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2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

2ニート

2011-08-30 17:44:41 | キコクゴ
2-1

訪問・報告の日々。

27日 みそじん、スイスでお世話になった方の親御さん

28日 親戚の集まり

29日 駅前で働く友たちにドッキリ訪問、行きつけの整体。

30日 前職場

2-4

整体ではやっぱり腰がボロボロだと、
そして、銀歯問題を抱える左顎が曲がってると言われ、
ギャアギャア。

2-3

友にストールで汗拭いたら笑われた。

そうか。ストールはお洒落のためのものだった。

2-4

まじめなトーンで前職から復職の打診。

早くもきちんと考えねばいかんのか。
もうちっとだらだらしたいのに。

ううむ。

まあ、多少無茶な条件でもふってみっか。

それで駄目なら他を探すまでよ。

まあ、声をかけていただくのはありがたい。

私のセールスポイントは使い勝手のよさなんだな。

しかも今、住所不定、無職。

オマケ;「おしまい」の記事の最後に、ある仕掛けをしてみたんだけど、
みんな気づいたかなー。

1ニート

2011-08-28 00:12:25 | キコクゴ
1-0

これまで数字でタイトルを書いて来たので、
統一かつ区別化をはかるために。

敢えて自分にプレッシャーをかけるために。

…どうしよう、365ニートになったら…

これまでのように、
毎日書く!っては思ってないので、通し番号だけど

どうしよう、それで365ニートになったら…

1-1

年金の手続きがよくわからん

1-2

既に勘付かれている方もおられるかもしれませんが
ネパールでパソコンをすぐさま購入してました。

帰国後は携帯を購入するだろうから、
需要はアイポッドタッチよりあるだろうし、想定より安かったので。

で、みたび盗まれてしまった場合、
さすがに恥ずかし過ぎるのでブログに書かなかったのです。

いやー、盗まれることなく事後報告できてよかった。

もし盗まれてたら闇に葬られてた話。

1-3

今日はみそじんのご実家に行って娘ちゃんと逢ってきたり、

スイスでお世話になった方のご両親のお店にご飯を食べに行って来ました。

つくづく皆様に支えられて旅したんだなーと。

そしてみそじん娘ちゃんは鬼カワイかったです。

1-4

自転車で周囲を走ってると、
夏の土曜日だっていうのに、明らかに人が少ない。

そして、父がガイガーカウンターの数値の違いを見せてくれる。

屋内<屋外<雨樋付近で数値がうなぎのぼり。

1-5

画像は父母に送ってた絵葉書。

1か国で最低1枚は送ってたんだけど、唯一ボリビアからのが届いてない…、
宿のポストから出てないのか、郵便事情が悪いのか…

おしまい

2011-08-27 00:00:00 | キコクゴ
改めて旅に出たきっかけはなんだったんだろうと考えると、
蒸発したかったのだと思う。

とは言っても、公私共にイヤなことはなく、
好きなことをして気ままに暮らしていたので
後ろ向きな意味ではなくて。

望めば、この暮らしはずーっと続いていくわけで、
平穏で何よりだけど、

ふと、何処かにポーンと行ってしまいたくなり、

言語、文化、人間関係もない場所に放りこまれたら自分はどうなっちゃうんだろうか?

長い人生、海外で暮らす1年があっても良いのかも、

そんなことが実は途方もないことではなくて、
やろうと思えば出来る。

今なら養う家族もいないし、お金も時間も体力もある。

まあ無いんだけど、家庭を営むことがあったなら、
向こう10年はこんなことは出来ないような気がする。
(今は出来ないことは無いかもって思ってるけど)

…なんて思って、
頭の中にあった外国にほとんど行った1年間。

偏屈なアマノジャクコで30年以上生きてるので、

何が変わったかと問われてもピンと来ないし、

旅の要領も良くないし

日本にいてすべきことがあったのかもしれないけれど、

「あの時行っておけばよかった」が

「あの時行っておいてよかった」に変えられてよかったと思う。

いろいろあったけど、
きっとこれからも「あの時行かなければよかった」にはならないと思う。

30過ぎ、女、一人旅、初海外、
…なかなかヘビーとされるキーワード揃いだったけど何とかなったことは、
これからの人生も何とかなるんじゃないかと思わせてくれた。

このブログは自分の記録と両親はじめ周囲への生存確認のためのもので、
私という人をある程度把握している方に、
面白がってもらえたらと思って書いていたけど、

旅していて、目にしたもの考えたことに加えて
否応なしに自分という人間と向き合って昔のことを思い出したりして、

さらに時折箱根駅伝と読書などの脱線ブログだわで、

よくわからない記録なのですけど、

1年間、準備も含めたらプラス3ヶ月、
こんな、私信で独りよがりな雑記にお付き合いくださった全ての皆様。

ご苦労様でした。

旅中知り合った人たちも含め、
ブログはともかく、
こんな面倒くさい人でよかったらこれからもよろしくお願いします。

蒸発したいなんて書いておきながら、
人との繋がりをなくしては1年間旅出来なかったし。

今後も、我ながら人生思い立ったらどうなっちゃうかわかりません。

新たに行きたい場所、再び訪れたい場所がなくなることはないし。

日本での生活や仕事もこれまでと異なった彩りで営まれるだろうし。


世界一周はおしまい、

でも

書くことが好きだと改めてわかったので、
今後ブログは帰国後ニート日記かしら。毎日はどうかしら。

増え続ける知識、学習すべき事柄に思考が追いつかず、時折疲れつつ、
子を持つとしたら、父母のように教授できる親になりたいと思いつつ、
千の出逢いがあって、助けられつつ、
絵に描いた餅を、本当に美味しい餅にして、楽しく旅できました。

ありがとうございました。

366

2011-08-26 21:47:11 | タイ/ミャンマー
366-1

やはり、昨晩はくたーっと寝てしまい、
奇跡的に3時に起床。

5時に空港行きのバスに乗るので、
シャワーと荷造り開始。

1年間履き倒したスカート(途中から裾を切ってストールにも)や
下着を捨てて、
蚊取り線香のあまりやシャンプーは置いていって、

バックパックにひたすらお土産を詰め込む。

するとバックパックの車輪が片方おかしい。

366日中5回も背負わず、ずっとコロコロしてたから…

ギリギリ1年間持ち応えてくれたみたい。
ありがとう。

366-2

空港までのバスが宿まで拾いに来てくれるんだけど、
15分経っても来ない。

…この嫌なソワソワ感、前にも味わった。

まさかとは思いつつ、置いてかれた?とか思っちゃう嫌な感じ。

程なくして職員登場、やはり宿の場所がよくわからなかった様子。
宿の人もすぐ対応してくれて一安心。

約1時間後空港到着。

チェックインも順調。

どうやら無事に乗れる様だと日本に電話。

ホントは一世一代の寝坊して乗りっぱぐれたドッキリを仕掛けたかったんだけど、
父母の心臓が多分洒落にならんのと、
私に度胸がなくて断念。

いよいよ。いよいよだよ。

タイはハワイのような気楽さがあって、ご飯もおいしいし、
ハマる人が多い理由も納得の国だった。

東南アジアは、
豊かとは言えないし、問題を沢山抱えてるけど、
これからどんどん発展していくんだろうなーっていうパワーがあったような。
私は、ある程度の発展を終えた日本で生まれ育ってることもあり
特に新鮮に感じたような気がする。

366-3

日本の航空会社なので当然ながら、
アナウンスも、番組も日本主体で至れり尽くせり。

久々に日本に帰ると、
日本語に酔うという話なんだけど、どうなんだろう。

どこにいても、日本語には定期的に触れてたけど、
最近日本人がよそで話しているのを聞いても、瞬時に日本語かわからないからなー。

そして、機内で
「オモバカ」って番組をはじめて知る。
すっごく面白い。何だこれー。
劇団ひとり健在。

366-4

1年前の今日は確か民主党の小沢がどうこうしていて、
友の一人から、1年後民主党はなくなってるかも知れないけど
あなたの帰ってくる家はあるからねと言われたなあ。

管総理退陣かー。

変わったような変わってないような。

366-5

約6時間半後、成田到着。

父母が仕事を休んで迎えに来てくれました。

ハワイで逢ってるから約5ヶ月ぶり。

あの直後に震災だったなあ。

そこから車で 一路郡山へ。
父母ったらなかなか強行軍。

そして、遂に、郡山到着。

家に帰るまでが世界一周。

無事に生きて帰ってくることができました。

世界一周、これにて終了♪

366-6

食;チューイングキャンディ、機内食、天ぷら、そば。

365

2011-08-25 19:11:45 | タイ/ミャンマー
365-1

1年も旅してりゃあ、

そりゃあ旅のアカがたまるでしょう。
キレイなわけがない。

石鹸かすバリア的なものもあるに違いない。

しかし曲がりなりにも妙齢の婦女子としては、
落ち武者的な帰国は避けたい・・

ってことで、まず、顔をやってもらう。

ちゃんとしたパックはじめてやったかも。

ちょっとしたニキビをどんどん針でつぶしていくのは、
どうなのよ?という感じだけど、
とりあえずはツルツルに。

次に足。

フィッシュスパという、水槽に足を突っ込んで魚に角質やら食べてもらうアレ。

…いやあ、凄かった。

隣のイギリス娘の10倍は魚食いついてたもんだから、イギリス娘軽く引いてた。

水面の際まで、アンタ窒息するよってぐらい魚食いついてた。

隣のイギリス娘に、
1年間旅してたからさー…といらん弁解をする始末。

日本では高そうだからまずやらないけど、
15分で踵がツルツルになった。

感触は軽くピリピリする感じ。

長距離旅行者には、
是非フィナーレにはフィッシュスパを提唱したい。

365-2

その後は、最終日だし夕焼けみとくかーと川沿いへ。

またしても大曇天ながら、なんとなく赤かったのでよしとしよう。

そして、タイ古式マッサージ。

たっぷり3時間コース。
でも価格は日本の10分の1近いかと。

これのために、ラオスからカンボジアまでずーっと
マッサージは封印してた。

そして最後の晩餐。
いい感じにくったりした後のビールがまわるまわる。

そんなほろ酔いで残りのタイ通貨も消費。

あー、4時間後には起きないといけないんだけど…

まだ荷造り終わってないんだけど…

365-3

帰国後はもちろん働かなければいけないわけで、
自分の職歴について振り返ってみる。

上京して最初に勤務した職場は、
いくらスタッフがいい人達でも
トップがひどいとどうしようもないの典型。

短期間で10キロ痩せてリバウンドして。

入職後半年でスタッフが総入れ替え状態になって追随して退職。

そして求人雑誌で見つけて次の職場を即決。

ぐっと規模が大きくなり、
旧態依然な部分もあるけれど、安定感はある。

ただ、同職種の人がおらず自ずと部署のトップとなり、
色々と鍛えられる。

ここで500円玉の円形脱毛症に。

5年半後、私なりにやれることはやったと思ってた時に、
学生時代の実習時の恩師からお誘いの電話。

実家が近くにあり、
さらに大規模の職場となり、
何より、誰かの下で気をはらずに働けるということで転職。

これまでと180度環境が変わったこともあり、
クソと思う部分もあったけれども。

最初から3年は働いて、次の進路を考えようと思って
3年半後、世界一周を思い立って退職。

まあ痩せたりハゲたり、字面にするとなかなかハードだけど
常に周囲のスタッフに恵まれていたし、
自由に泳がせてもらってやりたいことはやれたと思ってるので、

仕事運はかなり強いんじゃないかと我ながら思ってる。

オトコ運は無いけどね(ギャッ)

そんな仕事運の強さを裏付ける昔話をば。

2個目の職場で助手に空きが出て、
最初の職場でお世話になったOキクに来てもらうことに。

その後、新部署が出来るにあたり同職種が欲しいということで、
これまた最初の職場でお世話になったFジアニにも来てもらうことに。

…イニシャルの意味皆無。

どちらも部署のトップで人事権があったから出来たことで

二人がたまたま他の職場を見つけていなかった偶然も含め、
こんなこと普通の職場では有り得ないんじゃないかと。

この二人は旅ブログの前の日常ブログからのヘビー読者。
職場で毎日逢ってるのに、ブログチェックも欠かさない二人…

ちょっと気持ち悪い…

特に職場を辞するあたりの数日間は
我ながらよく書けてる感じだったのだけど、

それを昼休みに読んで泣きそうになり声をかけあう二人。

やっぱり気持ち悪い…

私がそこの職場を辞めてもう4年?

二人とも私があそこにいた5年半をとっくに超えて、
結婚もして、ベテランスタッフだというのに、
今も旅ブログの感想を話してくれているという。

そんな二人がとても好きです。

そこに限らず、どの職場にも常に愉快な仲間が誰かしらいたし、
問題がない訳ではなくて、キツい時もあるけど、
楽しそうと言われることが多い、仕事人生。

この仕事運は続くのか尽きるのか…

すぐには働くつもりはないんだけど。

365-4

食;つみれの蒸したやつみたいな。ごはん。
  グリーンカレー、パパイヤサラダ、ビール

364

2011-08-24 22:49:37 | タイ/ミャンマー
364-1

ここのところ、ガシガシ街歩きしてなかったから、
当分こんなこともなかろうと地図片手に出発。

するとどう間違ったらそうなるのか、逆方向に行っていたらしく、
想定の倍の2時間弱かかって目的地到着。

1年たっても方向音痴は直らなかった。

当然炎天下。汗大噴出。

364-2

やっとたどり着いたデパート街は冷房天国。
一つ一つがいちいち洗練された佇まいで、
一足先に日本にいるような気すらしてしまう。

いや、ゴミゴミしてないところは日本以上かも。

昨日買った600円の服を着ている場合ではなく、
フラフラと900円相当のハーゲンダッツのスイーツを食べてしまった。

まあコレは暑かったからなんだけど。

364-3

前回場所がよくわからなかった父の同級生が経営する旅行代理店へ。

日本人街のど真ん中で、
スタッフは日本人タイ人5名と、立派な会社だった。

思うに、安宿にいるバックパッカー相手ではなく、
一段ハイソなお客様相手の場所なんではないかと。

しかし、その方は既に帰ってしまわれて逢えずじまい。残念。

364-4

余ることこそあれ、足りないってことはなかろうというくらい、、
お土産を買って今日の任務完了。

有名らしいと小耳に挟んだ、プーパッポンカレー(蟹玉)のお店へ。

秋篠宮さまや小泉元首相などの写真が。

うん、美味しい。

美味しいんだけど、蟹肉を食べるべく、ハサミなどの道具がなく、
フォークでほじってみるも要領を得ない。

周りはどうしてるか見てると、
果敢にガブリと何とか食べている様子。

そうか、ガブリか。

しかし、この時私は炎天下を3時間歩いた後で
着席した時、疲れすぎて恐らく瞳孔が開いており、
母からの遺伝で目もくぼんでいたに違いなく、

そんな時に、ちまちまと、蟹肉と格闘出来るわけもなく、
あまり食べずに終わってしまったのだった。

その後はフェリー使ったけど、、
結局今日は4時間近く徒歩。

いやー、ひさびさにぐーったり。

364-5

姪の洋服をお土産に買ってみたものの、
1歳児の体格ってのが想像つかず、
小さくなければよいけど…
小さかったら他の女児にあげよう、すまん…ってな感じ。

私が見た時の彼女は、一人では泣くことしか出来なかったけど、
今や歩いて言葉や道具を操ってるのだから、
1年という月日が確実に経ったのだなあとしみじみ。

ウチの叔母ちゃん、アタシが産まれてすぐの時、
世界一周してたんだってさー

今もどこにいるかわからないんだけどさーってのがちょっと憧れ。

364-6

食;トースト、紅茶、蟹カレー、レモンフラッペ、アイス

画像はわかりにくいんだけど、
道端にいた、巨大ヤモリ?

あんなにデカいのを、
緑の無いところで見たのがはじめてだったのでビックリした。

タイでは当たり前なのか?

363

2011-08-23 22:53:21 | タイ/ミャンマー
363-1

残されたバンコクの日々でやること。

・お土産を買う。

・旅のアカ・疲れを取ってスッキリ。

・タイフードを堪能。

363-2

約1ヶ月ぶりのバンコク随一の安宿街、カオサン。
あまりの混雑ぶりにビックリ。

先の滞在時はパッサパサになってた髪をバッサリ切ったけど、
今日は、まつ毛パーマ、眉毛脱毛、カラーリングをやってみる。

3つ合わせて5000円きるんですもの。

日本より安い内にやっておこうかなと。

海外で髪切るの怖くない?と聞かれるけど、
ボリビアでパーマあててるから今さら。

とは言え、

このまつ毛パーマ液…絶対目に浸潤してない?とか、
眉毛周りのベリベリって痛いんですけど…とか

日本と全く違うアプローチなので
大丈夫かな?と思いつつ恐る恐る。

363-3

実は重大な告白事が。

1年間皆様を騙しておりました。

女一人旅なんて嘘です。

ずっとある殿方と一緒でした。

その人の名は…Kイチくん。前職場の上司…






…の人形と。

前職場でプレゼンする機会があった時に、
私が上司の似顔絵を描いて載せたのがきっかけ。

これが結構似てるもんだから、
その後も、部署のマスコットキャラとして、
要所要所で多用。グッズ展開もして…

本人の承諾なく。

完全なる悪ふざけ?

いや、私はそんなつもり全然無いんですけど。

いやいや、そんなことが楽しくできる寛容な職場におりまして。

そしたら、退職するにあたり、
同僚が似顔絵をそのまま再現した人形を
作って進呈してくれたわけです。

上司と旅をせよと。連れて行けと。

い、嫌がら・・・(略)

モチーフと一緒に風景を撮影する旅人は珍しくなく、

大抵それは可愛らしいぬいぐるみで、
比較的若い人がやっていて、微笑ましい。

しかし私の場合、

上司(40代半ば)の手作り人形で…

若くもなくて…

出すと、100%「何それっっ」とビックリされ笑われるという。

最初こそ羞恥心もありましたが、
今では何のためらいもなく常に一緒。

タージマハルで一時没収された以外は。

パソコンとか盗まれても彼は盗まれなかった。

すっかりくたびれてしまったけど、よく頑張ったー。

フォトに「Kイチ君世界一周」のダイジェストを載せてみました。

ちなみに、写真の量が膨大過ぎて、
帰国後整理しないと思うので
Kイチ君の方は、職場報告用にアルバムを作成することもあり、
そちらを皆にみせることになるでしょう。

363-4

食;トースト、紅茶、春雨サラダ、ビール

画像は、スウェーデンの旧市街、ガムラ・スタンの路地裏のKイチくん。
わかるかしら?

人が通らないのを見計らって撮影というスリル。

362

2011-08-22 22:54:21 | カンボジア
362-1

曇天続きのシェムリアップ。

なかなか朝日を拝むのが難しいらしいなか、
昨日は無事拝めたそう。

昨日が大丈夫なら今日もイケるかもと
4:30起床で、トゥクトゥクでアンコールワットへ向かう。

3日券てのを購入してて、
アンコールワット、バンテアイスレイと使ったので(ベンメリアは別売)
最初で最後の朝日チャンス。

結果…大曇天。

またの機会ってことかしらね。

朝5時だってのにお客さん多かった。

362-2

そんな早朝労働を済ませ、朝食後バスで次の地へ。

カンボジア出国。

ラオス、ベトナムと負の遺産巡りの様相が少しあり、
カンボジアでまた重くて
気持ちが滅入ってしまうこともあったのだけど、

温かい国でもあった。

362-3

一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」読了。

アンコールワットで捕らえられ処刑された、
カメラマンの記録。

カンボジアの内戦をつぶさに見た日本人の一人。

ベトナムの戦争証跡博物館に、
弾丸で打ち抜かれたこの方のカメラが展示してあった。

平和を願うメッセージが綴られているものと思ってたら
全く違った。

明るい人柄をうかがわせ、
惨たらしい状況なのに、
表題に代表されるように、どこか飄々としてて、
危険を省みず突き進んでいく姿が、
常人の感覚とは思えず信じられなくもあり、
ジャーナリストの業のようなものを感じた。

362-4

最後の長距離バス。

約3時間後、最後の陸路国境越え。

タイに戻った。

タイに入った途端、
セブンイレブンが出現し、
素朴な街並みから様子が変わる。

そう言えば、私が訪れたタイ以外、
ラオス、ベトナム、カンボジアは親米ではないと思われ、
マクドナルドも無かった。

久しぶりの色々と過多な資本主義。

362-5

そこから約5時間後、バンコク到着。

以前泊まってた宿のエアコン付に直行して決定。

3年半の福島生活にて
エアコン無しの強靭な肉体になったつもりだったけど、
インド以降のアジアですっかり冷房人間に戻ってしまった。

バンコクは、先の滞在でめぼしいところは行ったので、
ラストスパートだらだらの予定。

362-6

食;サンドイッチ、パパイヤサラダ、グリーンカレー、ビール

画像はカンボジア-タイ間の国境ゲート。

感傷的とまではいかないけどいちいち感慨深い。

361

2011-08-21 22:55:23 | カンボジア
361-1

トゥクトゥクで片道2時間。
ベンメリアへ。

ここもまたラピュタのモデルとか何とか。

実際、ラピュタ上映時は地雷ばっかりで
宮崎駿氏は知らなかったんじゃないか?という説も。

そんなことはどうでもいい。

行ってみてラピュタっぽいなら。

361-2

ベンメリアは、先日のタプロームより
ずっと広くて、
内戦時の瓦礫具合が半端無いという場所。

曇天続きだったシェムリアップも、
今日は青空で、
ベンメリアの苔と陽射しのコントラストが素敵だった。

写真だとわかりずらいのが残念。

ガイドブックではあまり紹介されてないけど、
ラピュタの件もあって
旅人は絶対すすめるベンメリア。

納得。

そして案内人のお姉さんが、

え?そこくぐるの?上るの?
大丈夫なの?みたいな具合で
ついて来いと、瓦礫やら塀やらひょいひょい。

何だかまさかのアドベンチャー。

確かにお姉さんいなかったら足を踏み入れなかった場所。

若干高いような気がしたけど、楽しかったからまあいいやとガイド代を払う。

ラピュタ的には、私のなかでは
ラストシーンの、シータが「開けてー」ってあたりから。

361-3

3日間同じトゥクトゥクのドライバーだったのだけど、
終わり間際、3日間仕事をくれてありがとう、と言われる。
日本語で。

いやいや、とんでもないと恐縮。

観光都市とは言っても、カンボジアは最貧国。

しかしながら観光業界のレベル高いような気がする。

現地ガイドは担当できない言語は無いんじゃないかってぐらいの
品揃えというか。

ドライバーや日本人宿で働いて言葉を勉強してから、
ガイドになった人もいるらしい。

学校に行かずに。

その向学心、見習わなくては。

361-4

夜は、孤児院で毎夜行われているカンボジア伝統舞踊ショーへ。

カンボジアには約57万人の孤児がいるそう。

孤児イコール両親がいない子なのかしらと思いきや、
片親だったり両親がいる場合もあり、
様々な事情で孤児院に入っているらしい。

私が訪れたところはこちら。
http://jp.acodo.org/

カンボジアの孤児事情については下記記事など。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/wind/080317_cambodia2/index.html

訪れた孤児院では3歳から16歳ぐらいまでの72人の子供達が
元気に暮らしていて、
ショーもなかなか本格的、
最後は全員で大合唱。

それぞれに抱える背景は明るくないだろうに
みんな屈託が無い笑顔で、
素直でスレてなくて感動してしまった。

そこの孤児院や、
同じ宿に泊まっている独自にボランティア活動している子のスタンスが
素敵だなー、すごいなーと思ったので、
お金をいくばくかと
中古だけど衣類などを寄付してみた。

そこに賛同できる根拠があるなら、出来ることはやらねばと。

361-5

食;サンドイッチ、鶏肉の甘酢ソース、レモンシェイク、お茶、焼きそば

360

2011-08-20 22:57:04 | カンボジア
360-1

ラオスのノーンキャウで出会った方が
良いと言ってた、バンテアイスレイへ。

昨日まで見てきた遺跡とは趣きが違う。
アンコールワットと材質が違うこともあり保存状態も良いらしい。

規模はずっと小さいながら、
レリーフがとても美しく、楽しく見学。

教えてもらわなきゃスルーしてた場所だけど、人が多かった。
皆遺跡が好きなんだなー。

360-2

アキラの地雷博物館へ。

日本人なの?と思いきや。

アキ・ラー氏というカンボジア人。

地雷除去をしながら、
公的援助を受けず私費で運営している場所。

この方は両親をポルポト派に殺されながらも
ポルポトの少年兵士となり、
地雷を沢山埋めてきた。

その後もベトナム軍、カンボジア政府軍として戦っている。

選択の余地無く、
自分は軍人として生きるしか無いと思っていたところに、
地雷除去の仕事があることを知り、
フリーで請け負って、
資金源は博物館の収益でまかなわれている。

他にも、地雷で怪我をした身寄りの無い子を引き取ったり、
学校を造ったりしているそう。

1974年頃生まれ。

地獄を知っている同世代。

この方がポルポト政権だけ悪とみなされることに
異論があると話すと説得力がある、

同時に日本で取り上げられたテレビ番組も流れていたのだけど、

対人地雷が600円、
氏の地雷除去のお金が60円だそう。

まだまだ地雷が埋まっている。

360-3

昨日から左顎に鈍痛。

虫歯の痛みじゃなくて、顎。

食事の時に口を開けるとちょっと痛いという、
なんとも面倒くさい状況。

右側の銀歯が取れてるから、噛み合わせ悪くて
炎症起こしたのかも。

鎮痛剤、抗生物質などを服薬してみる。

ここで薬の出番が来るとは。

360-4

食;サンドイッチ、鍋、ビール。

最近毎日ビール飲んでるなあ・・

359

2011-08-19 22:57:51 | カンボジア
359-1

シェムリアップと言えば…

アンコールワット、

トゥクトゥクでちょこちょこ回ってもらう。

旅のハイライトに大物をブチ込んでみた。

ちなみに、マレー半島まで回るルートだったら、
旅のハイライトがマーライオンになってた可能性があり、
出逢う旅人全員に却下されたのだった。

359-2

まずは、アンコールワット。

遺跡も、
ローマからはじまり色々見てきて、
さて今回はどんなもんかしらねーと思っておったのだが、

いやー、
規模、佇まい、構造、細工、全部がすごかったし、好きな遺跡になった。

ある意味、最後がコレで良かったってくらい。
最初に見ちゃったら、アンコールワットの亡霊が取りついて
特に遺跡萌えではない私は、順番逆だったら、
他の何を見ても、
「…まあ、やっぱり、アンコールには適わない」とか思っていたかも。

…そのくらい凄い…

…のに。

一部改修中で青いビニールがかかってて…、

いや、大事。大事だよ改修は。

雨季で雲もぶ厚くて、夕日朝日もあまり望めない感じだし、

そこはかとない残念さが少し漂うのだった…

359-3

しかし、ここで終わらないのがアンコール。

実はアンコールワット(寺院)より、

アンコールトム(都城)の方がさらにグッと来た。

特にバイヨン。

神が降臨する場所らしい。

顔が浮き上がってるのも楽しい。

そして、緑に囲まれてるのもいいんだと思う。

359-4

それでまだまだ終わらないのが恐るべしアンコール。

タ・プローム。

ここは樹木に支配された寺院。

アスファルトを突き破るタンポポの如く、
樹木が寺を覆っている。

このお寺は1186年、
日本だといい国創ろう鎌倉幕府が起こる6年前に創建。

900年ちょいで木ってこんなに成長するんだーと、実感と呆然。

また押し潰された寺の廃墟加減もいい。

木の根っこがぐわーっと侵していると言えば…

…そう。天空の城ラピュタ。

ここもまた、まことしやかにラピュタのモデルと囁かれている場所。
(宮崎駿は公式コメントを出してない)

もうね。
ラピュタと聞けば、多少無理な行程を組んできたこの旅。

実はアンコールワットより断然行きたかった。

嬉しくなっちゃって、
頭の中で、滅びの言葉連発。

359-5

夕飯は、朝たまたまテーブルが一緒だった
一人旅の女子とカンボジア名物の影絵ショーへ。

「壁の中の妖精」というミュージカルの挿入に影絵があって、
本場ものを見たかったのだった。

レストランの余興のショーで、
ストーリーもよくわからなかったのだけど、
可愛らしくて、満足。

359-6

食;サンドイッチ、そば、グレープフルーツシェイク
  春巻き、魚のフライ、空心菜炒め、バナナの花のサラダ、ビール

358

2011-08-18 22:58:32 | カンボジア
358-1

シェムリアップと言えば何といってもアレ、

しかし、
今日は何となくタイミングを逃して行かずじまい。

周辺散策したり
本読んだり、
ビール飲んだりして

明日以降の英気を養ってみる。
(一つちょっと違う)

あー、こんな旅先のだらだら生活もあと僅か。

(いや、帰国後もしばらくは・・・)

それにしても、シェムリアップ、
アレの街なんだから、
もうちょっと素朴であって欲しいと思ってしまう。

こちらの勝手な思い込みで。

そりゃあ、東南アジア中随一かもーな名所だから、
そら繁栄するわって感じなんだけど、

とっても便利で楽で場所によっては垢抜けてて、
思ってたのと違う。

358-2

水上勉「霧と影」読了。

偶然見つけて、
好きな作家の一人なので、
旅のクライマックスに読もうと決めてた作品。

プノンペンのポルポト派について学ぶと、
共産主義というワードが出てきて、
よくわからないところに、

これまた偶然、この本はトラック部隊を題材にした話で
するすると読みました。

結局それで理解が深まったのかというと
ますますよくわからなくなったのだけど。

この方の作品はいつも弱者に対して
生い立ち、旧い日本の閉鎖的な住環境や風習など理論立てて
感情的にならず、丁寧に描いている感じがして、

いたたまれなさと、哀しさがより引き立つというか。

358-3

食;カンボジア風カレー、ビール、サンドイッチ

357

2011-08-17 23:06:26 | カンボジア
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バスでプノンペン出発。

ポーランドにて、
アウシュビッツのインパクトが大きすぎて、
他が気もそぞろだったのだけど、
プノンペンも然り。

そんな気持ちも大事にしようと思ったりして。

市場とかも面白そうなんだけどね。

357-2

バスはエアコンも効いて快適。
読書しながら経過。

バス酔いに関してはちょっとやそっとではしなくなったし、、
腰痛も起こらなくなった。

もともとタフな方だと思うけど、
より逞しくなったかしら。

357-3

6時間後、シェムリアップ到着。

バス到着するとトゥクトゥクの運転手がわらわらと。
そして、バス会社のスタッフと言う人まで車に乗れと。

こんな情報聞いてないよー。

とりあえず無理やり荷物を乗せられてしまったので
1ドルでトゥクトゥクで宿へ。

最初違う宿に連れていかれたけど、
今回は宿を予約してたので、ノーノーと言って変えてもらう。

すると、メールで返信もらってたのに、
知らないと言われ、何でだーとなるも、無事宿泊。

今日のところは出歩かず、
明日以降の計画練らねば。

その前にビール。

357-4

食;ごはん、魚と卵の煮込み、ビール、揚げ物セット

画像は宿の仔猫ちゃん。鬼かわいい。

356

2011-08-16 23:10:21 | カンボジア
356-1

宿からシクロで30分ちょいの街のはずれ。

緑が豊かな場所で
のんびりとしたゆったりとした所だった。

ここは
昨日のトゥール・スレーン収容所から
移送された人々が
棍棒で殴られたり、首を吊られたりして殺された場所。

キリングフィールド。

あまりにものどかで想像し難い。

慰霊塔に重ねられた無数の骸骨や、
展示された服や骨。

そして驚いたのは、
収容所の所長が禁固35年(実質19年)を言い渡されたのが去年。

30年以上経ってから。

カンボジアの司法制度が未熟だったことや、

当時の政府関係者に、ポルポト派が残っていて汚職・買収などで
開廷が遅れたらしい。

ポルポト自身は1998年に裁判を受けることなく死亡。

時間の経過は記憶を風化させる。

カンボジアの今の若い年代はこの出来事をよく知らないらしい。

その所長は現在69歳。
収容所所長時代は35歳前後だったわけで、

1万2000人の命を奪った人間が終身刑ではないことが
キリングフィールドの博物館に
「何が正義なのか?」と淡々と展示されていて、
何だかなーと思うのと同時に、
そりゃ極刑でしょと思う自分はどうなんだろうとも思う。

あと、キリングフィールドは
特に有名なのが、今日訪れたところらしく、
カンボジアの各地にあるらしい。

はじめて知った。

356-2

宿周りは割と庶民的なのだけど、
川沿いなどにいくと、
ぐっとおしゃれな旅行者向けの街並みに。

観光商人もしつこくなく、
街並みにヒリヒリさも感じないのだけど、

依然最貧国で、ドラッグ、売春など問題は多い。

ストリートチルドレンを保護・教育・支援する団体が経営する
レストランに行ってみた。

料理や洋裁など多岐にわたる職業コースがあって、
その一環で、接客、料理、言語の勉強などの職業訓練を
このレストランで行っているそう。

http://www.c-rights.org/project/cambodia/partner/friends/org/index.html


予想以上に…といっては失礼なのだけど、
味、サービス共に大満足なお店で、
壁に沢山飾られた、ストリートチルドレンが描いた絵も素敵だった。

356-3

ネパールの警察に電話。

あとで出す、いつ出せるかはわからない、ってコラーっ。

356-4

食;牛肉と野菜炒め、
  シーフードサラダ、コーラ、レモンシェイク、

355

2011-08-15 22:14:35 | カンボジア
355-1

無事早起きしてバスに乗る。

6時だってのに人の往来が多いし屋台もやってる。
やっぱりベトナムの朝は早い。

ベトナム出国。

ベトナム戦争が終わって35年ちょい。

日本で言うと、1945+35で=1980年。

今の韓国みたいにハイテク企業が世界を席巻しはじめた時期?

私はその頃の勢いある日本をサイゴンに見たのかしら。

特にサイゴンは素朴さと発展さが混在してた。

これからどんな変貌があるのか楽しみでもあり、
変わってほしくない感じもあり。

355-2

2時間後、国境の町到着。

バスのスタッフがパスポートと25ドル回収で、
ビザの手続きもすんなり。

42か国め、カンボジア入国。

バッグにうっかり入ってたベトナム通貨を、
あまり良いとはいえないレートでおばちゃんに替えてもらう。

この通貨で昨日もっとご馳走食べれたのに。
自分の注意欠陥に愕然。

私は幼少時から注意欠陥他動の気がとてもあるしね。
汚部屋率も高いし(開き直り)。

355-3

さらに4時間後、首都、プノンペン到着。

よくわからんまま歩くよりはいいかと、
宿までのトゥクトゥクもといシクロをボラれつつ(学習しない人)
滞在先決定。

先のベトナムが、戦後35年の日本だとしたら、

カンボジアは

1989年にポル・ポト政権終了。
1991年にベトナム軍撤退(ここでも絶対に降参しない国)
1992年に和平協定。

…ってことは、恐怖政治から開放されて約20年。

1945+20=1965年で、高度経済成長の最中?

355-4

トゥール・スレーン博物館へ。

素朴な街並みを歩くと、有刺鉄線にかこまれた建物が出現。

高校だったこの建物を監獄とし、
子供を含んだ約2万人の罪無き人々を投獄、拷問、処刑した場所。

恥ずかしながら、
ポル・ポト政権と聞いても
ぼんやりと、独裁者、虐殺…ぐらいしかわからなかったので、
予習と覚悟をして行く。

http://4travel.jp/traveler/who_me/album/10323906/

覚悟が無意味と感じたぐらい惨かった。

先に勝てば官軍だと書いたけれども、

ヒットラーもポル・ポトも官軍の大将だったからこそ、
信じられない殺戮が行われていたのだと改めて思う。

これを狂気という言葉で片付けるのはズルいとも思ってしまう。

よりショックだったのが、

人種差別による虐殺ではないこと。

虐殺が行われたのが1975年~1978年。
私と同世代の人達も亡くなられていること。

夜の治安はよくないらしく、
出歩かないから何ともいえないけど、

昼間目にする人達はのんびりしてて、険がなくて、
恐怖政治を強いられた人達とは思えなくて。

アウシュビッツ同様亡くなられた方々の写真や
拷問の様子が描かれた絵、

パッと見日本の校舎にも似た佇まいなのに。

355-5

ネパール、首相辞任で混乱?

盗難証明書が全然届かないのもこの理由?
いや、違うだろ。

まったくもう。

ツーリストポリスで日本語を話せる警官に、
「今日はダシマセーン、7月20日ニハデマース」って
何度も言われて、
イラっとしたことが思い出される。

保険は云々じゃなくきちんとして欲しいんだけどー。

355-6

食;飴玉、ポテト、ますのフライ。