バイリンガル(マルチリンガル)子育て日記

日本人夫婦が日本国内で他言語を自由に操れるように子供を育てている現在進行形の日記です。

現在に至るまでの私(未来 大学入試2004年)

2008-03-28 19:44:13 | 出産・育児
現在に至るまでの私
  私が生まれ育った家庭は普通の家庭とは少し違いました。違うと言っても家族四人仲が良い所などは他の家庭と何ら変わりはありませんが、唯一違うところは子供と父との会話が全て英語だということです。私は今まで父とは一度も日本語で話したことはありません。もちろん父は日本人ですが、気づいた時にはもう英語で会話をしていて、幼い頃はそれがむしろ普通だと思っていました。まさしく家庭内バイリンガル教育です。このような教育をしていこうとした父には考えがありました。これからの時代はどんどん国際化が進み、英語は将来絶対必要になってくると思ったからです。留学経験を持つ父は、どうしたら無理なく英語を話すことができるようになるかと考えた結論が、家庭内バイリンガル教育だったのです。私が生まれるとすぐに両親は英会話学校の経営を始めました。その為外国から教師を雇い、私はその事務所に一日中両親と一緒にいたので外国人との交流は本当に幼い頃からあたりまえにしてきました。
  小学校もとても特殊な環境でした。私は加藤学園暁秀初等学校という小学校を卒業したのですが、この小学校にはイマ-ジョンプログラムという国語以外の全ての教科を英語で受けるというカリキュラムのクラスがあり、私はそこの第一期生として入学しました。もちろん英語だけではなく日本語の授業も並行して受けるのですが、ここでの六年間は私の語学力を更に高めてくれました。理科や算数、体育までも外国人の先生から全て英語で教わりました。これらの教科は専門用語などがたくさんありますが、それらも全て覚えましたし、テストは英語と日本語の両方で受けました。私は小学校に入る頃にはすでに英語でのコミュニケーション能力はついていましたが、クラスのほとんどの子が一般の家庭の子でした。それでも小学校の6年間でどの子も外国人の先生が言っていることを理解することは出来るようになりました。しかし、自分の思っていることを充分英語で表現できるかというとそこまでは難しいものがあったようにも記憶しています。私はこの小学校での学習にとても満足しています。一般の公立小学校では到底できない経験や知識が身につきました。そして、このような学習環境に置いてくれた両親にとても感謝しています。又、小学校在学中、2度程海外の小学校で学ぶという経験も与えてくれました。これは私の語学力を現地の小学校で学ぶことで、より流暢なものにするという目的がありました。一回目はオーストラリアで、二回目はアメリカの小学校に入り現地の子供達と供に勉強し、様々な活動をしました。どちらも期間は短かったものの、特にアメリカには一人で行き、向こうの一般家庭にホームステイをし、小学生の私には十分すぎるほどの発見や驚きがありました。今の私にはこの小学校六年間での様々な経験が影響していると言って良いでしょう。
  中学1学年目は加藤学園暁秀中学校で過ごしたのですが、2年生から私は一般の公立中学校に転入しました。これも両親と話し合った末決めたことなのですが、それまで私は私立での教育しか受けていず、いわば本当の日本の教育とはかけ離れた場で学習していた訳です。私を真の国際人として育てたいと思っている両親に言わせると、日本人の私はこの辺で日本の教育も知るべきという考えがあり、当然の選択でした。また私自身も幼稚園の頃から同じメンバーという事もあり刺激が年々なくなっていたので、もっと友達を増やしたいのと別の世界を見ることにより、つまり、ただ一方に傾いた人間ではなく均衡のとれた人間になりたいと思い最終的には自分自身で転入を決めました。
  転入後、私は今まで知らなかった世界が見えてきて、戸惑いながらも新たな発見も生まれてきました。たかが転入と思われるかもしれませんが、これも今考えますと、私にとっては大切な経験でした。それまでは私立というある意味外界から閉ざされた場にいたのですが、公立はまったく反対で、すごく自由な感じがしました。そして、世の中には様々な考えをもった人間がいるのんだと始めて知りました。中学の3年間は、変な言い方ですが本当の「日本人」として過ごしました。ある意味この時期は「異文化体験」だったと思います。
  そして今の長泉高校に進学しました。しかし入学後1学期だけすごし、すぐにメキシコへ交換学生として出発しました。高校生活の一年間はどこかへ絶対に留学するということは中学の頃から決めてあったことですが、今回は英語圏以外の国へと言うのが両親からの条件でした。それは何故かと言いますと、英語圏へ行っても私にとっては何でもないことで、普通に一年間楽しく何の問題もなく過ごせるからです。それでは良い思い出は出来てもほとんど学び取ることはないと考えたのです。そこで選択した国がメキシコです。これは若いうちに英語以外の言葉をもう1カ国後という父の薦めでもあったのですが、話を聞いているうちに興味がわき、この国に決めました。私は運が良く、ロータリーの交換プログラムで行ける事になりました。これは世界規模の世界奉仕機関でありますが、この交換プログラムは決して一般的に言われている「留学」が目的ではありません。勉強をする為に海外へ行くのではなく、その国の文化を学び、又自分の国の文化を伝えるということを目的としているプログラムなのです。ですからこの機関の場合留学生ではなく「派遣生」という形で呼ばれます。
  私のメキシコで過ごした一年間は、今までの人生において一番充実し、良い転機であったと思っています。何もかもが初めて触れるもので、今までの自分の経験で得た知識で対処できるものは少なく、困難なことも多々ありましたが、それは考え方によってはとても新鮮で新たな発見や考えをもたらしてくれました。メキシコで体験した全てのことをここへ記すことは出来ませんが、この期間を通して学んだことは、人間は今置かれている状況に決して満足することはせずに、常に新しい環境を求めて生きていくべきだということです。又、違った環境で生きていく上で大切なことはそこに自分がどれだけ順応して溶け込めるかです。当たり前のことですが、違う国へ行ったら自分の本来の文化は忘れてその国の生活習慣を身に付けて暮らしていかなければなりません。しかしこれは決して簡単なことではありません。つまり、どんな環境においても適応できる能力が必要であり、それが備わっている人間こそが多様な考え方ができる「国際人」なのだと思います。
 以上のように私は今まで生きてきた大半を「他言語」に触れてきて、これが唯一私が他人より秀でているところだと思います。私はこのことをとても誇りに思っていますし、このように教育してくれた両親にとても感謝し尊敬もしています。しかしここまでは両親が人生の基盤として作り上げてくれたものですが、ここからそれを発展させることができるか否か、自分次第です。まだ将来どの職業に就きたいのか擬態的には決まっていない私ですが、これまでの人生で培ってきたものとこれから大学生活で学ぶ全て活用し、最終的には堂々と「国際人」を名乗れるようになりたいです。