今日は、昨日に引き続き「エキスポライナー」で、交直両用近郊型篇をお送りしたいと思います。
つくば万博の開催に合わせて、主要の輸送手段となる上野からの常磐線は、特急「ひたち」を始め普通列車も含めたフル回転でのアクセスを実施いたしました。その中でも輸送力の中心となるのが401・403・415系といった「元赤電」の車両たちです。
30歳代以下の若い皆様には「赤電」という言葉さえ死語になってしまったかもしれませんが、ローズピンクにクリーム色の正面警戒帯が入った車両を、103系取手行きと区別するために呼称されていました。
当時の時刻表がどうにも引っ張り出せない場所にあって、どのように表示されていたのか分からない状況だったのですが、かなりの本数が増発されていたと記憶しています。
エキスポライナーは全ての列車に大型のヘッドマークを取り付けて運転されていました。
昭和60年8月25日 神立~高浜間にて 415系で15連を組んだ「エキスポライナー」
常磐線の交直流近郊型は、このつくば万博に合わせて塗装が変更となり、輸送力増強のための15両化が実施されました。それまでの「赤電」時代は、4連×3本の最大12連となっていました。
昭和60年9月5日 万博中央~牛久間にて 415系7連を含む11両編成の「エキスポライナー」
写真手前の7連は415系ですが、後部4両は401系又は403系のようです。
塗装変更に際しては、形式や年式に拘わらず、全ての近郊型車両が塗装変更されました。
昭和60年9月5日 万博中央~牛久間にて クハ401を先頭に万博へ向かう「エキスポライナー」
写真をスキャニングして拡大してみると、先頭車はクハ401-57と読み取れます。したがって、モハ402・403-4とユニットを組んでいる編成ということになります。
まだ車体更新などはされておらず、ヘッドライトも大目玉のままです。
万博輸送では、15両編成化に伴って415系が増備されましたが、残っていた5両の401系初期低窓車も、塗装変更の上総動員されています。しかし、残念ながら撮影中に低窓車を見る機会はありませんでした。
つくば万博の開催に合わせて、主要の輸送手段となる上野からの常磐線は、特急「ひたち」を始め普通列車も含めたフル回転でのアクセスを実施いたしました。その中でも輸送力の中心となるのが401・403・415系といった「元赤電」の車両たちです。
30歳代以下の若い皆様には「赤電」という言葉さえ死語になってしまったかもしれませんが、ローズピンクにクリーム色の正面警戒帯が入った車両を、103系取手行きと区別するために呼称されていました。
当時の時刻表がどうにも引っ張り出せない場所にあって、どのように表示されていたのか分からない状況だったのですが、かなりの本数が増発されていたと記憶しています。
エキスポライナーは全ての列車に大型のヘッドマークを取り付けて運転されていました。
昭和60年8月25日 神立~高浜間にて 415系で15連を組んだ「エキスポライナー」
常磐線の交直流近郊型は、このつくば万博に合わせて塗装が変更となり、輸送力増強のための15両化が実施されました。それまでの「赤電」時代は、4連×3本の最大12連となっていました。
昭和60年9月5日 万博中央~牛久間にて 415系7連を含む11両編成の「エキスポライナー」
写真手前の7連は415系ですが、後部4両は401系又は403系のようです。
塗装変更に際しては、形式や年式に拘わらず、全ての近郊型車両が塗装変更されました。
昭和60年9月5日 万博中央~牛久間にて クハ401を先頭に万博へ向かう「エキスポライナー」
写真をスキャニングして拡大してみると、先頭車はクハ401-57と読み取れます。したがって、モハ402・403-4とユニットを組んでいる編成ということになります。
まだ車体更新などはされておらず、ヘッドライトも大目玉のままです。
万博輸送では、15両編成化に伴って415系が増備されましたが、残っていた5両の401系初期低窓車も、塗装変更の上総動員されています。しかし、残念ながら撮影中に低窓車を見る機会はありませんでした。