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2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

82

2010-11-15 07:38:34 | エジプト
82-1

今日は1日移動日。

早起きをしてご飯食べて出発。

82-2

まず、ペトラ → アカバ

本日もタクシー移動。

日本でもさほど使わないけど、
タクシーは楽だー。

うたた寝しつつ、ひたすら1本道をつっきって3時間弱でアカバ到着。

そしてアカバの港で3時間弱待ち。

ヨルダン出国管理スタッフに
一緒に旅している子が、
「あなたの持ってるチケットだけ、種類が違う」と言われて、ちょっとパニック。

しばらくして、そのスタッフの冗談だということが判明。

その子は、イスラエル入国時も一人待たされていたので
もうビクビク。

国境沿いで冗談言うなよー。

82-3

アカバからのフェリーは大変居心地よく、爆睡。

船から降りて、パスポートを預けっぱなしで、バス移動。
勝手がわからず、大丈夫かよーと思いつつ、
ビザを購入して、

23か国め、エジプトです。

しかし、わかりにくかったーー。
一人だったらやばかったなー。

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エジプト国境の ヌエバア →  ダハブへ

乗り合いタクシーのワゴン。

推定10人乗りだと思うんだけど、
荷物を上に積み上げて、
ドライバー入れて19人乗り。

6人外にいて、乗れないねーって空気だったのに。
大丈夫大丈夫って、全員乗ったからね。

エジプトのタクシー、おそるべし。

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小一時間で ダハブ到着。

まーったく、想定してなかった場所なのだけど、

何人もの旅で出逢う人から、ダハブがいいダハブがいいって聞いていて、
もうこれは行くしかないなと。

で、

スキューバーダイビングの免許もとることに。

まーったく、想定してなかったことなんだけど、

もうこんなこと、今しか出来ないだろうしと。


82-6

宿はダイバー専門宿。
オーナー兼インストラクターさんは、個性的な感じ。

ダハブは、超リゾート地で、
恋する街とも言われているみたいで、

物価も安いし、ごはんもおいしいし、
(1泊200円弱、食事が500円くらい)

蚊が多い以外は、ホント楽園みたいで、

多くの旅人はここで沈没(長居)するみたいなんだけど

あー、わかるような気がするー、こりゃ沈没するわーって感じ。

なので私も、免許もとることですし、ちょっとゆったりします。

楽園なんだけど、着いて早々、学科の勉強開始だけどね・・・

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ペトラでもダハブでも
前にいた宿で一緒だった子達とちらほら再会したり、

よく読んでいたブログの人とかにお逢いしたり。

ルート似るからねー。

82-8

ペトラの宿でインディジョーンズをチラ見したら、
ベネチアもロケ地だったみたいで、あー、見た見たーってなりました。
これは見なければー。

82-8

食:宿の朝食、野菜・ヨーグルト・紅茶
  お菓子(ウエハースチョコ)
  スパゲッティ・サンドイッチ・ビール。

久々にビール飲んだー。うまかったー

81

2010-11-14 03:29:06 | ヨルダン/イスラエル
81-1

朝食を食べて、宿の送迎バスでぺトラ遺跡へ。
「インディ・ジョーンズ3 最後の聖戦」の舞台とか。

インディ・ジョーンズ、1しか見てないんだけどねー。

81-2

ぺトラ遺跡の入場料は
今月から20→50ディナール。日本円で6000円。
世界一高い入場料とかなんとか。
どう確かめるのかわからないけど、
ぺトラに一泊しない人は、90ディナール。
観光客から搾取しすぎでしょ。

81-3

朝の7時に宿を出て、夕方まで、
ひたすら歩いて、遺跡を眺めて写真とって登って。みたいな。
岩を削って、これだけのものが出来るんだーという感じ。
帰ったら「インディ・ジョーンズ」みなきゃー。
ちなみに、2日券は55、3日券は60ディナールと、
遺跡マニアにはたまらない感じ。
あとシニア世代が多くみられました。
ガンガン歩くコースなのに。みんなタフっすね。

81-4

基本3人で行動しているのですが、
1人でポツンと歩いて、プラプラと散策するのを
受け入れていただけているのでとてもありがたいのでした。

81-5

宿に戻って、砂塵にまみれた体を洗い流す。
約1週間ぶりの温水シャワー。
生き返りました。
そして、夕食を食べて明日の移動日なので
早く寝るよー。

81-6

食:宿の朝・昼・晩
  パン・野菜たくさん、ヨーグルト・ジュース

80

2010-11-13 07:06:23 | ヨルダン/イスラエル
80-1

イスラエル出発の朝。
ご主人が朝食を用意してくださり、
平和について、自分について、イスラエルという国について、
私達6人のためだけにたくさんお話してくれました。

昨日と同じく涙のお別れ。
また訪れます。

80-2

そして、
ドキドキの国境越えからはじまった、
イスラエル4泊5日を共にした方々ともお別れが。

もう少しイスラエルに滞在するご夫婦と、
ヨルダンから日本に帰る女の子と。

6人→3人に。

寂しいし、心細いけれど、また逢えるねーと、
再会を楽しみにしつつ・・

80-3

イスラエルは入国は大変だが出国はスムーズと聞いていたのだけど、
係員の要領があんまりよろしくないのか、
私達が並んだ列がやけにチンタラしており、
なんだかどっと疲れました。
手続き自体はどうってことないんだけどね。

80-4

タクシーで荷物を預けていた、ヨルダン・アンマンの宿へ戻り、
お土産屋を物色し、買ってしまいました。トランプ。
しかも、ヨルダンの観光地が載ってるやつ。
イスラエルでも探してたんだけど、
店の人の感じがあまりよくなくてやめたんでした。
ドボン布教するよー。

80-5

またもタクシーで、3時間ちょいのぺトラへ。
バスという選択肢もあったのだけど、
タクシーに一端座ってしまうと、
割高だけどいいかーという感じになってしまう。
3人割りカンだしね。
一人だったら何があってもバスなんですけど。
久しぶりのバックパックでの移動。やっぱり重い。

80-6

今回の宿は、夜食がやけに豪華。
むしゃむしゃ食べてしまう。
そして日本人がとても多くて、
テーブルがご一緒だった方々の面白旅話を聞いたりドボン布教。
みんなそれなりに楽しんでくれたよう。

80-7

食:宿 野菜煮込み・パン・野菜・紅茶
  チキン・ビーフバーガー
  宿 チャーハン・スパゲッティ・野菜多数。

79

2010-11-12 10:09:51 | ヨルダン/イスラエル
79-1

宿の屋上からの朝日がキレイとのことで
5:30起床。

初日の出を見た記憶がないので、
これこそイスラエルで人生初日の出。

砂埃がちょっと多いのだけど、却ってぐんぐん太陽が昇っていく様子が
まぶしくなく見ることが出来ました。

79-2

その後はタクシーで、ベツレヘムへ。イエス生誕の教会もさることながら

メインの目的はパレスチナ自治区。

昨日と同じタクシー。
コーヒーとお茶を奥様と娘さんが持ってきてくださり、
パンまで買ってくれました。

パレスチナ自治区は
エルサレムから1時間弱の場所に、「分離の壁」が四方囲まれている地帯があるのです。
壁にメッセージやアートが描かれていて、
ちょっと異様な雰囲気でもあり。

観光客も、パスポートチェックがありますが、
地元の人は、どうやら指紋をとったりして厳重みたい。

最近では3年前に戦争が起こっているのですね。

ベルリンの壁のように、引き裂かれた家族もいるそうです。

歴史ではなくリアルタイムでこのようなことが起こっているんですね。

私が見たのは安全な地域だったとは思うのですが、
エルサレム同様ゆったりとした雰囲気でした。

勉強不足でよくわからないんだけど、
家族が逢えないとか、戦禍に見舞われるとか、
そんなことはあってはならないことで、

この問題に万人が納得する答えはないのかもしれませんが、
犠牲 者がこれ以上出ないことを祈るばかりです。

79-3

皆と別行動で、新市街を歩いてみる。

ホントヨーロッパと何ら変わり無い。

アイスを食べつつ
折り紙折ったり、
猫とじゃれてゆったりすごしました。

皆は
毎週金曜日の巡礼をみたり、
嘆きの壁にて、ユダヤ人のお祈りの様子に興奮してました。
独特らしい。

79-4

明日、移動で、6人旅は最後ということでイスラエル初の外食。

宿に戻ってご主人に笑顔で
明日発つことをお話したら、
「私達は家族なのだから、また来なさい」と。

この旅ではじめて泣きました。
今でもウッとくるぐらい。

79-5

深夜までドボン(みんな飲み込みはやいー)と、
ご主人への感謝の気持ちのちょっとしたプレゼント作り。

折り紙を駆使して、
イスラエルの国旗カラーのモチーフを作ってみました。
この手のことはハッキリ言ってヘノカッパです。

まさか私の仕事内容がこんな形で活かされ様とは。とても嬉しいです。

79-6

食:昨日のカレーの残り
  パン・バナナ・揚げパン?
  シュニッツェル・シュワルマ(肉のスライス)・ポテト

78

2010-11-11 08:17:53 | ヨルダン/イスラエル
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朝食を済ませて、死海へ。

6人なのでタクシー割りカンで、ドライバーと交渉していたら
宿のご主人が通りかかり、紹介してくれる。

結局、違うタクシーを呼ぶことになったのだけど、
最初に話していたドライバーも「家族だから」と笑顔。

この交渉の間も、ご主人に対して、
近所の人たちが挨拶をされていたり、お恵みを与えていたりと、
暖かい人柄が伺えるのでした。

78-2

本日のメインテーマの一つ目は、死海。
ヨルダン側からも入れるのですが、
どうやらイスラエル側の方がリゾート地としてよいらしいのです。

泥パックを塗りたくり、
新聞読んだり、バナナ食べてみたり
お約束のポーズをとってみる。

夕方はちょっと冷え込みますが、
昼間は完全なる夏の気温。

ホント浮力がものすごいです。

浅瀬なのに足がつかずに溺れもがきつつ。

そりゃ生物生息できないよ。

死海だよ。

いやー、快適だったー。

旅で汚れた体も、塩消毒できたに違いない。

78-3

ここで、温泉にも入って、アイスを食べて今日は終了!
あとは昼寝!

・・っていきたいところではあるのだけれど、

ヤド・ヴァシェムという「名前の記憶」と名づけられた
ホロコーストの博物館に行って来ました。

アウシュビッツ同様無料。

アウシュビッツは、もちろんユダヤ人虐殺のシンボルとした上で、
ポーランドの見解が踏まえられていたけれど、
迫害されたユダヤ人の国とも言えるイスラエルで
どのように展示されているか見ておきたかったのです。

見学が夕方だったので、
閑散としていて怖いかもなーと思いきや
勉強会のツアーもちらほら見えて、
結構な人でした。

第1次世界大戦が終わって、ヒットラーが出現し、
ヨーロッパの各国で迫害がはじまり、
収容所が出来て・・と、時系列での説明と共に、
亡くなられた方の遺品や肖像が展示されています。

アウシュビッツとの大きな違いは、
映像媒体がとっても多いのです。
ヒットラーの演説、それに興奮する洗脳された群衆。

自分で墓穴を掘らされ、整列させられて銃殺される映像や。
当時者の証言。

これ、私今年の終戦記念日近辺のNHK番組で
最新の技術でカラーで見ていて、
あの時も見てられなかったけど、
イスラエルで再びみて、きちんと見なければと思ったりもしました。

日本も同じようなことをしていたのにね。

ヤド・ヴァシェムは、一見モダンな美術館と見まがうほど
広大な敷地に建てられていて、

メインの建物を抜けると、
途中子供達を偲ぶメモリアルホールがあって(5時までで今回は見られず残念)
出口までの間、
自分なりに考えてみなさいと言われているかのような
ちょっと長い道のりがあるのです。

今回時間の関係で駆け足の見学だったのだけど、
もう1回といわず、勉強してまた来ようと思ったのでした。

今度は父母を連れて。

78-4

宿のご主人に紹介していただいた、タクシーの運転手さんが
お水や軽食を差し入れてくれたり、
こちらの要望をイヤな顔一つせず、受け入れてくれて、
明日・明後日もサービスしてくれるのでした。

ユダヤ人地区にある、ヤド・ヴァシェムからのタクシーは
アラブ人地区にある、宿まで入れないからと
待っててくださったり。

これだけでも充分なのに、
お茶を飲まないかと、ご自宅に招待してくれてご家族を紹介していただきました。

なんでこんなに温かいのかもうよくわかりません。
私には出来ないなーと思いつつ、
本当にイスラエルに来て良かったー。

一緒に行くよー>父母。

78-5

夕飯は旅仲間特製のカレーライス。
日本のカレーライス。

もう、美味しくて幸せでしたー。

その後は大富豪大会。

8流しとか、スペードの3とか、
私の界隈のルールには無かったのでっていうのは言い訳だけど、
せいぜい富豪レベル。

明日は是非ドボンを伝授したいところです。

78-6

旅仲間に血液型を聞かれ、
「Aなの?」みたいな反応。

やっぱりね。いつものことです。

ありがたいことに、私の協調性の無さを
面白がって頂けているような気がします。

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今回は、ヨルダンの宿に大きな荷物を置いて移動。
デジカメの充電器を置いてきたもんで
写真が少なめ。

まずったー。

息も絶え絶えながらなんとか持ちこたえております。
もう少しの辛抱だー。

78-8

食:宿の朝食・パン・紅茶
  ビスケット
  カレーライス

77

2010-11-10 07:50:24 | ヨルダン/イスラエル
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起きてシャワー。
トルコのイスタンブールの宿しかり、ちょいちょい温水が出ないシャワーが出現。
日本の11月よりは全然暖かいのだけど
それでも水シャワーは苦行。
乾燥してるから洗濯物はすぐ乾くんだけどねー。

77-2

宿のご主人に朝食をたくさん振舞っていただき、
スタミナをたっぷりつけて出発。

キリストが死んだ場所、お墓
最後の晩餐、
昇天した場所、
審判を受ける場所・・

嘆きの壁・・など

旧市街をとにかく歩いて歩いて歩き回る。

77-3

とにもかくにも私の宗教の知識基盤は
「聖☆おにいさん」だからさー。

でも、ミラノでは、最後の晩餐どうでもいいやーとか思ってたけど、
実際の場所に行ったら
「ダヴィンチコード」読んでみようかしらぐらいにはなりました。

まあ、帰ったら最初は、ブルーレイディスクで
5万1回目のラピュタを見ると思います。

77-4

ともかく、不思議な町です。
面積的には1日で回れる街中に

アルメニア・イスラム・キリスト教・ユダヤと
居住しているのです。
で、地区ごとに、雰囲気も全然違うー。

ユダヤ人の男性は、帽子をかぶっていたり独特の髪型で、
私は、それを最初ベルギーで見て
コスプレ?って思ったものだけど、

ホント宗教ってわからない。
それがもとで紛争が起こったりもして、ホントわからない。

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そんなわけで
結局、ほぼ休憩なしで歩くこと9時間。

このがっつり感は久しぶり。

違うのはグループで行動しているということ。

私、協調性ホントないなーって旅に出てつくづく思っていて、
まあ、協調性は旅に出る前からなかったよなーとか開き直っているのですが、

一番年上なんだけど、
一番経験値もないし、
一番自由というか勝手に単独行動させてもらっております。

何回か皆とはぐれつつも、
温かく?あきれつつ?受け入れてもらっているのかなー?

もしはぐれたら、何とかするので探さないようにしてもらわないとね。

旅に出なければ絶対接点が無かったであろう、
海外の人はもちろん日本人にも出会えています。

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食:宿のパン・卵・サラダ・紅茶
  ケバブサンド
  冷凍ピザ・コーラ

イスラエルは物価が日本よりちょい高な感じ。
私はヨーロッパスタートだったのでさほど苦しくないのだけど、
それでもお金が飛んでいくなーという感じ。

しかし居心地は不思議と良い。

76

2010-11-09 06:44:51 | ヨルダン/イスラエル
76-1

早起きをして
宿でご一緒な人達とタクシー割り缶で、
次なる目的地。

22か国め、イスラエルへ。

76-2

イスラエルの、出入国スタンプがあると、
入れない国がいくつかあるので、

「ノースタンププリーズ」と言って
いくつかの質問に答えて
パスポートではなく別紙にスタンプを押してもらわなければならず、

シリアの入国スタンプがあったり
挙動不審だと、何時間も待たされるとか
恐れおののきつつ
1時間ちょい、タクシーとバスを乗り継ぎして国境へ。

76-3

ヨルダン出国はすぐ終わって、
イスラエル入国。

質問される内容はだいたい予想されていたものだったんだけどドキドキでした。

「なぜノースタンプなのか(バスでトルコに戻るためシリアを通るから)」
「泊まる宿の名前(ユダヤ系宿がいいらしい)」
「宿の予約はしているか?(してるって言ったら、証拠を見せてって言われ、
             間違えた、これから予約します)」
「どこを観光するか(ベツレヘム=パレスチナなんて言ってはいけない。
          エルサレムと答えたらテルアビブは?と言われ、
          行くって答えたら正確に答えるよう言われた)」
「イスラエルに知り合いはいるか(いない)」

などなど。

どうやら窓口の人にも恵まれたようで、

結構言い間違いがあったり、聞き返したりしたんだけど、
あまりにあまりなたどたどしさが良かったのか、
一緒に行った日本人の中で最初にスルー。

あー良かったー。

で、ご一緒した中で一人だけなぜか数時間待たされてました。
意味不明。

76-4

そして、国境からバスを乗り継いで宿へ。

今回の宿は、宿ではなくて、食事・部屋を提供する完全寄付制の民泊。

とっても温かい人柄のご主人で、
世界平和について世界中で講演しているそう。

調べたら、パレスチナ人で、ヨルダン国籍を持って、イスラエルに住んで・・と
複雑な境遇。

その関係で近隣諸国には行けないんだとか。

屈託がなくって、
国境で疲れていたら早々、食事を用意してくれて・・
そのスープが、めっちゃくちゃしょっぱかったんだけど、

それを差し引いても、
ご主人の人柄が本当に素晴らしいのでした。

寄付をケチろうと思った自分が恥ずかしいよ。

76-5

荷物を置いて、
エルサレムの、新市街・旧市街散策。

旧市街のいくつかの教会や、土産屋さんを眺めたり、
ヨーロッパと遜色ないとっても垢抜けた新市街を歩いたり、

アメリカのバックアップがあるそうでゴージャスだったり。

聖地なので欧米の観光客は熱心に礼拝していたようでした。

なんだか不思議な国です。

76-6

宿に戻って、
私はちょっと眠ってしまったんだけど、
ご一緒した方々が、先ほどのしょっぱいスープをとっても美味しくアレンジしてくださって、
温まって、
ご主人ともお話したりしました。

ホント私は物を知らないなー。
ほんのちょっとではあるけれど、色々知ることが旅で出来ているなーと思います。

76-7

食:宿の朝食;たまご・パン・紅茶・チーズ
  チョコレート・スープ、蒸し野菜

75

2010-11-08 18:43:41 | ヨルダン/イスラエル
75-0

明日以降の計画を何となく立てつつ
パソコンしつつぼーっと過ごしてます。

シリアは駆け抜けた感がありながらも
ダマスカスではゆっくり出来たんだけどね。

ちょっと観光と散策に出かけようかね。

75-1

ゆっくり起床・シャワー・朝食。
日本人の宿泊客が多いので、やっぱりホッとした居心地のよさがあって、
徒にうっかり長居してしまうような雰囲気なので、
テキパキと行動せねばーと、
周囲の人の予定を参考に
とりあえず当初3泊を予定してたのだけど2泊に変更。

75-2

ヨルダンの目的は、
何はなくともぺトラ遺跡ということで、
アンマンはプラリと観光。

スークという市場が点在していて飽きません。

そして「ウェルカム ジョルダン(ヨルダン)」と声をかけられます。

道路を渡ろうと待っていたら目だけ出した女性にも話しかけられ(多分笑顔)
上機嫌でいたら、
初老の男性に「案内してやるよ」と言われる。

今までの声かけの感じとは何となく違うし
別れ際その女性からも「気をつけてね」と言われ

「私は一人で歩きたいし、お金も持っていない」と言っても
「マイフレンド、ノーマネー」と聞く耳持たず。

5分ぐらいの膠着状態を経て
もっと案内したがってたようだけど、

「私は宿に戻る。ここまでありがとうさよなら」と言って鶴を渡してみたら

なんだよコレみたいなリアクションで

「お金ないから1ディナール(約110円)くれ」

・・やっぱりね。

もちろん

「さっきあなたお金いらないっていってたでしょ」と、振り切りました。

コレ、真昼間で人通りが沢山あるところでの出来事。

まったくもう。

危険信号は察知していたのに、
最初っからキッパリ断らないとダメだねー。

改めて私は無心の親切に恵まれていたんだなあと、気を引き締めたのでした。

75-3

地図にある図書館らしき建物の写真も撮って

何とかスポーツ用品店を探し出し、
海近辺では高そうな、水着を値切りに挑戦しつつ購入し
おまけにちょっとポップな帽子つけられそうだったけど、
荷物でかいからーと遠慮しました。

あとは切手を多めに買おうと郵便局へ。
(何しろクラックデシュバリエの絵葉書が・・)

切手売り場のブースは混雑め。

よーく、光景を想像してください。

・切手を11枚購入したくて、10ディナールあれば足りるだろうと、

「5ディナールの紙幣を2枚」渡す。

・スタッフは切手1枚と勘違いしたみたいで、

「5ディナール紙幣を1枚」返して

0.8ディナールだから細かいの持ってない?みたいなことを聞いてくる。

その間次のお客さんの対応もしつつ。

ここで私が11枚欲しいってちゃんと言えば良かったんだけど
最初無いっていって、スタッフが「ちょっとまって崩すから」みたいな間に
私が「あったわー」と、
つい「1ディナール紙幣を出ししまう」

・でこの後、あと10枚希望して
8ディナールと言われ、
「10ディナール紙幣を1枚出して」お釣をもらう。

・・もしオヒマでしたら、図に描いてみてください。

「5ディナール紙幣1枚」どう考えたって、私返してもらってなーい。

なんかおかしーなーって思いながらも、一端外に出て
やっぱり引き返して、
図に描いて説明。「あたし返してもらってない」と。

スタッフは、まあ、「返した」っていう行為自体はしているから
「返したじゃないですか」って感じ。

そしたら周りのお客さんも何もめてるんだって入って来て、

あーもーめんどくさいー。と、あきらめて出てきてしまいました。

本当ならレジ精算して確かめてほしいところだけど、
まあ500円ちょいの話だしね・・

スタッフに悪気はないわけだし・・

で、詳細にこのことを書いてしまう自分が嫌だーと思ったりするのでした。

せめて、今日レジ締めるときに、あーあのジャパニーズは間違ってなかった・・と思ってほしいよ。
とかちまちま思う自分が嫌だー。

その程度の無駄遣い、今まで腐るほどしてるのにね。

75-4

そんな想いを抱えつつ歩いていたら、
3日前、ダマスカスの宿で一緒だった、韓国人の女の子とバッタリ。

近くの宿に泊まってて次の地へ行くとか。

日本人以外と再会するのははじめて。
これもまた嬉しい。


75-5

明日行動を共にする方々と夕飯。
おいしいし安いし。
話も聞いていて楽しい。

みんな若いのにいろいろ勉強していて、すごいなーと感心しきり。

日本をコンセプトに活動しつつご旅行されている格好良いご夫婦のサイト。

見習わなくてはね。

75-6

おすすめのジュースやスイーツを教えてもらって
並んでいたら、
女が並んでいるのは珍しいのか、お客さんがスタッフに言って順番を早くしてくれたのでした。

イスラム教の五行の教えのなかに
観光客に優しくすると徳が高くなる、みたいなのがあるそうで、
宗教が根付いているのだなーと。

75-7

宿に戻ったら、名物スタッフのルアイさんが!
水やコーヒーの大盤振る舞い。
ルアイさんがいるから、この宿にする人が多いそうです。

(ちなみに、元祖のサーメルさんは、日本人女性と結婚して日本在住だそうな)

この人かー。

75-8

昨日のクネイトラの話。

「イスラエルの残虐行為を忘れないために修復しない」ってよく考えるとすごくない?
隣の国だよ?

日本に置き換えると
「アメリカの残虐行為を忘れないために、広島・長崎を修復しない」って考えると・・

シリア人に2回、広島・長崎のこと言われたもんねえ。後遺症の話とか。
アメリカ嫌いなんだよなー。

ってことは、中東怖い怖いっていうのは、確かに怖い場所、もちろんあるけど、
マスコミのネガティブキャンペーンもあるのかなあとか思っちゃう。

少なくとも、私が通ってきたシリア・ヨルダンは今のところとても優しい国です。

クネイトラは
アクセスはあまりよくないけど、アウシュビッツ同様、交通費以外はかかりません。
観光気分では行けないけど行って良かったな。

75-9

食:宿の朝食・パン・紅茶・卵・チーズ
  乾麺・ローマから持ち歩いていた玉ねぎ・カレースープ。
  エジプト料理?肉・魚・米・スープ
  チーズのスイーツ、100%ジュース。

満腹満足。食べ物が美味しい国は良い国です。

74

2010-11-07 06:06:56 | トルコ/シリア
74-1

早起きして
宿で同室だった日本人女性のよっぴーさんが行くといっていた
クネイトラという場所に
ご一緒させてもらうことに。

クネイトラという場所は
度々イスラエルとシリアとの国境争いの場となり
1974年に
イスラエルの爆撃を受け、残虐行為の記録として修復することなく公開しているそうです。

まず行くためには、
市街地から離れて高級住宅地っぽいなかの内務省クネイトラ事務所に行って
入域許可をもらわなくてはならず、

途中図書館が見たくなって、バスで行ったらよいものを、
歩いていきたいという私に、にこやかによっぴーさんは付き合ってくれたのでした。

74-2

1時間ちょい歩いて、許可をもらって
そこからバスを2回ぐらい乗り換えて1時間半ぐらいでクネイトラ。

とにもかくにもアラビア語が読めなくって
セルビス(乗り合いタクシー)の乗り方もままならず
一人だったら完全路頭に迷っていたところを
よっぴーさんがテキパキとナビゲート。

クネイトラに到着して、
ガイドのおっさんとセルビスのおっちゃんが結託して
特別に車付きのガイドだから
300円払え!と言ってきたところを
100円に値切ってくれて、
ありがたいことでございました。

74-3

さて、このクネイトラ。

クネイトラに限らず、軍人率が高くって普通に銃構えてます。
そして、クネイトラに入ると
カジュアルな普段着で銃構えてます。

この人たちは、本気になればズドンといけるんだーとうっすら思いつつ入域。

警察とか国境とかは写真NG。

瓦礫が延々と続くのです。延々と。
蜂の巣になっていたり。

これ・・
今は瓦礫と砂埃だけど
その当時は人もいてすんごく血生臭いことになってたのかもと考えると
ほんとすさまじい。

もしこの写真をイスラエル国境で見られたら入国できないだろうねーなんてな感じで。

よっぴーさんに教えていただかなければ知らなかった地でした。
行って良かったです。

74-4

そして今日はシリア抜けをしなければいけない日でもあり、
ここまでの行動は、バックパックをガラガラ運びつつ。
クネイトラのバスターミナルでは預けられたけど、重いー。

そして、次の国、ヨルダン行きのバスの出発時間と
クネイトラからバス乗り場に着いた時間がほぼ同じ。

よっぴーさんとのお別れのあいさつもそこそこに

バス会社の人に「マイフレンド ハリーアップ~」って言われて切符手配して
無事乗れました。

これを逃したら、乗り合いタクシーだったからねー。

でも結局30分ぐらい遅れて発車したんだけど。

74-5

そそくさと空席に移動して
爆睡しつつ、
出入国を済ませ、
4時間ってガイドに書いてあったけど6時間ぐらいかかって

21か国め ヨルダン・アンマン到着。

あんなに緊張したのにシリアあっという間に抜けなきゃならないとは・・・
セクハラ攻めには遭いましたが、
もっとじっくり訪れてみたい国です。

その時はきちんと日本でビザとるぞー。

74-6

アンマンは真っ暗で
宿まで行くにはちょっと心もとないのと
偶然、共にシリア入国をした男性がバス一緒だったのでタクシー割り勘で
宿近辺へ。
何回か人に聞いてようやく到着。

マンスールホテル。

別名コーダホテル。

イラクに行って亡くなった香田さんにちなんで名づけられた宿で
お客さんほぼ日本人。

カッパドキアもそうだったけどほっとしつつ、
甘えていられないと思いつつ。

つくづく色んな人がいるなーって感じです。

あー、疲れたー
腰も若干やられ気味。

明日はちょっと休もう。

74-7

食:クリームパン
  サンドイッチ・コーラ・ポテト
  ウエハースチョコ・ジュース

73

2010-11-06 08:51:48 | トルコ/シリア
73-1

ダマスカスのネットカフェにて。
今日は1日歩き回り。

ネット事情がよくわからないので、
更新が滞るかもしれませんが、あまりご心配なさらぬ様。

73-2

ダマスカスには旧市街と新市街があって、
スケールもちょうどよく、何より、客引きもほぼないので
ゆーったりと周ることが出来ました。

観光客ありきじゃなくって、
きちんと生活に根付いた商店街なんだよねー。
イスタンブールのバザールとかは、
あんまり地元の人行かなそうな感じだったけど。

73-3

ハンドクラフトセンターで猫や子供を撮ったり
ネットカフェに行ったり、のんびり。
アレッポより都会なだけあって、
日本人珍しい!って感じもなく、居心地が良いのです。
一昨日の日記に、貧困を抱えた国と書いたけれど、
貧しい・・のかもしれないけど、
笑顔が多くて、困ってるのとはちょっと違うのかもなあ。
私が見た部分に関してはね。

73-4

イスラムの女性は、ショールやガウンを羽織って、
肌を極力露出しないのだけど、
今までは全員同じ感じなのかなーと思ってたんだけど、
よく見ると、ショールの柄やガウンのデザインが様々でなかなかお洒落。
若い子はメイクもばっちりだし。
アクセサリーをよーく眺めているところを見ると、
家や、ガウンの中は結構派手だったりしてねー。

それにしても、首から上が顔しか露出してないんだけど、
その髪型でごまかせない状態で綺麗って結構すごいことだなあと。

73-5

今晩は相部屋に移動。
日本人女性と一緒。細かくじっくり滞在していて、
明日行く場所の話を聞いていたら、行きたくなってしまい、
ご一緒させてもらうことに。
シリアいいところだから、もっといたらいいのにーと言われ、
ホントそうしたいのは山々なんだけどねー。
彼女もトルコのガイドに相当セクハラされたそうな。
中東圏おそるべし。

73-6

昨日同様、宿のスタッフやお客さんと夕飯・お茶・水タバコ。
フルーツとかもりだくさん振舞ってくれるのはうれしいんだけど、
客の親父に
「何もしないから、君の部屋よりこっちの方がいいから、移動しなよ」
としつこく言われ、

ラッキー!お言葉に甘えて・・・

なんて、するわけない。

ノーノーときちんと断りましたよ。もちろん。

その親父は妻が二人いるんだってさー。
シリアは4人までオッケーとか。お金ないとできないらしい。
3ベッド占有してたみたいだからきっとお金持ちなのでしょう。

・・にしてもふざけんなー。

73-7

食:アイスクリーム
  サンドイッチ
  ヌードルスープ
  バナナ・みかんフルーツ多数

72

2010-11-05 08:39:44 | トルコ/シリア
72-1

トランジットビザなので、
シリア滞在許可日数が3~4日間。
観光しつつ移動しつつの急ぎ足のスケジュールに。

ナギサちゃんや一緒にシリア入国した子達は
パルミラ遺跡をみてから、レバノンへ行ったり、ヨルダンに直行するそう。

私はと言えば、
レバノンに入ると、再びシリア再入国で緊張しなければならず
(1回入ってるから大丈夫だとは思うんだけど)
パルミラ遺跡やレバノンよくわからないし・・
ってことで一人別行動をとることにしたのでした。

72-2

アレッポは石鹸が有名らしいですが、
昨晩ちょこっと見ただけで、早朝に出発。
何せ時間がない。
国境によっては4日超過でも大丈夫というか、
出る分には咎められないって話もあるけど、これでソワソワするのも嫌だしね。

宿からやたら陽気なタクシーに乗りバスターミナルに行き、ホムスまで2時間。

72-3

ナギサちゃん達はホムスからパルミラ行きのバスへ。
私は、ホムスから1時間ぐらいのところにある、
クラック・デ・シュバリエに行きたいのでウロウロしていると、
シリア人の皆様が案内してくれる。

すると、シリアはイスラム圏なので、金曜日が休日。
クラック・デ・シュバリエ行きのミニバスの運行が殆どなし。

あーらら。

シリアはバス代がめっちゃくちゃ安いので、
(タクシーの初乗りが8円
 アレッポ~ホムス間、2時間、160キロくらいで、250円ぐらい)
効率は悪いけど、一旦目的地まで行って明日また来るかーなんて考えていたら、

タクシーで行かないかとドライバーのおじさんに持ちかけられる。
おじさん曰く、クラック・デ・シュバリエまで往復で2000円(片道1時間)。
見学している2時間、荷物は預かる。
待ち時間のお金はタダ。

ミニバスなら往復200円で行けるよなーと思ったんだけど、
明日のタイムロス(4時間)にならないし、
荷物も安心だろうし、
ドルで払ってもいいって言うし(レートも宿で替えた時より良心的)
ガイドブックに、相場は片道2000円と書いてあり、
ホントお得なようなので、
まあ、いいかーと、タクシーで行くことにしたのでした。

72-4

ここでナギサちゃんとお別れ。
彼女のおかげで助かった局面がたくさん。
彼女はすっごく頼もしくて、心強くて、この先心細すぎるんだけどがんばるぞー。
またどっかで逢えるかもね。

72-5

タクシーのおじさんは、鼻歌を交えつつ
写真ポイントでは停まってくれたりにこやかで親切。
子供が4人、皆10代。46歳。もっと上に見えるー。
タクシーは若干ボロいけど、
家族を食べさせて、
毎日客を掴むのに大変なんだろうなーとうっすら考える。

そんな同情してたらキリがないんだけど、
なんだかよさげな人なので、
このタクシーにして良かったなあなんて思ったりして。

72-6

そしてクラック・デ・シュバリエ到着。
ガイドブックには入場料300円って書いてあったけどそんな気配はなく
大丈夫かなーと入場。

ここは、
1144年に建てられて、ラピュタのモデルと言われているのです。
私が思うに、
ロボットが暴れた要塞とか、ラピュタの上の城部分のイメージだね。
とってもよく出来たお城だと思います。
何回も迷ったし。

72-7

中をなーんとなく歩いていると、
ハガキ・ガイドブック売りの青年が案内してあげるよーと近づいてくる。
なんだかなー、と思いつつ、
観光客たーくさんいるし、もしもの時は叫んでやると説明してもらう。

すると、暗いところとか人影がないところになると
(城の中ですよ。ホントにお客さん沢山いたんですよ。>父母)
危ないからと手をとったり、やたら体を寄せてきたり。
人が通ると、さっと離れる完全なる確信犯。

中東のセクハラ来たー。
イスラム圏の男女交際はなかなか厳しいのだけど、
相手が異教徒となると結構なセクハラ攻勢があるらしい。
特に日本人女性はあまり抵抗しないし、みたいな。

過度の時は払いのけつつ、
指輪をしていたので、結婚していると答えると、
「じゃあ、僕は、シリアの1時間だけのボーイフレンドだね。」

・・こいつ・・すっげー慣れてる。

その後タクシーはどうする?とか、どこに行くとか聞かれたけど、
タクシーは決まっているし、南下すると答えると
あっさりと引き下がりました。

セクハラはそりゃあ嫌だけど、
ホント、一人では絶対足を踏み入れなかったであろうところを
タダで隅々まで案内され(何せ内部構造は熟知でしょうから)
タダで売り物のポストカード12枚組ももらったし、今回はまあよしとしよう。

最後に写真とってやるーと、持ちかけたら、
僕写真嫌いだから、スルー。
やっぱり慣れてる。こいつ。

72-8

一昨日の車乗りにしても、
セクハラにしても、
父母の心臓に負担がかかるエピソードが
この先ヨーロッパにいた時よりちょいちょい出てくると思うのです。

いい感じに隠して書くことも出来るけれど、
このブログは私の記録でもあるし、
やっぱりありのままを書いていこうと思うのでした。

逆にさくさく書けるぐらいの時は心配ないよ>父母。

そしてシリアからは多めに絵葉書が届きます。
届いた方は、これかー、と笑ってください。

72-9

帰りに銀行に寄ってもらって、ホムスの市街地も教えてもらって、
バスの切符売り場まで教えてもらってタクシーのおじさんとはお別れ。
気持ちよく観光できました。
やっぱり、バスと、車の助手席の風景や乗り心地は違うねー。

72-10

ホムス~ダマスカス行きのバスへ。
座席番号やら文字がアラビア語。
まーったくわからん。
切符売り場の人が、同じバスに乗る人に頼んでくれて誘導してもらいました。

2時間後到着して、
バスターミナルから、市街地に出るためにミニバス(20円!)に乗る。
しかし、どれに乗ればよいのやらウロウロ。
これかーって思って乗ってみたら、1000円だと。
間違えたらしい。
いやいや、違うーって、オドオドしてたら、
周りにいた人が寄って来て、アレに乗りなーと教えてくれる。

財布を開いて、どのコインが20円だかわからずオドオド。
周囲のお客さんが教えてくれる。

バスから降りて、さてどちらに向かえばよいのやらウロウロしてると
周りにいた人が教えてくれる。

シリア人ホント優しいです。

72-11

宿に到着。相部屋が埋まっているので、シングル料金1200円。
今までは相部屋でその位の値段だと安い部類。
はじめての寝台列車以外での一人部屋。

持ち金がギリギリなので宿の人にATMを教えてもらったけど
なぜか私の持っているカードは受け付けず、
地図を頼りに市街地らしいところまで行ってみる。

5時ぐらいなのに暗くなるのが早いー。
そして金曜だから店もあんまりやってないからより暗いー。

何度か交通誘導をしている警官に聞いて、
別のATMにたどり着いて、お金ゲット。

シリアに来て旅始まって、いちばんATMに困ってるね。
アレッポでもいちばん普及しているATMはVISA使えなかったし。

72-12

宿に着いていちばんやりたかったのが洗濯!
宿も干す場所を提供してくれるってことで決めました。
ジャブジャブ洗って、
もう今日は寝るだけだーと思ってると、
宿のスタッフや、客の女の子達とお茶しました。
なかなか気さくな宿な感じです。
夕飯やリンゴも分けてくれたし。

72-13

覚え書き。
なぜ韓国の子はスムーズに抜けられるのか?
→ 韓国にはシリア大使館がない。無い場合は国境で取るしかない。
→なぜ韓国にシリア大使館がないのか?
→シリアと北朝鮮が仲が良い。なので韓国としてはあまり仲良くできない。
なんだか微妙。北朝鮮と韓国の関係が悪くなったら、シリア入りもどうなのやら。

日本にはシリア大使館があるので、
今度シリアに来ることがある時は、絶対日本で取ろうと思ったのでした。
今回のシリア入りで、つくづく、日本はアメリカの属国なんだなって感じ。

72-14
食:ビスケット・100%ジュース
  ピザパン・菓子パン・トマトの煮込み。

71

2010-11-04 05:25:23 | トルコ/シリア
71-1

夜行バスでカッパドキア(ギョレメ)→アレッポ。

アレッポとはシリアの一都市。
そう、20か国め、シリアに入れるか否かで
ここ1週間はこればっかり考えていたのでした。

71-2

夜行バスは、20:30発でギョレメからほど近いカイセリまで3時間ちょい、
バスの出発時間がちょっと遅れてソワソワしちゃって笑われる。

カイセリに着いて1時間ちょい待ち合わせで
24時発の、トルコ国境近くのアンタクヤまで7時間ちょい。
ここで、バスが故障とかで3時間待ち合わせで、
市街地をまわって来いと言われ、
アンタクヤの町並みをちょっとだけみて、
ロカンタ(軽食堂)で小腹をみたしました。

素朴な街で、こんなトラブルがなければ立ち寄らなかった街だから
得した気分でもありつつ、
もし入国拒否だったらこの街に帰ってくるのはちょっとなーと複雑な気分。

バスはメルセデスベンツ製だったりして
テレビもついて居心地よし。
そして隣の席も占有できたのでホント助かりました。
腰痛もさほどでもなくゆったり。

71-3

ナギサちゃんが読書家ということで、
そういえば、私の電子辞書に文学作品が結構入ってるよーと話したところ、
喜んでいる様をみて、
私も「赤い靴」「ヴィヨンの妻」を読みました。
折角だから旅の間に読まないとね。
荷物にもならないんだし。

ちなみに電子辞書。
昨日のトルコ語しかり、辞書機能はもちろん
数独・漢検・百科事典など活用しております。

71-4

本来なら、ビザは居住国で取るもので、
日本のシリア大使館などに行って取らなくてはいけないものなのだけど、
近隣の国のシリア大使館・領事館や国境で
さほど難しくなく取れて入国できていたのです。

今までは。

しかし、ここ数ヶ月は、近隣の国でのビザ発行は、在住者のみ。

そして、ここ数週間は、国境での取得不可で入国できず引き返した日本人多数。
(トルコ側からもヨルダン側からも。
 思うにヨルダン側の方が厳しい印象)

いっそのことイエメンに飛んでしまおうかとか思ったら、
爆発物事件とか、
通れない可能性はゼロではないのだから、
賄賂も想定に入れてとりあえずアタックしてみることに。

71-5

このアンタクヤ → アレッポのバスの途中で
いよいよ、入国の可否が決まるのでした。

他にも日本人男性2人と韓国人女性が1人。
中国人韓国人は問題なく入国できているので、
同じグループだよーという設定で行かせてもらうことにして、
バスの中で渡された入国カードや滞在日数を統一。
バスの中で文字記入なのでもちろんバス酔い。

そしてトルコ出国はスムーズに終わって
シリア入国審査・・・バス酔いも緊張で終了。

バスのスタッフが、ノービザの客の分を取りまとめて入国審査官へ。
韓国人の女の子は問題なくスルー。
残されたのはカナダ人男性と、日本人の私たち。
カナダ人の彼は、昨日入国拒否で再挑戦とのこと。

すると、バスのスタッフが「学生って言え」と。
私カードに職業書いちゃったけどー、と思いつつ

入国審査官「職業は何だ?」
私「学生です」
入国審査官「お前は違う」
バススタッフ「学生だよー」

日本人のなかに学生は誰もいなかったけれど全員学生。
それでそこは通過したみたい。

どうやら、入国審査官とスタッフで事前の了解があったような気がする。
入国管理官もノリがいい感じ。
私のオドオド顔の真似してたし。

オッケーなの?と心躍らせて
ビザ代24ドルを払いに銀行に行くと何やらスムーズにすすまず、
再度入国審査窓口へ呼ばれる。

この時点でカナダ人の彼は別室に呼ばれたりして
入国拒否となり、逆方向に係員に連行されて行ったのでした。
辛い。一人だし。
国境沿いは本当にさびしいし。

私達に対しては、通常の観光ビザは出せない。
トランジットビザ(3~4日)なら出せる。
ってことで無事にビザ発行。
バススタッフが、24→8ドルの変更もしてくれて16ドル払い戻し。

その後もスタンプ押すのにもたもたしたけど、
何とかかんとか通過出来たのでした。

71-6

20か国目。シリア。

よっしゃー。この旅ではじめて嫌な緊張をしました。

私たちに関しては、
韓国の女の子とはすぐ離されてしまったので
同行するという事前設定はあまり効果がなかったような。

というか、バス会社の人が、パスポートを取りまとめて、
面倒見てくれたってのがとっても大きかったのかなと思います。

旅ブログ徘徊しててこのパターンはなかったような。

ちなみにバス会社は
ギョレメ→アンタクヤは「suha」
アンタクヤ→アレッポは「JET」でした。
後者は本来のタイムテーブルでも「JET」だったかは不明。

ホント、バススタッフ・入国審査官によると思う。
問題なく観光ビザ取れたパターンもあるみたいだし。

運だね。

そして日本人だけじゃないんですね。

カナダ人の彼しかり、
カッパドキアで会ったアメリカ人は、
イスタンブールに戻ってヨルダンに飛んでいたし。

今近辺にいてシリア入りを考えている方の健闘をお祈りします。

71-6

入国も出来たし、一件落着!

と思いきや、途中で降ろされ、無料バスに案内される。
手を尽くしてくれたバススタッフとお別れしつつ・・・。

その無料バス。バスっていうかワゴン。

ドライバーの親父が開口一番。

「俺は、ギャラをもらってない。金払え」

地元の人はなんだか払ってるけど、
チケット代を既に払っている私達は納得できず抗議。
ボスっぽい人に電話で説明するもなぜか途中で切れる。

すると、車が停まって
「金払わないんだったら降りてバスで行け」

なんじゃこりゃーと思いつつ、
「警察呼べ」とか抗議は続行していたのだけど、
一応いくら払えばよいか聞いてみたら・・・

「1人2ドル」

2ドル・・・=160円でヤクザのような脅し・・
シリアって一体全体・・

拍子抜けした旅行者はさっさと払ったのでありました。
きっとこーゆー悪循環が続いていくのですね。

ヤクザドライバーもお金を払ったとたん妙に親切。
そしてアレッポに到着した途端、バスに人が群がって
なんじゃこりゃーって思ったんだけど、
何のことはない、旅行者目当てではなく
バスに乗りたかった人たちだったのでした。

71-7

シリアの町、アレッポはちょっと雑多な感じはありますが、
道行く人がニコニコと笑いかけてくれて、
道に迷ってると声をかけてくれて、
入国やヤクザドライバーの緊張をちょっとやわらげてくれたのでした。

そして、共に入国できた仲間と宿を決定して、
昨日開店したっていうケバブ屋さんで
ご飯を食べて、
イスラムの戒律がトルコより厳格で、
外でアルコールを飲むことがないそうで、宿でビールで祝杯。

長い1日だったよ。

71-8

食:ビスケット・スナックなど
  ロカンタで、野菜と肉の煮込み。
  チキンケバブ・サラダ・コーラ・ビール

夕飯で食べたお代より、
ヤクザドライバーの請求額は少ない。
彼がどうこうではなくそんな貧困を抱えた国なのでしょう。

70

2010-11-03 22:56:47 | トルコ/シリア
70-1

気球に乗ってしまいました。

ナギサちゃんの素晴らしい交渉術により、120ユーロが100ユーロ。
ありがたいことです。

5時集合だったので4時半起床。
真っ暗。

写真をたくさん撮っていますが、
星空だけはきちんととれないのが悔やまれるくらい、
すばらしいです。
空が近い。

お菓子とかお茶が出たりして
楽しく待って、いよいよテイクオフ!

カッパドキアは
下からの風景もいいけど、上からの風景もいいです。
無数の気球のなかに自分がいるんだなーと。

風にのって上下して、眠気寒気も吹っ飛ぶ至福の時間でした。

その後は、みんなで気球をつぶして
証明書をもらって、シャンパンを飲んで、これまた至福。

70-2

宿をチェックアウトして、
バスの時間(8:30)までは、一人で有名どころをひたすら歩くことに。

ここ数日、バスやらツアーやらでまともに歩いておらず、
食べてばっかりだったしね。

話を聞くと、推定20キロぐらいかなー、
ちょっと大丈夫かなーと思いつつ、
まあ、8:30までには戻れるだろうと、
楽観視して、ルートを同室の子に確認して出発。

70-3

まず最初の目的地は、ラクダ岩。
そのために、まず一本道を看板が出てくるまでひたすら歩けと。

このひたすらちょっと歩いた時点で少し心が折れる。

ここ1週間はがっつり一人ってことがなかったから、
一人モードになかなか切り替えられななかったのかも。

すると、車が一台停まって、

おじさんがラクダ岩まで乗せてくれたのでした。

「ラクダの前に、もう一つ名所があるんだ」と、
面倒そうだからスルーしようと思ってたローズバレーまで。

いい人だったー。鶴をさしあげました。


・・なぜか、ズボンのチャック空いてて丸見えだったけど。

70-4

次なる目的地は、3人娘の岩。
石がチョコンと乗っていて、まるでエリンギの様。

途中何度か道を聞きつつ遠くに見えて来たときはテンション急上昇。

普段はバスツアーの途中の行程にある場所で、
岩がある下に降りる人がまったくいないなか、

あえて下から登ったら、警備らしき軍人さんが手を差し出してくれました。

日本語上手だし。
お茶しないかって言われたけど、丁重にお断り。

軽いぜ。軍人。

歳を聞かれてつい5歳サバ読んじった。

70-5

私的な目的地は見終えたので
あとはひたすら宿へ向かうだけ。

時間はたっぷりあるから、安心だけども、
ちょっと暑いなーと思いつつ歩いていたら、

トラックが一台停まって、
おじさんが途中まで乗せてくれたのでした。

しかも英語が話せるスタッフに電話してくれて、
この後の道を説明するように頼んでくれたのでした。

父上が持たせてくれた、電子辞書のトルコ語で
お子さんが二人いることがわかったので風船犬を進呈。

いい人だったー。

70-6

そんなわけで、思わぬヒッチハイクで、
同室の子も驚くぐらいの早い到着。

夜に備えて、トルコリラを消費したり。
写真を整理したり今日の活動を振り返りつつゆったり過ごすのでありました。

70-7

昼間だし、もしもの時はデジカメで殴打して逃げよう!と思いつつの行動なのだけど。

ビジネス目的以外で優しくされるとホントに身にしみます。

どちらのおじさんも英語をあまり話せないなか力になってくれようとしてくれて。

痛恨はお二人の写真を撮り忘れたことだー。
向こうも仕事中だったし、私もいっぱいいっぱいだったしさー。

それ以外にも一人で歩いていると、ホント笑いかけられることが多くて、

カッパドキアは暖かい街だなー。
大好きだーと思ったのでした。

70-8

そして夜は、
ドキドキの国境越え。

旅先で知り合った人の情報だと
最近は普通に通過できているみたいなんだけど、どうなることやらほんとに。

あー、旅はじまって初の嫌な感じのドキドキだー。

70-9

食:宿の朝食(パン・紅茶・野菜・フルーツ)
  バナナ・ビスケット

69

2010-11-02 16:01:23 | トルコ/シリア
69-1

朝起きたら、

気球が沢山あがってました。

聞いてはいたけどコレはすごい。

やばい。見るだけでいいって思ってたけど。これは乗りたい。

69-2

宿の朝食は、パン・野菜・フルーツ盛りだくさん。
他にもヨーグルトやらデザートやら、
今までの旅でいっちばん豪華!

もちろんモリモリ食べてしまう。
昨晩レストランでお持ち帰りした分もモリモリ。

そしてさほど動いてない。
やばいなあ。

69-3

今日は1日バスツアー。
カッパドキアというのは、総称で、
見所はいろんな街に点在しているので、
このようなツアーで周るのが主流な様子。

絶景ポイントやら博物館やら、地下洞窟やら
スターウォーズのロケ地と言われているところやら、
ランチ付きで盛りだくさんで周りました。

岩山を掘って水をかけてかためて、

そもそもは宗教上の迫害を受けて逃げるために作ったとか

面白半分で作られたものではないのですね。

すごーい、かわいーでつい終わってしまうけれど。

69-4

その後はナギサちゃんと同室の男の子とディナー。
昨日のお店が美味しかったのでまた行ってしまいました。

明日次の国に発つのです。

入国できればね・・。

できなかったらイスタンブールにリターンかもー。

そんなの嫌だー。
絶対嫌だー。

トルコ最後の夜であること願ってビール飲みました(こじつけ)

69-5

その男の子が
母特製の梅干についてとっても嬉しいこと書いてくれてます。

お読みください。

69-6

食:宿の朝食・パン・フルーツ・紅茶・デザート
  ツアーの昼食・チキンのキャセロール・サラダ・スープ
  ピザ・魚・シチュー・ジャガイモの煮込み

うーん。食べすぎだー。明日はがしがし動くぞー。

68

2010-11-01 18:37:47 | トルコ/シリア
68-1

7時発のミニバス・バスを何度か乗り継いで

昼前にカッパドキア到着。

すんごくのどか。

ホントに家だ。
可愛い。

そして抜けるような青空。

これは楽しげなはじまりだ。

とは言え、薬飲んだけど腰が辛いので
ボチボチ様子みながら行動しまうす。

68-2

バスの中で、先日おじゃました日本人宿で
ちょっとお話した、カップルの方、

宿で、私がここ数日ビザのことについて調べていて
よく読んでいたブログの人

バスチケットショップで、
トルコを周遊している女性、

結構出会いがポンポンとあったなかで、

なんと、
最初パリ、次ローマの宿で一緒だった人
またしても3回目の再会。

メガネ外してたからすぐには気付かなくて、
ルートの話してたら、
なんか聞いたことあるーってなって、

「あれ・・?
 
 もしかして・・・
 
 ちょっと待って?
 
 ・・・あーー!!」って驚きでした。

こんなこともあるんだねー。

68-3

野菜を食べたくなって、野菜スープを作ろうと、
駅のインフォメーションに聞いてみると、

なんとカッパドキア、なかでも拠点とされるギョレメ。
スーパーマーケットがなくって、

八百屋さんも微妙な品揃えと鮮度だったんですが、
まあいい感じのスープが出来てごくごく。

つくづく定期的に野菜食べようと決意。

68-4

明日主要なところはツアーを申し込んだので
近場を散策。

ナギサちゃんと写真のとりあい。

二人旅はコレが気安くできてよいですね。

特にカッパドキアは撮る側との距離はなれるし。

68-5

そして、先ほどバスチケットショップでお話した女性が、
夜行で次の地で行くというので
それまでに是非・・と、夕食をご一緒。
トルコっていうか韓国な感じの料理で。

楽しかったー。そしてトルコ1美味しかったー。

そしてイスタンブールでナギサちゃんと同じ宿、
もっとさかのぼると留学先がニアミス。

世界は狭い。

旅をしていて、
あー、あの時話しかければよかったーとか、
連絡先聞いとけばよかたーとか
度々思ったものだけど、

今はそんな後悔はしないようにすんなり言えるようになりました。

その後具体的にどうつながるかはわからないけれど、
その時にその後のつながりを持っていたいという想いがあったことが
大事なのかなと。

68-6

今日の宿は、宿泊者全員4人日本人(男二人・女二人)
日本人宿でもないのに。

そして、皆世界一周。

すごい。こんなことはじめてー。

そんなわけでワイワイと盛り上がりました。

梅干あげたらやっぱり喜ばれたよ>母。

私はまだ、そんなには梅干恋しいとかないけど、
まああるから、却って食べないとかだけど、

食べる人のリアクションを見ると
大事にしなきゃなーって思ったり。

どこかで送ってもらおうかしらね。

今タッパ半分くらい。

その中の一人の発案で、
これからは一筆感想書いてもらうことを条件に梅干をあげたらと、
「梅干寄せ書き」をやることに。

イギリスでのナギサちゃんも入れて、
素敵なメッセージがきざまれることでしょう。

68-7

食:ビスケット・宿のフルーツ・紅茶
  野菜スープ
  ピザ・煮込み・ビビンバみたいなやつ。