪くてすみません。「あけぼの」というより「カニ22」が大好きで撮った写真です。
この頃は東京発着のブルートレインを除いてヘッドマークが廃止されていました。ブルトレとしては、あまり機関車に注目が行きませんね。それで、20系など客車の写真を多く撮っているのもうなずけると思います。
また、「あけぼの」の2往復時代はいずれも上野着が6時台でしたので、走行写真を撮るのはなかなか難しく、あまり記録として残っていません。

昭和60年1月5日 古河~栗橋 ヘッドマーク復活後の「あけぼの」
昭和59年10月からヘッドマークが復活した「あけぼの」。加えて3往復に成長し、上野着9時と撮影し易い時間にも走るようになりました。
これは、EF58末期の活躍の写真を撮りに行った時に撮ったものです。

昭和60年3月17日 栗橋~東鷲宮間にて 上野に向けてラストスパート
上の写真と同じ頃。編成もほぼ変わりありません。現在では編成も減車で短くなってしまいましたが、この頃までは電源車含めて13両編成くらいが当たり前でした。やはり、ブルトレは編成が長いほど貫禄が出ます。

昭和62年12月29日 蓮田~東大宮間にて 冬晴れを行く「あけぼの」
山形新幹線の工事に伴い、危機を感じて撮りに行った最後の写真。ヘッドマークの色調が何か違うような感じで、今でも気になります。
私から見た「あけぼの」の魅力は、EF651000番台が東北地域では「特急しか引かない機関車」という、東海道筋では500番台のような格好良さを感じていました。そして、やはり大ぶりのPS16パンタグラフとヘッドマークの組み合わせがたまらなく好きでした。いつも「ついで」で撮っていたので、意外と撮った枚数が少ないのにガッカリしています。
↓EF71+ED78「あけぼの」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/170.html
↓カニ22「あけぼの」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/97.html
↓ナハネフ23「あけぼの」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/94.html
「あけぼの」は、上野から東北・奥羽本線経由で秋田・青森を結んでいた寝台特急であることはご存知かと思います。山形新幹線の工事の進捗に伴い陸羽東線経由となり、現在は「鳥海」のスジを継いで上越・羽越本線経由となっています。私的には、真の「あけぼの」は奥羽本線を走っていたときまでと考えます。
その昔、秋田を通る寝台特急は、大阪方面へ「日本海」、上野方面へこの「あけぼの」と2種類しかなく秋田方面の方々からすれば、随一の高級な特急列車だったことでしょう。
また、20系寝台客車を使った最後の定期列車としても有名です。
それでは、古い順に写真をご覧いただきたいと思います。

昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22を従え上野を目指すEF65牽引「あけぼの」
古い写真なので、構図も写りも悪くてすみません。「あけぼの」というより「カニ22」が大好きで撮った写真です。
この頃は東京発着のブルートレインを除いてヘッドマークが廃止されていました。ブルトレとしては、あまり機関車に注目が行きませんね。それで、20系など客車の写真を多く撮っているのもうなずけると思います。
また、「あけぼの」の2往復時代はいずれも上野着が6時台でしたので、走行写真を撮るのはなかなか難しく、あまり記録として残っていません。

昭和60年1月5日 古河~栗橋 ヘッドマーク復活後の「あけぼの」
昭和59年10月からヘッドマークが復活した「あけぼの」。加えて3往復に成長し、上野着9時と撮影し易い時間にも走るようになりました。
これは、EF58末期の活躍の写真を撮りに行った時に撮ったものです。

昭和60年3月17日 栗橋~東鷲宮間にて 上野に向けてラストスパート
上の写真と同じ頃。編成もほぼ変わりありません。現在では編成も減車で短くなってしまいましたが、この頃までは電源車含めて13両編成くらいが当たり前でした。やはり、ブルトレは編成が長いほど貫禄が出ます。

昭和62年12月29日 蓮田~東大宮間にて 冬晴れを行く「あけぼの」
山形新幹線の工事に伴い、危機を感じて撮りに行った最後の写真。ヘッドマークの色調が何か違うような感じで、今でも気になります。
私から見た「あけぼの」の魅力は、EF651000番台が東北地域では「特急しか引かない機関車」という、東海道筋では500番台のような格好良さを感じていました。そして、やはり大ぶりのPS16パンタグラフとヘッドマークの組み合わせがたまらなく好きでした。いつも「ついで」で撮っていたので、意外と撮った枚数が少ないのにガッカリしています。
↓EF71+ED78「あけぼの」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/170.html
↓カニ22「あけぼの」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/97.html
↓ナハネフ23「あけぼの」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/94.html