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2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

362

2011-08-22 22:54:21 | カンボジア
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曇天続きのシェムリアップ。

なかなか朝日を拝むのが難しいらしいなか、
昨日は無事拝めたそう。

昨日が大丈夫なら今日もイケるかもと
4:30起床で、トゥクトゥクでアンコールワットへ向かう。

3日券てのを購入してて、
アンコールワット、バンテアイスレイと使ったので(ベンメリアは別売)
最初で最後の朝日チャンス。

結果…大曇天。

またの機会ってことかしらね。

朝5時だってのにお客さん多かった。

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そんな早朝労働を済ませ、朝食後バスで次の地へ。

カンボジア出国。

ラオス、ベトナムと負の遺産巡りの様相が少しあり、
カンボジアでまた重くて
気持ちが滅入ってしまうこともあったのだけど、

温かい国でもあった。

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一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」読了。

アンコールワットで捕らえられ処刑された、
カメラマンの記録。

カンボジアの内戦をつぶさに見た日本人の一人。

ベトナムの戦争証跡博物館に、
弾丸で打ち抜かれたこの方のカメラが展示してあった。

平和を願うメッセージが綴られているものと思ってたら
全く違った。

明るい人柄をうかがわせ、
惨たらしい状況なのに、
表題に代表されるように、どこか飄々としてて、
危険を省みず突き進んでいく姿が、
常人の感覚とは思えず信じられなくもあり、
ジャーナリストの業のようなものを感じた。

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最後の長距離バス。

約3時間後、最後の陸路国境越え。

タイに戻った。

タイに入った途端、
セブンイレブンが出現し、
素朴な街並みから様子が変わる。

そう言えば、私が訪れたタイ以外、
ラオス、ベトナム、カンボジアは親米ではないと思われ、
マクドナルドも無かった。

久しぶりの色々と過多な資本主義。

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そこから約5時間後、バンコク到着。

以前泊まってた宿のエアコン付に直行して決定。

3年半の福島生活にて
エアコン無しの強靭な肉体になったつもりだったけど、
インド以降のアジアですっかり冷房人間に戻ってしまった。

バンコクは、先の滞在でめぼしいところは行ったので、
ラストスパートだらだらの予定。

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食;サンドイッチ、パパイヤサラダ、グリーンカレー、ビール

画像はカンボジア-タイ間の国境ゲート。

感傷的とまではいかないけどいちいち感慨深い。

361

2011-08-21 22:55:23 | カンボジア
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トゥクトゥクで片道2時間。
ベンメリアへ。

ここもまたラピュタのモデルとか何とか。

実際、ラピュタ上映時は地雷ばっかりで
宮崎駿氏は知らなかったんじゃないか?という説も。

そんなことはどうでもいい。

行ってみてラピュタっぽいなら。

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ベンメリアは、先日のタプロームより
ずっと広くて、
内戦時の瓦礫具合が半端無いという場所。

曇天続きだったシェムリアップも、
今日は青空で、
ベンメリアの苔と陽射しのコントラストが素敵だった。

写真だとわかりずらいのが残念。

ガイドブックではあまり紹介されてないけど、
ラピュタの件もあって
旅人は絶対すすめるベンメリア。

納得。

そして案内人のお姉さんが、

え?そこくぐるの?上るの?
大丈夫なの?みたいな具合で
ついて来いと、瓦礫やら塀やらひょいひょい。

何だかまさかのアドベンチャー。

確かにお姉さんいなかったら足を踏み入れなかった場所。

若干高いような気がしたけど、楽しかったからまあいいやとガイド代を払う。

ラピュタ的には、私のなかでは
ラストシーンの、シータが「開けてー」ってあたりから。

361-3

3日間同じトゥクトゥクのドライバーだったのだけど、
終わり間際、3日間仕事をくれてありがとう、と言われる。
日本語で。

いやいや、とんでもないと恐縮。

観光都市とは言っても、カンボジアは最貧国。

しかしながら観光業界のレベル高いような気がする。

現地ガイドは担当できない言語は無いんじゃないかってぐらいの
品揃えというか。

ドライバーや日本人宿で働いて言葉を勉強してから、
ガイドになった人もいるらしい。

学校に行かずに。

その向学心、見習わなくては。

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夜は、孤児院で毎夜行われているカンボジア伝統舞踊ショーへ。

カンボジアには約57万人の孤児がいるそう。

孤児イコール両親がいない子なのかしらと思いきや、
片親だったり両親がいる場合もあり、
様々な事情で孤児院に入っているらしい。

私が訪れたところはこちら。
http://jp.acodo.org/

カンボジアの孤児事情については下記記事など。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/wind/080317_cambodia2/index.html

訪れた孤児院では3歳から16歳ぐらいまでの72人の子供達が
元気に暮らしていて、
ショーもなかなか本格的、
最後は全員で大合唱。

それぞれに抱える背景は明るくないだろうに
みんな屈託が無い笑顔で、
素直でスレてなくて感動してしまった。

そこの孤児院や、
同じ宿に泊まっている独自にボランティア活動している子のスタンスが
素敵だなー、すごいなーと思ったので、
お金をいくばくかと
中古だけど衣類などを寄付してみた。

そこに賛同できる根拠があるなら、出来ることはやらねばと。

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食;サンドイッチ、鶏肉の甘酢ソース、レモンシェイク、お茶、焼きそば

360

2011-08-20 22:57:04 | カンボジア
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ラオスのノーンキャウで出会った方が
良いと言ってた、バンテアイスレイへ。

昨日まで見てきた遺跡とは趣きが違う。
アンコールワットと材質が違うこともあり保存状態も良いらしい。

規模はずっと小さいながら、
レリーフがとても美しく、楽しく見学。

教えてもらわなきゃスルーしてた場所だけど、人が多かった。
皆遺跡が好きなんだなー。

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アキラの地雷博物館へ。

日本人なの?と思いきや。

アキ・ラー氏というカンボジア人。

地雷除去をしながら、
公的援助を受けず私費で運営している場所。

この方は両親をポルポト派に殺されながらも
ポルポトの少年兵士となり、
地雷を沢山埋めてきた。

その後もベトナム軍、カンボジア政府軍として戦っている。

選択の余地無く、
自分は軍人として生きるしか無いと思っていたところに、
地雷除去の仕事があることを知り、
フリーで請け負って、
資金源は博物館の収益でまかなわれている。

他にも、地雷で怪我をした身寄りの無い子を引き取ったり、
学校を造ったりしているそう。

1974年頃生まれ。

地獄を知っている同世代。

この方がポルポト政権だけ悪とみなされることに
異論があると話すと説得力がある、

同時に日本で取り上げられたテレビ番組も流れていたのだけど、

対人地雷が600円、
氏の地雷除去のお金が60円だそう。

まだまだ地雷が埋まっている。

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昨日から左顎に鈍痛。

虫歯の痛みじゃなくて、顎。

食事の時に口を開けるとちょっと痛いという、
なんとも面倒くさい状況。

右側の銀歯が取れてるから、噛み合わせ悪くて
炎症起こしたのかも。

鎮痛剤、抗生物質などを服薬してみる。

ここで薬の出番が来るとは。

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食;サンドイッチ、鍋、ビール。

最近毎日ビール飲んでるなあ・・

359

2011-08-19 22:57:51 | カンボジア
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シェムリアップと言えば…

アンコールワット、

トゥクトゥクでちょこちょこ回ってもらう。

旅のハイライトに大物をブチ込んでみた。

ちなみに、マレー半島まで回るルートだったら、
旅のハイライトがマーライオンになってた可能性があり、
出逢う旅人全員に却下されたのだった。

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まずは、アンコールワット。

遺跡も、
ローマからはじまり色々見てきて、
さて今回はどんなもんかしらねーと思っておったのだが、

いやー、
規模、佇まい、構造、細工、全部がすごかったし、好きな遺跡になった。

ある意味、最後がコレで良かったってくらい。
最初に見ちゃったら、アンコールワットの亡霊が取りついて
特に遺跡萌えではない私は、順番逆だったら、
他の何を見ても、
「…まあ、やっぱり、アンコールには適わない」とか思っていたかも。

…そのくらい凄い…

…のに。

一部改修中で青いビニールがかかってて…、

いや、大事。大事だよ改修は。

雨季で雲もぶ厚くて、夕日朝日もあまり望めない感じだし、

そこはかとない残念さが少し漂うのだった…

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しかし、ここで終わらないのがアンコール。

実はアンコールワット(寺院)より、

アンコールトム(都城)の方がさらにグッと来た。

特にバイヨン。

神が降臨する場所らしい。

顔が浮き上がってるのも楽しい。

そして、緑に囲まれてるのもいいんだと思う。

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それでまだまだ終わらないのが恐るべしアンコール。

タ・プローム。

ここは樹木に支配された寺院。

アスファルトを突き破るタンポポの如く、
樹木が寺を覆っている。

このお寺は1186年、
日本だといい国創ろう鎌倉幕府が起こる6年前に創建。

900年ちょいで木ってこんなに成長するんだーと、実感と呆然。

また押し潰された寺の廃墟加減もいい。

木の根っこがぐわーっと侵していると言えば…

…そう。天空の城ラピュタ。

ここもまた、まことしやかにラピュタのモデルと囁かれている場所。
(宮崎駿は公式コメントを出してない)

もうね。
ラピュタと聞けば、多少無理な行程を組んできたこの旅。

実はアンコールワットより断然行きたかった。

嬉しくなっちゃって、
頭の中で、滅びの言葉連発。

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夕飯は、朝たまたまテーブルが一緒だった
一人旅の女子とカンボジア名物の影絵ショーへ。

「壁の中の妖精」というミュージカルの挿入に影絵があって、
本場ものを見たかったのだった。

レストランの余興のショーで、
ストーリーもよくわからなかったのだけど、
可愛らしくて、満足。

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食;サンドイッチ、そば、グレープフルーツシェイク
  春巻き、魚のフライ、空心菜炒め、バナナの花のサラダ、ビール

358

2011-08-18 22:58:32 | カンボジア
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シェムリアップと言えば何といってもアレ、

しかし、
今日は何となくタイミングを逃して行かずじまい。

周辺散策したり
本読んだり、
ビール飲んだりして

明日以降の英気を養ってみる。
(一つちょっと違う)

あー、こんな旅先のだらだら生活もあと僅か。

(いや、帰国後もしばらくは・・・)

それにしても、シェムリアップ、
アレの街なんだから、
もうちょっと素朴であって欲しいと思ってしまう。

こちらの勝手な思い込みで。

そりゃあ、東南アジア中随一かもーな名所だから、
そら繁栄するわって感じなんだけど、

とっても便利で楽で場所によっては垢抜けてて、
思ってたのと違う。

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水上勉「霧と影」読了。

偶然見つけて、
好きな作家の一人なので、
旅のクライマックスに読もうと決めてた作品。

プノンペンのポルポト派について学ぶと、
共産主義というワードが出てきて、
よくわからないところに、

これまた偶然、この本はトラック部隊を題材にした話で
するすると読みました。

結局それで理解が深まったのかというと
ますますよくわからなくなったのだけど。

この方の作品はいつも弱者に対して
生い立ち、旧い日本の閉鎖的な住環境や風習など理論立てて
感情的にならず、丁寧に描いている感じがして、

いたたまれなさと、哀しさがより引き立つというか。

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食;カンボジア風カレー、ビール、サンドイッチ

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2011-08-17 23:06:26 | カンボジア
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バスでプノンペン出発。

ポーランドにて、
アウシュビッツのインパクトが大きすぎて、
他が気もそぞろだったのだけど、
プノンペンも然り。

そんな気持ちも大事にしようと思ったりして。

市場とかも面白そうなんだけどね。

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バスはエアコンも効いて快適。
読書しながら経過。

バス酔いに関してはちょっとやそっとではしなくなったし、、
腰痛も起こらなくなった。

もともとタフな方だと思うけど、
より逞しくなったかしら。

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6時間後、シェムリアップ到着。

バス到着するとトゥクトゥクの運転手がわらわらと。
そして、バス会社のスタッフと言う人まで車に乗れと。

こんな情報聞いてないよー。

とりあえず無理やり荷物を乗せられてしまったので
1ドルでトゥクトゥクで宿へ。

最初違う宿に連れていかれたけど、
今回は宿を予約してたので、ノーノーと言って変えてもらう。

すると、メールで返信もらってたのに、
知らないと言われ、何でだーとなるも、無事宿泊。

今日のところは出歩かず、
明日以降の計画練らねば。

その前にビール。

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食;ごはん、魚と卵の煮込み、ビール、揚げ物セット

画像は宿の仔猫ちゃん。鬼かわいい。

356

2011-08-16 23:10:21 | カンボジア
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宿からシクロで30分ちょいの街のはずれ。

緑が豊かな場所で
のんびりとしたゆったりとした所だった。

ここは
昨日のトゥール・スレーン収容所から
移送された人々が
棍棒で殴られたり、首を吊られたりして殺された場所。

キリングフィールド。

あまりにものどかで想像し難い。

慰霊塔に重ねられた無数の骸骨や、
展示された服や骨。

そして驚いたのは、
収容所の所長が禁固35年(実質19年)を言い渡されたのが去年。

30年以上経ってから。

カンボジアの司法制度が未熟だったことや、

当時の政府関係者に、ポルポト派が残っていて汚職・買収などで
開廷が遅れたらしい。

ポルポト自身は1998年に裁判を受けることなく死亡。

時間の経過は記憶を風化させる。

カンボジアの今の若い年代はこの出来事をよく知らないらしい。

その所長は現在69歳。
収容所所長時代は35歳前後だったわけで、

1万2000人の命を奪った人間が終身刑ではないことが
キリングフィールドの博物館に
「何が正義なのか?」と淡々と展示されていて、
何だかなーと思うのと同時に、
そりゃ極刑でしょと思う自分はどうなんだろうとも思う。

あと、キリングフィールドは
特に有名なのが、今日訪れたところらしく、
カンボジアの各地にあるらしい。

はじめて知った。

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宿周りは割と庶民的なのだけど、
川沿いなどにいくと、
ぐっとおしゃれな旅行者向けの街並みに。

観光商人もしつこくなく、
街並みにヒリヒリさも感じないのだけど、

依然最貧国で、ドラッグ、売春など問題は多い。

ストリートチルドレンを保護・教育・支援する団体が経営する
レストランに行ってみた。

料理や洋裁など多岐にわたる職業コースがあって、
その一環で、接客、料理、言語の勉強などの職業訓練を
このレストランで行っているそう。

http://www.c-rights.org/project/cambodia/partner/friends/org/index.html


予想以上に…といっては失礼なのだけど、
味、サービス共に大満足なお店で、
壁に沢山飾られた、ストリートチルドレンが描いた絵も素敵だった。

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ネパールの警察に電話。

あとで出す、いつ出せるかはわからない、ってコラーっ。

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食;牛肉と野菜炒め、
  シーフードサラダ、コーラ、レモンシェイク、

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2011-08-15 22:14:35 | カンボジア
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無事早起きしてバスに乗る。

6時だってのに人の往来が多いし屋台もやってる。
やっぱりベトナムの朝は早い。

ベトナム出国。

ベトナム戦争が終わって35年ちょい。

日本で言うと、1945+35で=1980年。

今の韓国みたいにハイテク企業が世界を席巻しはじめた時期?

私はその頃の勢いある日本をサイゴンに見たのかしら。

特にサイゴンは素朴さと発展さが混在してた。

これからどんな変貌があるのか楽しみでもあり、
変わってほしくない感じもあり。

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2時間後、国境の町到着。

バスのスタッフがパスポートと25ドル回収で、
ビザの手続きもすんなり。

42か国め、カンボジア入国。

バッグにうっかり入ってたベトナム通貨を、
あまり良いとはいえないレートでおばちゃんに替えてもらう。

この通貨で昨日もっとご馳走食べれたのに。
自分の注意欠陥に愕然。

私は幼少時から注意欠陥他動の気がとてもあるしね。
汚部屋率も高いし(開き直り)。

355-3

さらに4時間後、首都、プノンペン到着。

よくわからんまま歩くよりはいいかと、
宿までのトゥクトゥクもといシクロをボラれつつ(学習しない人)
滞在先決定。

先のベトナムが、戦後35年の日本だとしたら、

カンボジアは

1989年にポル・ポト政権終了。
1991年にベトナム軍撤退(ここでも絶対に降参しない国)
1992年に和平協定。

…ってことは、恐怖政治から開放されて約20年。

1945+20=1965年で、高度経済成長の最中?

355-4

トゥール・スレーン博物館へ。

素朴な街並みを歩くと、有刺鉄線にかこまれた建物が出現。

高校だったこの建物を監獄とし、
子供を含んだ約2万人の罪無き人々を投獄、拷問、処刑した場所。

恥ずかしながら、
ポル・ポト政権と聞いても
ぼんやりと、独裁者、虐殺…ぐらいしかわからなかったので、
予習と覚悟をして行く。

http://4travel.jp/traveler/who_me/album/10323906/

覚悟が無意味と感じたぐらい惨かった。

先に勝てば官軍だと書いたけれども、

ヒットラーもポル・ポトも官軍の大将だったからこそ、
信じられない殺戮が行われていたのだと改めて思う。

これを狂気という言葉で片付けるのはズルいとも思ってしまう。

よりショックだったのが、

人種差別による虐殺ではないこと。

虐殺が行われたのが1975年~1978年。
私と同世代の人達も亡くなられていること。

夜の治安はよくないらしく、
出歩かないから何ともいえないけど、

昼間目にする人達はのんびりしてて、険がなくて、
恐怖政治を強いられた人達とは思えなくて。

アウシュビッツ同様亡くなられた方々の写真や
拷問の様子が描かれた絵、

パッと見日本の校舎にも似た佇まいなのに。

355-5

ネパール、首相辞任で混乱?

盗難証明書が全然届かないのもこの理由?
いや、違うだろ。

まったくもう。

ツーリストポリスで日本語を話せる警官に、
「今日はダシマセーン、7月20日ニハデマース」って
何度も言われて、
イラっとしたことが思い出される。

保険は云々じゃなくきちんとして欲しいんだけどー。

355-6

食;飴玉、ポテト、ますのフライ。