丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

望みの叶え方。「戦って勝たないと自分の望みが叶わない」っていうのは、じつは思い込みなの。

2022-02-24 08:09:56 | 心の解放シリーズ

「戦って勝たないと自分の望みが叶わない」って思い込みが、我々人類にはあると思うんだ。
でも望みの叶い方を細かく見ると、本当はそういうふうに叶っているわけではないんだ。

カンタンに言えば、ふだん自分が実感していることがカタチになっていくんだ。
戦って勝ち取っているのではなく。
これは個人の望みも、あいつら打倒などのみんなの集合意識の望みも、同じなんだ。

例えば敵・味方で戦って、恐怖を実感していると、その恐怖が現実にカタチになっちゃうんだ。

歴史上の激しく戦った人物は、武力や権力で一時的に勝っても、最終的には潰れて、一番戦わなかった人が残るんだわ。
織田信長も、いろんな説が言われているけど、意識の視点では、強くてもあんなふうに残虐に戦うってことを、ずっとやる続けるのはムリだわねと思える。
すると離脱する流れを作っていくもんなんだ。みずから。

前回、分断についてちょっと書いたけど、これに多くの人がハマる危険は、こういう集合意識が叶ってしまうことにもある。
敵・味方で戦って、恐怖を実感していると、その恐怖が現実にカタチになっちゃうから。最後、みんなで撃沈って結末になってしまう。
するとあいつらが喜ぶ。
そんなのイヤだろう?

そうではなく、ネットなども、戦いから離れて、自分の気持ちや考えが、ご理解いただける方に伝わればいいなぁと、自分のそんな実感を感じながらやっていると、

自分のそんな意識が広がっていくって感じ。
分かりあえる方と共鳴していくって感じ。
それがうれしいって気持ちだ。
これは感情のプラスの満足。幸せ。喜び。
この意識が広がっていく。伝わっていく。
これが一番強くて叶いやすいんだ。そして広がりやすいんだ。

どうしても攻撃されればそっちの方が刺激が強く感じるから、意識が囚われてしまうけれど、好意的な人もいっぱいいるわけだ。
そこを見た方がお得だ。
へんなやつは放置して、いい人だけを見てていいくらいだ。
工作員にも一言くらい自分の見解を言ってもいいとは思うけど、相手しすぎると、相手に発言の機会を与えてしまうからな。
あたしは自分のブログのコメント欄をそういう手合いのプロパガンダ拡散に利用されるのがイヤだからコメントを閉鎖したってのもあるんだ。
つきあう人は自分が選んでいいわけだから。

脳のどこを中心に使っているかによって、いろんな満足がある。

人と繋がってうれしいって実感は、感情を司る部分の満足だ。
ここが一番願いをかなえる部分だ。感情の実感ね。

知識ある人は、自分の知識を発信するとき、満足感を実感しているだろう。
これは左脳右脳の満足。
(マイナスに行くと、左脳は理屈で相手を責めるモードになる。
右脳は無気力、うつっぽくなる。)

戦っているときは、脳の脳幹という、よく爬虫類脳と言われてる部分をマイナスに使っている状態だ。
敵に遭遇して、戦うか逃げるかという反応をする部分だ。
動物が命を守るうえで、生き残るための一番原始的な部分だそうだ。
ここがプラスに使えているとスポーツなどが得意だったり、生命力あふれる、元気な行動力あふれる感じ。この満足もある。

でも、戦うと、ここをマイナスに使うことになるから、恐怖を実感しながら戦うこととなる。

どこの脳の満足もすばらしいけれど、戦ってしまうと、一気に感情の実感がマイナスになっちゃうわけ。これが叶っちゃうの。
でも、戦いからおりて、いろんな満足を感じながらやっていると、プラスが叶っていく。
これがコツなの。
実感がともなっていることがミソだ。
なにも行動しないでイメージだけで人と繋がっている妄想でも気持ちよくはなるけれど、これは右脳のつくり出したイメージだ。
本当は、他人がコワい、行動したくないと思っていれば、その思いが叶うだろう。
こっちが本当の実感だから。
それならそれでいいんだ。あたしは今人と関わりたくないんだ、こうやって自分を守りながら休みたいんだってOKしてそうしたらいいんだ。

それでしばらくして、少し行動したくなって、自分の気持ちを感じながら発信や行動をすると、心通じる方もいることがわかる。するとうれしいなぁと実感する。
このモードのときは、愛とか平和とか調和の願いだよね
戦って勝って、望みを叶えようとはしていないはずだ。

自分のそんな意識が広がっていくって感じ。
分かりあえる方と共鳴していくって感じ。
それがうれしいって気持ちだ。
これが感情がプラスの満足。幸せ。喜び。
この意識が広がっていく。伝わっていく。

これが形になっていく。戦ってるときの恐怖やしんどさはないはずだ。
だからそんなマイナスが叶うことはない。安全だ。
同じ主張をしていても、人それぞれ。意識がこんなにも真逆であったりするんだ。

こっちの戦ってない、満足を実感してるときは気持ちがいいんだ。幸せだし、うれしいんだ。
だから、どこまででもやれるのね。しんどくないから。楽しいから。

こうしてみんなで協力する流れが大きくなっていくと、どんどん掛け算で広がっていくの。
脳もリラックスするからいいアイディアも浮かぶし。視野も広くなるし。
それをみんなでやっていけばさらに発展していく。

今、分断に行きがちな人は、ここをご存じないだけなんだ。
もったいないのよ、せっかく才能があるのに。。。
必要ない人、才能ない人なんて一人もいないからね。
リラックスしてそのままでいてくださったほうが、みんなにとっても助かるのよ。
他人と戦って消耗するよりも。みんなもうれしいの。
あなたが平和でいてくれたほうが。
戦ってくれてありがとうとはならないんだ。
そういうわけで、
「戦って勝たないと自分の望みが叶わない」っていうのは勘違いなんだ。

相手を変えようとする、あるいは自分を束縛していく、これも戦いだ。

相手とも自分とも戦っている。
これは支配だし、もちろん分断も、生む。
相手がもう心に決めているのに、強引に言いすぎるとトラブルになる。
これは、相手の選択を認めていないから。
命に関わると思うと、どうしても強引になってしまうんだけど、言ってあげても相手が拒否しているならばムリなんだ。
今、世界中でこういうことが起きているな。
だから正論を言うよりも、相手と自分の責任の範囲を見極めることでチャンスが見えてくるんだ。

ちょっと練習してみようか。
ややこしいことになったり、もやもやする場面、トラブルが起きたときは、
必ずここでのテーマはなにか?と見る。

例えば、
テーマ:Aさんがワクチンを打つかどうか?
これは、Aさんが決めて、Aさんがその責任をとることだ。(Aさんが大人であれば)
これに対してBさんが正論言っていろいろ教えてあげても、Aさんが決めることだから、Aさんの選択を変えさせようとすることは支配となるので、Aさんは快になる
そういうふうに人の心ができているのね。よってトラブルになりやすいんだ。
Aさんが知りたがっていたらいいんだけど。
ここを感じとってあげることなんだ。相手の選択を。すこしずつ話をしながら。

今はもうすでに打ちたい人は打っているだろうから、みんな自分の選択を決めているはずだ。
この選択を無視したり否定することを言いすぎると、相手は嫌がったり、怒ったり、傷ついたりトラブルになる。(すると分断されていってしまうのね)
こんなとき、わたしなら、「自分は、打たないんだ、自然でいきたいの」と自分の選択を話すだけだ。
これは、安全だ。人の責任の範囲に入っていないから。ただ、自分の選択を話しているだけだから。
私の選択を聞いて、相手が何かを思うかもしれない。
相手がいろいろ聞いてきたり、知りたそうであれば、チャンスだ!
自分の知っていることを教えて差し上げる。
これが安全で平和でトラブル知らずの拡散の極意だ。

本来はこんなふうに情報を共有したり広めたりできる可能性があるとしても、
相手の選択を確認する前に、強引に言いすぎると、相手は嫌な気持ちになってしまのね。
話合える可能性をみずからつぶしてしまうこととなるの。


お次は、
テーマ:憲法を改正するかどうか
これは、日本の国民が決めて、その結果を経験することとなる、と言いたいけれど、
実際に内容を決めるのは、あいつらだろう
我々国民は、国民投票のときに、改正に賛成か反対か、これだけだろう。
なのに結果の責任をとるのは国民なわけだ。
だから、まず責任からしておかしいんだ。
しかし、実際には、2016年6月にイギリスで欧州連合(EU)離脱の国民投票が行われた際に指摘されたように、想定されていた結果と異なる方向に誘導されることも可能です。ヒトラーなど独裁者のために国民投票が活用されてきたことも忘れることはできません。
とくに現在の憲法改正手続のための法律(いわゆる国民投票法)には、最低投票率の定めがないため、万一、当日の悪天候などの影響で40%位の低い投票率だった場合も、過半数の20%の賛成で憲法改正が有効に成立する仕組みになっています。仮に有権者の5分の1の賛成で重大な憲法改正が実現してしまうことなどは、あってはならないことでしょう

だから、おばさんに言わせれば、政治の世界は責任がめちゃくちゃだ。
コロナもワクチンもそうだけど。
あいつらがなんでも強引に、国民をペテンにかけながらやっちゃう。
そのくせ責任はとらない。国民がその結果を味わわされる。

だから責任の観点から見れば、国民投票とかの憲法改正の制度からして問題だよねという話だ。内容はもっとダメだけど。
でも、グローバリストのあいつらが政治している時点で「国民のために」なんて視点がないわけだから、日本のためにちゃんとやるわけがないわけだ。
だから現状すべてに言えるけど、あいつらをパージしないと根本的な問題解決は見えてこないわけだ。

じゃあ、こんな状況だけど、

テーマ:憲法改正に賛成するか、反対するか?
これは一人ひとりが決めることだ。自分が決めていいことだ。
日本を愛する人も、心が日本人じゃない人も、売国奴も、改憲草案の中身を見たことない人も意見を決める権利がある。

だから自分の意見は大いに言った方がいいし、問題も言った方がいい。
でも相手の選択を変えさせようと強引になると、ワクチンと同じような状況にもなりかねない。
だから、おばさんは、こんな場合もワクチンのときと同じく、「あたしはこう思うけどね」と言う。
ワクチン強制されたらやだもん。人権なくなっちゃってさ。外国は今大変なことになってるし」と。まずはカンタンなとこから。
(最初からがんばって難しいこと言おうとすると、強引になりすぎるから)
これは安全だ。自分の選択(考え)を話しているだけだから。
相手は相手で自由だと認めていれば、相手の責任の範囲に入ってないから。
相手が知りたそうにのってきたら、チャンス!
いろいろ教えて差し上げればいい。


おばさんは、なんでもきわどいことは、「あたしはこう思うけどね~/あたしはこうするけどね~」と自分の選択だけを言って、相手の反応を確かめる。その反応でだいたいわかる。
相手が何も言ってこなかったら、言いたくないってことだ。
その話はしたくない、言ってほしくないって意味かもしれない。
それも相手の自由でOKなわけで、その場合はそれ以上言いすぎると相手の責任に入りすぎてしまうのでトラブルになる。

命かかってる思うとついつい強引にでも言ってあげたくなるんだけど、
相手がすでに選択を決めている場合は、言ってあげたとしてもムリなんだ。
受け入れられないんだ。
だから「自分が言ってあげていれば」と自分を責める必要はないんだ。
できるのは、自分の選択を話すことくらいだ。でもそのくらいのほうが手堅く平和に拡散できるんだ。
ブログも読みたくない人は読まないわけだから、押し付けなくて済むのね。
おばさんはそういう作戦で、やってます。

ネットでの発信も、
自分の気持ちや考えが、ご理解いただける方に伝わればいいなぁ。伝わってうれしいなぁという感覚てあれば、支配の感覚はいっさいない。
こっちのほうが共感を得て広がりやすい。
読んでて楽だから。気持ちがいいから。

わかんないヤツはバカだみたいに激しく書けば、同じ感覚の方には支持されるだろうけど、広くいろんな価値観の方に広めるのは難しいだろう。
いろんな感覚、考えの人がいるわけだから。

たぶん、世渡りのうまい人、のびのび活躍している人は、こういう相手の責任に入りすぎない感覚を持っているか、知っている。
親にそう育てられていると思う。それで自然に身についていると思われる。
するとトラブル少なく安全なので、自分の選択(やりたいこと)を伸ばしていきやすい。
トラブルが少ないから、順調に伸びていきやすい。
他人の選択を阻害しないかぎり、もっと好きにやっていいんだと、どんどん自由になっていく。
(くやしいけど、あいつらエリートに多い)

嫌がってる相手を無理に変えようとするのは、他人の選択を阻害してしまっている。すると分断工作員になってしまう。工作員でなくても。
(残念だけど、ふつうの良心ある、いい人に多い)

こういうことを知らないで戦っていると、同じような戦う人と潰し合っていくこととなる。

そして、一番戦わなかった人が生き残る。

正しい人やがんばっている人が勝つわけではないんだ。残念ながら。

この勘違いというか、思い込みが、過去、我々があいつらに勝てなかった一因でもあると思う。
「戦って勝たないと自分の望みが叶わない」っていう根深い思い込みがあったから。
あいつらは残酷で悪魔だけど、一般人よりはずーっと戦っていないの。
自分らは戦わないで、下々の者をお互いに戦わせる。
潰し合いをさせ、消耗させる。
そして自分たちは安全、安泰に富を増やす。
今まさにその仕上げか、崩壊かという段階。

だから、責任を見極めながら、自分の意見を発信し、理解しあえる人と繋がって協力する幸せを覚えた方は、もう大丈夫なの

あいつらから抜ける動きを自然にされていくことと思います。

単に、どういうふうに自分が思い込んでいるかで自分の言動が決まる
すると、その結果まで決まっちゃう。けっこう自動的に行っちゃう。

今、「戦って勝たないと自分の望みが叶わない」っていう長年にわたる人類共通の思い込みから、みんなでいっしょに抜けられるかどうか?ってところにいるのかもなぁって、ふと思いました。

改憲を言っている勢力のなかにも、
一見、戦わない感じの、上品な、耳障りのいいことを言うのが上手なチームも、ある
政府が暴走しても歯止めがきかないように変えようとしているのが問題なのに、このようなことをおっしゃっているのか。。。
てことで、じつは、あべちゃんの別動隊なわけだけど、

改憲推進の新政党のみなさん、ワクチン反対言って、みんなの支持を集めている。

改憲の危険をちゃんと言って、正論を言ってても、はげしくやりあって、戦って分断に走ると、こういったお上品な改憲推進派に負けちゃうわけ。
意識の視点から結果を推測すると、戦わない人が残るから。

こうなるのを狙って、改憲反対派に分断工作員を送り込んでなきゃいいんだけど。

刀振り回してる親父さんがそういうのの元締めをされているからさ。
そろそろ親父さん、改憲に向けて仕掛けてくるころじゃないかなぁってw
右翼だけど、左翼からも、工作員が行ったり来たりしている。
両刀もいっぱいいるし。一人二役とか。
だから右とか左じゃなくて、分断する方や、ガス抜き→誘導する激しめの方は、たいていDSに使われているということだ。


あ~そうですか。
資金豊富だもんな。分断工作員を送り込むことは、いくらでも可能だな。
あ、スレッドの中に刀おやじ・・・
おやじ、まさか・・・
改憲推進勢力には、反ワクチンのちょっと上品な人を配置して、
改憲反対派に分断工作員を配置、なんてことしてないよな?

おやじの手の内はおばさんけっこうわかっているつもりだ。
弟子に正論言わせて分断をつくって、マスコミに叩かせるってやつな。

ちょっと注意しておきます。

というわけなんで
「戦って勝たないと自分の望みが叶わない」って思い込みがあると、分断工作にも乗りやすいと思うんだ。

だから工作員でない普通の方は、
そういう手合いを必死に攻撃したり応戦したり脅したり牽制したりなんてことより、
責任を見極めながら、
楽にゆったり、自分の意見を発信し、理解しあえる人と繋がったほうが効率がいいだろう。
(やってるうちに、攻撃的な人とは縁遠くなっていく)

そのほうが頭の回転もよくなるからよい発信ができるだろう。
(恐怖や他人に縛られてると頭の回転も悪くなるの)

というお話でした。

だからおばさんは、トラブル知らずだ。
こういう法則で願いがかなったり、トラブルもまた起こることをふまえて、
他人を尊重しつつ、ちゃっかり自分言いたいことも言ってるから。
ネットも、日常も。

そしてがんばらない。
がんばることは、自分への支配だからなw

すると、元気になってしまう。。。

マイナスにエネルギーとられないから。トラブルに悩まないから。
そしてがんばらないからw

だからこんなに厚かましくいられるわけだ。

あいつらに、こんなにもめちゃくちゃやる自由があるんなら、
ふつうのおばちゃんがこのくらい厚かましいくらいがちょうどええやろと思っている。




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