今日は少し気分を変えて、「ローカルな風景」と題しまして、懐かしい又は今なお現役の鉄道、路線、車輌等をご紹介していきたいと思います。
第1回目は、国鉄「清水港線」です。
国鉄「清水港線」は、東海道本線清水駅と三保を結んでいた臨港鉄道的性格のような路線です。貨物は1日数本の運行があったものの、旅客列車は朝の下りと夕方の上りのたった1往復しかありませんでした。普通のローカル線でも朝・夕・晩と3往復が設定されるのが通例ですが、1往復のみという路線は全国的にも例がなかったのではないでしょうか。
当時、廃止ローカル線をわざわざ訪れるといった旅はあまりしない方でしたが、同線は旅客列車が混合(ミキスト)であり、さらに、団体(さよなら清水港線)で沼ザ(静岡局お座敷車輌「いこい」)が入線するということで、2日の滞在で都合1往復余分に撮影ができると利があって訪れたわけです。
※撮影は、すべて昭和59年3月22~23日です。

団体お座敷列車は、三保駅へ前日の送り込みとなり、なんと、DD13型の重連となりました。清水駅から三保駅まで、このときは徒歩で移動しました。

終着の三保駅。もう直ぐ廃線とあって、かなり多くのファンの方がいました。
1往復の発着ながら、有人駅でありそれなりの駅舎を持っていました。

駅待合室の発着時刻表。本当に1本しかありません。

三保発のお座敷列車は、3月23日の早朝でした。有名な巴川口駅近くの可動橋。

清水港線は、原則としてDD13型のみが運用されていましたが、3月23日の下り三保行きはなんとDE10型が運用されました。これには待っていた私もびっくり。

三保駅の乗車券・入場券、車内補充券。
私が清水港線を訪れたのは、これが最初で最後となりました。混合列車の走る貴重な路線でしたが、この1週間後の昭和59年3月31日をもって、清水港線は廃止されました。
第1回目は、国鉄「清水港線」です。
国鉄「清水港線」は、東海道本線清水駅と三保を結んでいた臨港鉄道的性格のような路線です。貨物は1日数本の運行があったものの、旅客列車は朝の下りと夕方の上りのたった1往復しかありませんでした。普通のローカル線でも朝・夕・晩と3往復が設定されるのが通例ですが、1往復のみという路線は全国的にも例がなかったのではないでしょうか。
当時、廃止ローカル線をわざわざ訪れるといった旅はあまりしない方でしたが、同線は旅客列車が混合(ミキスト)であり、さらに、団体(さよなら清水港線)で沼ザ(静岡局お座敷車輌「いこい」)が入線するということで、2日の滞在で都合1往復余分に撮影ができると利があって訪れたわけです。
※撮影は、すべて昭和59年3月22~23日です。

団体お座敷列車は、三保駅へ前日の送り込みとなり、なんと、DD13型の重連となりました。清水駅から三保駅まで、このときは徒歩で移動しました。

終着の三保駅。もう直ぐ廃線とあって、かなり多くのファンの方がいました。
1往復の発着ながら、有人駅でありそれなりの駅舎を持っていました。

駅待合室の発着時刻表。本当に1本しかありません。

三保発のお座敷列車は、3月23日の早朝でした。有名な巴川口駅近くの可動橋。

清水港線は、原則としてDD13型のみが運用されていましたが、3月23日の下り三保行きはなんとDE10型が運用されました。これには待っていた私もびっくり。

三保駅の乗車券・入場券、車内補充券。
私が清水港線を訪れたのは、これが最初で最後となりました。混合列車の走る貴重な路線でしたが、この1週間後の昭和59年3月31日をもって、清水港線は廃止されました。