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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

憧れの車輌たちVol5(クハ481ボンネット型)

2007-02-13 02:19:35 | 特急型電車(交直流・交流)
憧れの車輌たち第5弾は、クハ481&489ボンネット型です。

同士の間では、181系派と485系派と分かれるところではあると思います。
私はどちらかというと、485系派ということですが、どうして?といわれるとどう答えたらよいのか・・・。
車高からなるトータルバランスでの流美さ。顔の帯の有無そしてヒゲ。ヘッドライト(第3灯目)あたりの違いですか。
地元では、東北、上信越とバラエティーに富んだ車輌が走っていましたので、選択肢はいろいろあります。181系では既に屋上ライトを付けている車輌はありませんでしたが、スカートの長い帯なしと帯あり、スカートの短い各種タイホンの形状違い、そして、連結器をむき出しにしたクハ180。(台車とか改造種車の違いによる車体の長短は抜きにします。)一方485系では、形態として181系ほどバラエティーさは無いものの、クハのみならずクロが存在していた点、そして、連結器をむき出しにしたクハ489500番台。
私の好きな点を挙げれば、屋上ライトがある方が前面が引き締まって見えるという点と、ヒゲ(帯)が付いている、車高が高くドッシリ感がある、という点で481系が好き、という感じです。特にクロ481+サロ481という豪華編成にも魅力を感じました。
 ※あくまでも私個人の感覚によるものですから、皆さんの思いを否定するものではありません。


昭和54年 西川口~蕨にて クハ481「ひばり」
この頃になると、東北筋におけるボンネット車は仙台運転所に集中配置となり、この「ひばり」のほかに「あいづ」と「ひたち」に限られるようになりました。



昭和52年頃 上野駅にて クハ489500「あさま」
「あさま」は189系により12連化され、さらに「白山」の間合い運用で489系も使用されていました。この頃は連結器をむき出しにした同車はあまり好きではありませんでしたが、今ではカッコいいと思います。年を重ねることで好みも変わってきますね。



昭和60年9月5日 万博中央(現ひたち野うしく)~牛久 クハ481 0「ひたち」
分割民営化を控えたこの頃、九州からの広域配転により初期型0番台が大挙して勝田電車区へやってきました。私、九州時代の特徴であったこのヒゲなしクハ481、大っ嫌いでした。



平成元年3月12日 大甕~勝田間にて クハ481 0「ひたち」
この頃になると、九州からやってきたヒゲなしボンネットたちは、元からいる同僚と同じ顔になりました。本当は赤スカート車のヒゲ復活を期待して同列車を撮影に行ったのですが、ヒゲの復活とともに赤スカートもクリーム一色に塗り替えてしまわれたようです。残念・・・。



昭和49年8月 大阪駅にて  クハ481「みどり」
初めて撮影のために連れて行ってもらった大阪。「はくたか」の赤スカート車に憧れ、約2日間にわたり大阪駅で右往左往しておりましたが、同車に出逢えたのは「これから東京に帰ります」という最後の最後の夜でした。ポケットカメラでオマケに光量不足の中、奇跡的に写っていた1枚です。(ボンネット型の「なは」やキハ82「かもめ」は残念ながら写っていませんでした。)

現在は、数両のクハ489型がかろうじて残っているボンネット型ですが、特急電車の歴史を語る上では欠かせない産物だと思います。これからも「昭和の生き証人」として、末永く元気に走ってもらいと切に願います。

ボンネット型の写真は他にも数多くありますので、スキャニングが出来次第おってUPしたいと思います。どうぞお楽しみに。

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コメント (4)
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